第10話 抱きしめられてます⁉

 ジャンの言った通り、クラヴァスとフレゴは一週間の謹慎だけで済んだ。翌日も翌々日も何事もなく清掃員の仕事は終わり、こうしているうちに時間は過ぎていくのかな〜とモップを握りながら考える。


 クラヴァス達、若者はこれからも輝き、挫折もあるだろうけど未来がある。それがうらやましい。ジャンだって『俺の人生なんてっ』と愚痴っているが、彼にだってまだこれからがあるのだ。

 自分には残された時間のみ。でもそれを穏やかに過ごせればいい、そう思う。


 いつものように仕事が終わった時、廊下を歩いていたら「レオさぁ〜ん」と、どこからか、のんびり口調が。

 振り向くとニコニコしたパナ学長がいた。


「お疲れ様です〜! これ良ければ出張のお土産です〜」


 そう言って手渡されたのは紙袋に入ったお菓子の詰め合わせだ。甘い良い匂いがする。


「え、僕にですか。ありがとうございます〜」


「いえいえ、レオさんはいつも学校を綺麗にしてくれる大事な人ですからね〜。私、本当に感謝してるんですよ〜」


 パナ学長はいきなり両手を握りしめてきた。オーバーなリアクションに、ちょっとだけ気が引ける。


「パナ学長、そんなもったいないですよ。あなたみたいなすごい方が」


「すごくなんかないですよ〜私、学生の頃なんて全然魔法使えなかったんですから。とーっても成績悪かったんですよ〜?」


 それは謙虚なのだろうか、信じ難い。


「だから優秀な人がとてもうらやましかったですね〜。でも今は生徒達に優秀な子達が多くてとても誇らしいです。レオさんもその子達を支えてる一員です。これからも頑張っていきましょうね〜」


 パナ学長は手を離すと、いつもの笑顔で「ではでは」と去っていった。

 ふと“優秀な子”と言われ、思いつく。クラヴァスくんはどうしてるのかな、と。


 謹慎中は外出はできない。寮の部屋で待機、他は食堂へ食事しに行くぐらいだろう。彼なら部屋で勉強でもしているかもしれない。


(……行ってみたいような、気もする)


 一人の生徒に対して、そんなことを思うのは初めてだ。ただ助けてくれたから、いつかお礼を言いたいと思ってはいた。


(行ってみようかな)


 拒否される可能性は高いけど。


 学生寮は魔法学校の敷地内にあり、学校からは徒歩五分。周囲を木々に囲まれた静かな場所だ。

 五階建ての木造の建物は魔法の効果があってか、老朽化も雨によるシミもなく、いつも綺麗な白いままで。百名ほどの生徒達の大切な住居となっている。

 いつでも開きっぱなしの木製の両開き扉は夜に自然と閉まるしくみになっており、門限を守らないと絶対に入れなくなる。それは扉だけでなく、窓や裏口も同じだ。


(クラヴァスくんの部屋、どこだろ)


 エントランスでは生徒達が数名行き交って「レオさん、こんにちは〜」と親しみのある挨拶をしてくれる。かわいいなと思う。たまに寮内も掃除するから自分がここにいても違和感はない。


(だけどクラヴァスくんの部屋を聞くわけにはいかないからなぁ……)


 ここまで来て、どうしたものか。小脇に紙袋を抱えて立ち止まっていると。


(……ん?)


 身体が、肩が、クッと前に引っ張られるような感覚。なんだと思っていると、そのまま身体全体が何かに引っ張られていくように前に進んだ。


(な、なにっ?)


 上半身が引っ張られるのだから当然、足も前に進んでいく。フカフカした赤い絨毯を踏み、木の階段を上がり、気づけば寮の三階へ。各部屋のドアが並ぶ中、そこを通り過ぎて一つのドアの前にやってきた。


(わ、わっ)


 ドアが自然に開き、自分は引き寄せられるように中へ入る。ドアが静かに閉まるとやっと身体の動きが解放されたのだが。


「うわっ」


 今度は何かが自分の身体を包む。肩から覆いかぶさる何か。それはあたたかくて力強い。そしてさわやかな良い匂いがする。


「……なんか、用?」


 すぐ耳元で声がする。まだ低くなりきってはいない、けれど男だとわかる声。声の主は自分の背中に手を回しており、その手は優しい力加減で背中を包んでいる。


「は、はい?」


 事態が飲み込めず、声が上擦る。何がどうなっているのやら。とりあえず誰かに抱きしめられているようだが、相手の顔は自分の肩の上にあって誰なのか確認できない。聞いたことはある声だ。つい最近、聞いて自分の記憶にインプットされた声。


「俺のこと、探してたんだろ。寮に入った時にわかった」


 自分が探していた人物は今のところ一人しかいない。なら自分を抱きしめているのは……。

 でも違っていたらどうしよう、それはめちゃくちゃ恥ずかしいじゃないか。


「あ、あの……僕、なんで抱きしめられているの、かな?」


 生徒達から慕われているのは感じるが、ここまで密着してくる者はいない。なんの意味があるのか全くわからない。

 けれど心の中がほんわかとしてくるのを感じた。すごく心地良い、安心感。誰かがそばにいる、自分を求めてくれているような。


(ちょ、年甲斐もなく、ドキドキしてるんだけど……待て待て、この子、生徒だよ?)


 抱擁は解かれぬまま、隣にいる存在は何がしたいのか自分の肩に顔を寄せ、すがりついている。その様子は愛らしく感じるが(生徒に何を思ってるんだ)と自分の理性に文句を言う。


 とりあえず室内を見渡すと、そこは綺麗に整理整頓され、木製のデスクには読みかけの分厚い魔導書に羽根ペン。壁にはルラ魔法学校の制服である黒い制服がかけられている。まだツヤツヤしたそれは新一年生の証。やはりこの子は一年生だ。


「あ、あの、いつまで、こうしているのかな」


「俺もよく、わからない。ただアンタに会ったら、こうしたいって……くっついてみたくなった。こんなの、初めてだ。なんでだ?」


 よくわからないことを彼は言う。

 そしてこの子が誰なのかを確信する。一年生で『アンタ』呼ばわりする人物は一人しかいない。


 ……くっついてみたくなった、って。

 そんなの、普通の人には思わないよな……。


 耳元で、彼は続ける。


「よくわかんないけどさ、アンタに、キスしてみてもいい?」

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