第13話 悪魔の世界に来てしまい

「えっ? な、わっ!」


 以前もあった身体が引き寄せられる感覚。自分の身体はクラヴァスの腕力も難なくすり抜け、気づけば今度はフレゴに腕をつかまれていた。隣にフレゴが並ぶと、これまた彼も長身で見上げる形になる。


「フレゴッ! お前っ!」


 クラヴァスが珍しく怒りをあらわにし、手をかざす。その手からは火を生み出そうとしていたが、フレゴは人差し指を立てて制止した。


「おっと! クラヴァス、こんなところで戦ったらまたお前の望まない謹慎処分になるよ! それにレオさんに当たる可能性大だぞ」


「俺はそんなヘマはしない。そいつを盾にしていてもお前に当てることはできる。そいつを離せ」


 再び訪れた一触即発の事態。こんな時に魔力があればジャンみたいに事態を収束させられるのに。自分にできるのは清掃だけ……だから何もできない、大人として情けない。

 けれど口は動くのだ。何も言わないわけにはいかない。


「二人とも、やめるんだ! ……えっ?」


 少しでも二人を落ち着かせよう。そう思って口を開いた時、身体がフワッと持ち上がる。

 そしてどうにもできないまま、自分の身体はその場から消され……気づいた時には知らない場所に立っていた。






「はいっ⁉ 何が、どうなってるの?」


 ここはどこだ、どこか教室みたいな室内だ。

 だが木の床はところどころ剥がれ、壁も天井もシミだらけで、自分が毎日清掃している校舎内とは思えない。窓ガラスの向こうは真っ暗で空は夜のようだが月はない。そして漂う空気はとても冷たく、長時間ここにいたら凍え死ぬかもしれない。


「さ、さむっ」


 つなぎの上から両腕をさすり、吐く息の白さに驚く。なんだ、ここは。学校、なのか……?


「ここは学校だけど、もう一つの平行している世界ですよ、レオさん」


 いつの間にか誰もいなかったはずの室内にもう一人、今さっきまで屋上にいた少年が穏やかに笑って、そこにいた。


「フレゴくん? こ、ここは、なんなの、かなっ」


「普段は見ることのできない、もう一つの世界ですよ。なんていうかな、この前みたいに俺が出した黒い鳥……悪魔の住まう世界、とでもいうんですかね。すごく寒いですよねぇ」


 そうは言っているがフレゴは薄着の制服のわりに寒くなさそうだ。吐く息も白くない。


「俺は体質のおかげで寒さは感じません。でもレオさんは人間。しかも魔法、使えないんでしょう? ずっといたら間違いなく、氷の塊になっちゃいますよね」


 穏やかに恐ろしいことを言うフレゴに、今までは抱かなかった恐怖を抱かずにはいられない。ただクラヴァスに恨みがあるだけで、こんなことをするのだろうか。


「な、なんで、ここまでするんだい? 君は一体……」


「レオさん、巻き込んでごめんなさい。でもレオさんはアイツにとっての弱点みたいだから利用させてもらいます」


 そう言うとフレゴは地面に向かって手をかざした。するとそこには黒い魔法陣が現れる。

 それはいつかも見たバエルの魔法陣のようなものだが、数段大きく、ハッキリと見て取れる。

 黒い魔法陣はくすんだ床に現れ、黒く発光するとその中から一体の生き物が現れた。口から鋭い牙をのぞかせ、その隙間から長い舌が垂れている。白い瞳に生気はなく、四つ脚で立つそれは大型犬のような形をしているが……頭が三つあるのだ。


「俺もまだまだ学んでる身なんでね。やっとここまでの悪魔召喚ができるようになったんです……まだクラヴァスには難しいかもしれないですが、あなたならイケるはず。アイツを苦しめるために、悪いですけど」


 三つ頭の犬は完全に姿を現し、三つ同時に吠えた。そして主の合図でレオに狙いを定め、ジリジリと距離を詰めてきた。


「フレゴくんっ!? これは、何っ!」


「よく言うでしょ? 地獄の番犬ケルベロス。獰猛な性格で新鮮な肉が大好きなんだって」


 ケルベロスは同意するように三つの口から同時によだれを滴らせる。ひどい悪臭がするのは彼らが食した生き物の肉の臭いなのか。牙に付着した赤黒いシミが背筋をゾッとさせる。


「き、君はそこまでクラヴァスくんが憎いのかい⁉ 大切なものを奪われたから仕返しをするの?」


 フレゴは「ふぅ」と息をつき、そして赤い瞳に怒りの色を宿し、笑みを浮かべる。


「それもあるけどさ……アイツの家系のこと、レオさん知ってます? 有名な魔法使いの家系だけど、それだけじゃないんですよ。正義と言えば正義だけど“俺ら”からしたら恐怖の対象でしかない……“俺ら”はただ生きているだけなのに。ヤツらから迫害され、挙げ句には殺されるんです」


 その言葉の意味がわからないが頭の中で反復させる。クラヴァスは有名な魔法使いの家系だ。しかしフレゴには恐ろしいらしい。フレゴが言う“俺ら”とは何を指すのか。


「だから俺は殺られる前に殺りますよ。アイツにひどい目に遭わされた分、倍にして返してやる。ごめんなさい、レオさん。あなたが悪いんじゃないです。あなたを気に入ってしまったアイツを恨んでください」


 それはただの、フレゴの自分勝手な言い分だ。自分が嫌がらせを受けたからやり返す、その気持ちはわかる。自分も抱いたことぐらいあるから。

 でもやり返したって何もならない。ましてや他の誰かを巻き込むなど――今巻き込まれているのは僕だからいいけど……いや、良くはないけど、嫌だけど。


(君が何者かはわからないけど。でも、こんなやり方は間違っているよ……!)


 ケルベロスは間近に迫ると、ひときわ大きな咆哮を上げ、床を蹴って飛びかかってきた。

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