第4話 とんだ悪魔でした

 怖いっ。本能がそう叫び、自衛手段として耳を手で覆いながらも声の主を気にして、横に視線を向けた。

 しかしそこには誰もいない。自分の周囲は街灯に照らされているが人は誰もいない。

 ……“人は”だ。


「おかしいな……なんで貴様なんかに、オレは憑いている」


 地に足を着いておらず、獣と人の足が合わさったような体毛に包まれた、たくましい足が宙を漂う。開きっぱなしの黒いコウモリに似た翼はバサバサとはためいていないのに、その存在を宙に浮かせている。

 黒鉄のような黒い肌、目つき鋭い金の瞳、闇のような髪色……人とはかけ離れた存在がそこにいる。自分を見ている。忌々しいものを見るように。


「君は……」


 先程も聞こえた声だとすぐにわかった。これは酒のせいかと思ったが頭のクリアさを思うと、そこまで酔っ払ってはいない。

 これは現実だ。目の前にいる、これは現実……。


「オレはバエル……人間の命を喰らうモノ……貴様らの言葉で言やぁ、悪魔だ」


「悪魔……」


 なぜ悪魔が。何かの間違いか。頭の中で勝手に(これは夢だよ)と自分の中身が現実逃避しようとしている。

 それは、恐怖からだ。怖いものを遠ざけようとする人間の本能。日々をのんびり生きる自分にも怖いものはあったようだ。


「貴様はさっき、オレの魔法陣に触れた。だから貴様に憑くことになったが……とんだ期待外れじゃねぇか、魔力なし、なんてな!」


 魔力なし。久しぶりに聞いた言葉。

 それを聞いた途端、ふさがっていた胸の奥にある傷が開いたような痛さを感じた。


「オレは魔力のある人間が好物だ。高い魔力を喰らいてぇ……だが一度憑いたら相手が死ぬまで変えることができねぇ……おかしいなぁ、オレの魔法陣は魔力あるヤツにしか触れられねぇはずなのに……まぁ憑いちまったもんは仕方ねぇよなぁ」


 バエルは金の瞳を愉快そうに細めた。


「あきらめてその命、捧げてもらおうかっ」


 バエルは長い爪を立て、襲い掛かってきた。どうにもできないまま、自分はその成り行きを見つめる。死ぬのが怖いとか、こんなところでとか、なんでとか……そんな気持ちは何も湧いてこない。

 だって突然で呆気ないんだもの、考える間さえなくて。


(あぁ、でも痛いのは嫌だな……)


 それだけを思い、目を閉じた。あの長い爪が皮膚を突き破り、強烈な痛みが走る。身体をズタズタにされ、きっと誰の身体かもわからなくなる。

 そうなるのかな、なんて考えていたが――。


(……あれ?)


 目の前の世界が暗闇のまま、時間が流れる。一向に変化はない。痛みもない。もしかして何も感じないまま、もう死んでたりするのか。それにしては何もなさすぎる。

 どうしたのかと思って恐る恐る目を開けた。

 襲いかかってきたはずのバエルは――。


「……何、してるんだい?」


 バエルはいた。今度は上じゃなく、下に。地面にあぐらをかき、黒い翼は残念そうにしおれ、うなだれていた。まるでテストでエライ点数を取って落第した子みたいだ。よく見れば筋肉はあるけど、わりと小柄な少年みたいな体格だ。


「なんだよぉ! なんで“魔力なし”なんだよぉ! よりによってぇ! これじゃすぐに喰うことできねぇじゃん! 時間かかるじゃん! あ〜くそっ! やだっつ〜の〜っ!」


 目の前の光景、これは夢なんだろうか。それともさっきのが夢なのか。今とさっきのギャップがありすぎて酒のせいで頭が変になったかと思った。いや、だからそこまで酔っていない。おじさん、酒はそこそこ強いんだよ。


(えぇーと、何が、どうなってるんだ?)


「魔力なしの人間なんて! マジ最悪っ! なんでこうなってるわけっ! こんなはずじゃなかったのに! 魔力なしなんてっ!」


「そ、そこまで言わなくてもいいんじゃないかなぁ……」


 さすがに傷つく。それにこれではどっちが嘆く立場なのかわからない。

 よくわからないけど、放ってはおけない。


「とりあえず、ここじゃ寒いから。僕の家でよければ近いから、行こう?」


「……悪魔は寒くないっつーの。まぁ、いいけどよ」


 バエルは再び黒い翼を広げ、フヨフヨと飛びながら後ろにくっついてきた。さっきまでの威勢の良さはどこへやら。悪魔ってみんな、こんな感じなのか?


(なんか、色々気になるなぁ……)


 先を歩いていたが少し歩速をゆるめ、悪魔に近寄る。


「君は、本当に悪魔なの?」


「……見りゃあ、わかんだろ。牛には見えねぇだろ」


 バエルは力なく答えた。けれど軽く冗談めいたことを言ったので、ちょっとだけ安心感を抱いた……意外と冗談好きだったりして。


「こう見えて悪魔の中でも上級に入る。殺したいほど憎い相手がいる時、よく呼び出されるのがこのオレだ」


「ちょっと待って」


 足を止め、レオはバエルの方を振り返る。


「それって僕は誰かに恨まれているということ?」


 そんな身に覚えなどない。恨まれるほどの活躍もしていないのに。


「違ぇよ。アンタじゃない」


 バエルは否定した。今さっきまで“貴様”呼ばわりだったのが“アンタ”呼ばわりに昇進している。


「言っただろ。オレは魔力に引かれるようにしてあった。魔法陣に触れたヤツにオレは取り憑くんだよ。だが引っかかったのは“魔力なし”のアンタだ。誰かに細工されたんだろうよ」


「細工……」


 だから自分は黒い魔法陣に気づいたのか。ただ清掃しようと思っただけなんだけど。


「誰かが細工をした。だから魔力なしの僕が魔法陣に触れた……けど本当は魔力のある人を狙っていたんだよね?」


「そうだ、高い魔力のヤツ。好物だ、喰いたい」


 そうなると……このバエルを使い、高い魔力の魔法使いを狙った者と。


 その魔法陣のことに気づき、力のない者を狙うように細工をした者。二人が関与しているということに、なるのかな……?

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