第32話、熱血全力少年、セーブしていた力を一つ、解き放つ
―――その瞬間オレは、自らの縛めを解いていた。
三本あったミサンガのうち、虹色のものを爪先に食い込ませて引きちぎる。
それは、人間が生まれ落ちてからすでに備えている、防衛本能のなせる技だったのかもしれない。
それが、オレにとっての輪永拳の真髄、『夢旅(メロ)』を解く鍵だった。
『夢旅』とは、これ即ち五感の限界を突破すること。
使い手自らが決めた『縛め』を解くことにより、その力を発現することができる。
オレの場合、その『縛め』がミサンガで。
一旦力を解放すると、再び結び直すまで、五感の能力が飛躍的にアップするのだ。
瞬間、あたりの動くもの全てがコマ送りのように遅くなる。
それは、実際に周りが遅くなっているのではなく。
こちらの視覚が鋭敏になっていて、相手の動きが遅くなったように『見える』わけだ。
同時に、鼻に塗りたくられたかのような濃厚な血の匂いが、オレを襲う。
間近で聴こえる、彼の化生じみた息遣いが、こたえた。
ズンッ!
「……っ!」
それでもオレは、脳天めがけて振り下ろされる大仰な剣を、さっとかわし、間を取って息を整える。
まずこの感覚に慣れないと、オレ自身が参ってしまうかもしれない。
あまり時間はかけられないなと、思わずにはいられなかった。
「もう、やめろ!何でこんな酷いことをしなくちゃならない!」
そして、オレは一番疑問に思っていたことを、訴えるように口にする。
その声は、オレ自身が思っていたよりもずっと悲痛で、目の前の存在を信じたくない気持ちで一杯だった。
「黒陽石ハ……黒陽石はダレにも渡さないッ!」
すぐに返ってきたのは、そんな答え。
仮面のためか、本当に人ならざる者が喋っているようにも聞こえる。
オレはその声を聴いて、より一層悲しくなった。
「どうして? どうして、たかが黒陽石なんかで人を傷つけたってのか?」
「たかが、だとッ! 黒陽石こそ全て、黒陽石こそ、世の理、黒陽石こそ正義なのだゾッ!」
その一言が、無性にしゃくにさわる。
押さえきれない激情が、オレを突き上げた。
「ふざけんなよ! そんなのは正義じゃないだろっ!」
オレは、大声で叫び返す。
目の前で起こっているこの惨劇が、正義のはずはないんだ。
全てのはずはないんだ。
その言葉は、無性に許せなかった。
しかし……。
「き、キサマぁーっ! 黒陽石を侮辱するなあっ! 許さん、殺スッ!」
くっ、しまったっ。
かえって怒らせた!
今度は、両手で剣を構え、横なぎに払ってくる。
それはギリギリかわしたオレの鼻先を掠めていく。
その結果、彼は勢いあまって右から左に体が流され、よろけてしまった。
どうやら、剣の重さについていけないらしい。
チャンスは今だった。
「だあっ!」
オレは刹那、彼の懐に潜り込むと、剣の柄を掴む手を、思い切り蹴り飛ばす。
その勢いに流されるように剣が彼の手から離れていく。
よしっ、これでっ!
いける、と思った時。
彼の仮面の中で見えない視線と、目が合ったような気がした。
その途端、この後どうすればいいのか、何をしたいのか、彼をどうしたいのかが分からなくなっていく……。
オレは耐え切れなくなって、思わず目線を逸らしてしまった。
そして、それがオレのミスに繋がる。
「死ねえッ!」
「なっ?」
まるで新たに出現したかのように、左手に握られている新たな剣。
急に出現したのか、隠し持っていたのか、それは分からない。
気が付くと、それはオレの胸元めがけて振り下ろされていた。
「ぐうぅっ」
その、直撃をしていたら胴を断ち切らんばかりの力に、オレはそのまま吹き飛ばされる。
信じられないほどの力だった。
オレはなんとか勢いを殺すように転がりながら、両腕の傷を確認した。
二の腕の辺りに、抉られたような剣による傷跡がある。
五感が鋭敏になっているためかなりの痛覚があったが、どうやら切り飛ばされるまではいかなかったようだ。
インパクトの瞬間、腕を交差させて身を守ったのが功を奏したらしい。
もともと、斬るよりも叩くほうが向いてそうな武器だったせいもあるだろうけど。
「マダ、生きてるかあッ!」
彼はそう叫び、再び頭を低くして向かってくる。
「くっ」
これは、力の差がありすぎる。
このまま避けてるだけじゃどうにもならない。
オレは、残りの二本のミサンガを見やった。
輪永拳には『夢旅』のさらに上、『醒眉(サビ)』と、『皇醒眉(オオサビ)』が存在する。
『醒眉』は平たく言うと、生きていて普段は使うことのない、火事場の馬鹿力を扱うことができる。
普段は自己防衛のためにセーブしている、身体的な力と、物を考える力のリミッターを外すものである。
『皇醒眉』は、未知の触れざる力の解放だ。
オレは途中で頓挫してしまったから、何とか『醒眉』が使える程度で、『皇醒眉』の詳しいことは分からない。
しかし、それらを使役するのは、多大な勇気がいる。
何しろ、普段は身体にがたが来ないように無意識にセーブしている力を解放するのだ。
使った反動で体が動かなくなるかもしれない。
つまり、その力でどうにもならなかったら、恐らく待っているのは……。
―――その冒険に、護るものはあるか?
その時、ふっとじいちゃんの言葉が浮かんだ。
護るもの、か。
あの時はそんなものないって思っていたけど、今は違った。
まどかちゃんとの約束がある。
中司さんだって、まだ無事かもしれない。
それに、快君だって。
だから……。
オレは決意を込めて。
目の前の変わり果てた彼、快君を見据えた……。
(第33話につづく)
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