第3話 世界一遅れた農業



 夜食を食べ終えた小麦は、これまでの経緯を全て打ち明けた。見ず知らずの彼らに、どうしてそんな事をしたのか理由は分からない。恐らく本能的に目の前の二人を、頼る事が出来ると確信したのだろう。


 自分は純血種の引きこもりである事。信じていた男に裏切られた事。動画による弱みを握られ、どうすることも出来ない事など全てだ。美紀は淡々と、朋子は顔色を赤くしたり青くしながら、彼女の告白を黙って聞く。

 血を吐くような告解を行うと、吐き出した分だけ彼女の心は軽くなった。興奮で眠れないと思っていた彼女は、客間の暖かい布団に入った瞬間、意識を失った。


 翌朝、畳敷きの客間に敷かれた布団の上で、小麦は呆然としていた。一瞬、自分が何処に居るか把握できない。布団を出て障子を開けると、暖かい陽光が部屋の中に入り込んだ。昼夜逆転の生活を続けていた彼女が、朝日を見るのは何か月ぶりだったろうか。

「おはようさん。あの後、朋子さんと話し合ったんじゃがな……」

 部屋の縁側から庭が見える。首からタオルをぶら下げ、歯ブラシを咥えた老人が現れた。

けだものたちに住処を知られているんじゃろ。暫くはマンションに戻らん方が良いようじゃ。お前さんさえ良ければ少しの間、ここに住んでみないか?」

「……はい」


 その瞬間から彼女は、桑原家の居候となった。



 朝食後、朋子と今後の事を打合せする小麦。

「手持ちの現金がほとんど無くって。カードは有るので、コンビニでお金をおろしてきます」

「あら、別に気にしなくていいのよ。家は農家だから作業を手伝って貰えれば、それで大助かりだし。でも着替えとかは必要よねぇ」

「一度部屋に戻って、かき集めてきます」

「それは止めた方が良いわね」

 老婦人はニコリと微笑んだ。


「ああいうクズたちは、獲物を捕まえたら離さないわよ。著作権放棄の書類は送っちゃたんでしょう? その次は、もう少し要求度合いを上げてくるの。それを何回でも繰り返すのよ。そうやって骨までしゃぶられちゃうんだから」

「……そうなんですか?」

「昔のヤクザより、タチが悪いのよねぇ。常態は一般市民の形を取っているから、警察も対応し辛いのよ。うっかり戻って見つかったら、今度は何をされる事やら…… 見た目を気にしなければ、家には作業着が山ほどあるから、それを使って。下着は後で買いに行きましょう」

「……すいません。それにしても朋子さんは、何でそういう事に詳しいのですか? こんなに良い人ばかりが住む、長閑な場所で暮らしているのに」

 老婦人は肩を器用に竦めて見せた。


「大昔の話になるけど私は、TV局のアナウンサーの仕事をしていたの。アンダーグラウンドの取材なんかもしていたから、ちょっとだけそういう事に詳しいのよ」

「!」

 小麦は慌ててスマホで検索をかける。しかし、それらしいヒットは無かった。

「結婚して桑原姓になったけど、その前は……」

 教えて貰った姓名で検索すると、無数にヒットした。画像も沢山残っており、それを見た彼女のスマホを持つ手が震える。今も上品な老婦人であるが、当時はアイドルでも通用する外見を持った、人気のあるアナウンサーだったのだ。


 しかし彼女の志望はバラエティーや、音楽番組のMCではなく硬派の報道ジャーナリストだった。折角の美貌を利用せずに、さまざまな社会現象を報道し続ける。例えば当時は、新しい化学肥料や農薬が脚光を浴びており、衰退していく農業の救世主と考えられていた。

「それでね。ここに世界一遅れた農業を、やっている男がいると聞いたの」



 その男は、最新の化学肥料では無く不衛生な堆肥を用い、病害虫が出ても農薬を使わなかった。

「葉っぱに付いている芋虫なんかを見つけ次第、指で潰しているのよ。どんな野蛮人かと思ったわ」

 その男は、当時の農林水産省や農業協同組合が栽培推奨する、雑種強勢F 1の種子を使わなかった。

「昔から有る古臭い品種を、ずっと護っているのよ。F 1品種の方が大きくて、綺麗なのに。それに種を護るのって、凄い労力がかかるの。全然経済的じゃないんだから」

 その男は、都会から来た小娘がギャンギャン吠え掛かって来ても、ニコニコ笑っているだけだった。

「彼がやっている事が、どんなに非効率的か散々説教したの。でも笑ってばかりで反論して来ないのよ。日本語の分からない外国人かと思っちゃったわ」


 夏場の日陰で、その男は無造作になっていたキュウリを捥ぎ取り、それを朋子に渡した。そのキュウリの表面は白い粉ブルームで覆われていた。

『何よこれ! 薬まみれじゃない』

『これは農薬じゃなくてブルームだ。主成分はキュウリが自分の身を守るために、分泌しているケイ素になる』


 ポクン


 その男は豪快にキュウリを、その場で喰い千切った。ニカリと笑って、食べるように勧める。暑い日に飲み物も持たずに、大騒ぎしていた朋子。喉の渇きに耐えかねて、恐る恐る果実を齧った。大きく目を見開く。


「そのキュウリが、あんまり美味しくてビックリしちゃったの。私が取材の為に詰め込んで来た、頭でっかちの理論なんか吹き飛んじゃう位にね」

 その瑞々しい果実は、スーパーで販売している物と比べて、水分量も多く薫り高かった。野菜が苦手だった彼女が、丸々一本を全て食べきってしまった位である。気のせいだろうか? 蒸し暑い日差しの中、涼風が身体の中を吹き抜けたような気がした。


「それから色々あって、ここに居ついちゃった訳。こんなお婆ちゃんの話、興味無いでしょう?」

 小麦は首を横に振り、先を促した。話続けようとする老婦人を、美紀の言葉が遮る。

「そろそろ作業を始めよう。このままだと日が暮れちまうぞ」


 今日の作業は大豆の種取り作業だった。作業は美紀が主体で行うが、彼の周りを外国からの研修生が取り囲んでいる。大豆の株は根元から切り離され、それを逆さまに吊るして乾燥させてあった。

 枝に張り付いている鞘は良く乾燥していて、少しの衝撃ではぜて豆を飛び散らす。老人は大豆の株をブルーシートの上に重ねて、木製バットや「つちのこ」と呼ばれる叩き道具で大まかに叩き、バラバラと大豆を株から分離させてゆく。


 大豆の収穫作業をボンヤリと見つめる小麦。アフリカ系大男の研修生、リュカに誘われて、彼女も大豆の種取り作業を行った。美紀はノンビリしているように見えて、恐ろしい速さで作業を進めている。彼にスピードを合わせようとして、急ぐ研修生たちを尻目に、小麦はマイペースで作業を続ける。

 彼女の手仕事を見て、感心したように老人は声をかける。

「君たち、そんなに急がんでもええ。スピードはそのうち上がるから、それよりは彼女の様に丁寧は作業を心掛けてくれ。『種をあやす』ようにな」


「出たぁ!!!」


 研修生たちのボルテージが一気に沸騰した。

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