第2話 ちょっと妙な魔法陣でした

 清掃は仕事だから毎日ある。学科時はないが魔法実習は魔法陣を床に描き、様々な魔法を発動させる。床は魔法陣の跡やら発動後の様々なもので汚れるので学校には数名の清掃員が在職している。


 自分もその一人だ、キャリアは十年ちょっと。毎年、新一年生が入ると、その若々しさにうらやましさと楽しさをもらっている。

 このルラ魔法学校は実力主義で入学者もレベルが高い者ばかりだ。それでも十代は人間としてはまだ未熟で失敗も多くて『それが良いんだ』と、この年になると思える。


 今日も順番に使用された教室を愛用モップで磨いていき、帰宅する生徒達に「さようなら」とか「おじさん今日もありがとう〜」と礼を言われる。それに手を振り、見送る日々。毎日が平坦で平和……それが良いんだ。


(ふぅ、これが最後の教室〜と)


 最後の教室は新一年生、大トリだ。一年生はみんな元気に部屋を汚してくれる。覚えた魔法を試したくて床の隅から隅、時には壁や天井にも魔法陣を描くこともあり、度肝を抜く。天井掃除は腰にくるから大変なのだ。


 教室のスライドドアを開けると中は冷たい空気が漂っていた。この魔法後の空気も毎回違うのが面白いところだ。鼻をつまみたくなる異臭の時もあれば、なぜかカレーみたいなおいしそうな匂いの時もある、不思議すぎる。


(お〜、今日もなかなか……汚してるなぁ)


 床には等間隔に魔法陣が描かれていた、ずいぶんしっかり隅々まで、やってくれたものだ。すでに効力を失ったもの、まだぼんやりくすぶっているもの、燃えたのか黒ずむもの。


 その一つ一つにウエストポーチの中にある薬剤を垂らし、モップで磨いていく。たまにモップ絞り器でモップを洗浄し、また次の魔法陣へ。毎日行うキリがない作業だが嫌いではない、むしろ楽しんでいる。


(よし、これで最後かな……ん?)


 最後の魔法陣を床から拭き取って顔を上げた時、妙なものを見つけた。何かと思い、壁に近づいて見る。


(……これって)


 それは壁に描かれた魔法陣だった。妙なのはその小ささだ。それは親指の爪サイズぐらいの、とても小さなものだった。まるで他者の目から隠れるように光も放っていないが、よく見れば黒いモヤのようなものが微かに出ている。


(なんだ、これは……あまり見たことないな)


 魔法は魔法陣を描かず、直接火や水などを具現化するもの、魔法陣を描いて無機物や有機物を生み出すもの、そして生き物を呼ぶ召喚系がある。大体は魔法陣にそれっぽい絵が描いてあり、何が出るのか予想がつく。


 しかしここに描かれているのは黒い翼のようなものだけ……見覚えがない。召喚系は力ある者しか扱えないから新一年生の教室にあるのは妙だ、まだ使えるわけが……。


(とりあえず後でジャンに報告して……清掃だけしておこうか)


 召喚系も清掃したことはある、だから問題ない。いつものように薬剤を選んだが壁に垂らすことはできないのでそれを雑巾に含ませ、壁を拭いた。雑巾が触れた瞬間、焦げるようなニオイがした。見ると雑巾は墨を拭いたかのように真っ黒になっていた。


 それでも綺麗に落とすことはできた。壁も床も元の姿となり、窓から差し込む夕日に照らされている。

 ふと視線を動かした時だ。スライドドアの一部のガラス部分に、誰かの頭のような影が見えた。

 レオはゆっくり近づく。そしてスライドドアを勢いよく開けて「わぁっ」と相手を驚かせるように声を上げた。


「う、わぁっ!」


 案の定、相手は驚きの声を上げた。誰かと思ったら、いたのは予想外の人物で、こちらも驚いてしまった。とりあえずごまかすようにおどけておいた。


「あ、あはは、ごめんごめん……ジャン先生かと思ったんだ。驚かせてごめんよ。クラヴァスくん、だったよね」


 クラヴァス……新一年生の中で最も優れた実力と家柄を持つ優秀な男子。背も高く、少しだけ自分は見上げる形となる。

 クラヴァスは眉間にしわを寄せていた。


「何、してんの」


「ん? 何って仕事だけど」


「仕事……」


 クラヴァスは教室の中が気になったのか、レオの背後に視線を向ける。


「忘れ物かい? もう終わったから入って大丈夫だよ」


 レオはモップとモップ絞り器を片手に「じゃあね」と去ろうとしたのだが。


「あ、おい」


 戸惑いがちな声を聞き、動きを止めた。


「ん、どうしたの?」


「アンタ、なんとも、ないのかよ」


「……? うん、何が?」


 不思議なことを口にするクラヴァスに、笑みを持って返す。もしかしてさっきの妙な魔法陣を使ったのは、この子、なんだろうか。ちょっと顔色も良くないし、何か良からぬことを?

 でも真正面から聞いてもクラヴァスは答えないだろう。


「ねぇ、クラヴァスくん、学校、楽しい?」


 クラヴァスは青い瞳を全開に「は?」と声を発する。


「あはは、急に変なこと言ってごめんね。だってクラヴァスくん、実力すごいんでしょう。なら無理に勉強ばかりじゃなくて、もっと色々なことで楽しめたらいいなと思って。友達作ってバカなことするのもいいし、好きな物食べて寝っ転がってるのもいいし……好きなこと、やるといいよ?」


 それが学校生活、若い人の特権というもの。今しかできない、今しかこない、この時間。

 そしてみんな与えられた時間しか生きることはできないのだから。


「ごめんね、おじさんの無駄口みたいなもんだよ。じゃあ気をつけて帰ってね」


 モップを持ち、その場を離れる。今度はクラヴァスも声をかけてこず、何も言わなかった。


(なぁんて、説教じみたこと、言っちゃったかなぁ……やだやだ、年だな)


 でも彼には何か声をかけてあげたくなった。

 彼は、どこか無理をしている。そんな気がしたから。

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