杉ちゃんシャチを見に行く。

増田朋美

杉ちゃんシャチを見に行く。

暑い日から一転、寒い日になってしまった。それが本当なのかもしれないけれど、それがなんだかこんな感じでいいのか疑問視してしまいたく鳴ってしまうほどの世の中なのが、今の世の中なのかもしれない。もちろんそれを口にしてしまうと、変なやつだと言ってタブー視してしまう傾向もあるけれど、やがてはそれも当たり前になってしまうのかなと思われる気がする世の中だった。

その日、杉ちゃんと蘭が用事があって静岡駅から富士駅へ到着し、ちょっと時間があるのでお茶でも飲んでいくかといいながら、駅近くにあったカフェにはいったところ。

「あれえ、杉ちゃんと蘭さんではないですか?」

と、一人の男性が、二人に声をかけてきた。彼は、左腕がなく、着物の左袖はぶらっと下がったままだった。

「あ、お前さんはフック船長。また何か曲を書いて、没になったな。」

と、杉ちゃんが言うと、

「杉ちゃんよくわかりますね。正しくそうです。ピアノの協奏曲を書いてくれと言われて、それを持っていったら、難しすぎるからだめだって、スタッフの方にも叱られました。」

と、フックさんこと、植松淳さんは答えた。

「スタッフの方というと、どこかで演奏される予定だったんですか?」

と蘭が聞くと、

「そうなんです。オーケストラと言っても、そんなに大きな規模の楽団じゃありません。なんでも、沼津市のアマチュアオーケストラだそうです。ちょうど、沼津に水族館ができるから、そこで飼育している鯨にまつわるピアノ協奏曲を作ってくれと言われて、そのとおりにしただけなのに、難しすぎるからだめだって、断られてしまいました。」

フックさんは、申し訳無さそうに言った。

「そういうことなら、スコアを見せてみろ。どれくらい難易度があるか、見てやる。」

杉ちゃんがでかい声でそう言うと、フックさんはこれなんですけどねと言って、A4サイズの茶封筒を差し出した。杉ちゃんと蘭は、その中身を取り出して、スコアを読んでみた。

「そうですねえ。僕は、楽譜をちゃんと読めるわけでは無いが、よし、これを水穂さんのところに持っていけば、すぐに弾いてくれるはずだ。よし、今から、持って行って、調べてもらおう。」

杉ちゃんは楽譜を車椅子のポケットにしまった。フックさんも偉く落ち込んで居るようで、杉ちゃんに楽譜を返してくれとか、そういう事は言わなかった。

「よし!それでは、行くか。」

杉ちゃんは、車椅子を動かして、タクシー乗り場にいってしまった。蘭は、その後用事があって家に帰らなければならなかったので、杉ちゃんにお願いすることにした。杉ちゃんとフックさんは、フックさんが用立てたタクシーに乗って製鉄所に向かっていった。蘭は、よろしく頼むと言って、二人を見送った。

杉ちゃん一行は、製鉄所に登場した。製鉄所では、水穂さんが今日は暑くないので調子がいいのか、ショパンの幻想曲を弾いていた。フックさんが、やっぱりショパンは、人気あるんですねと言って大きなため息を付いた。

「失礼します。こいつがな、また駄作を作って、演奏者に断られたらしいんだ。ちょっと、なんで断られたのか見てやってくれよ。」

杉ちゃんがでかい声でそう言いながら、四畳半にやってきた。水穂さんはピアノを弾くのをやめて、

「駄作なんて言ってはだめですよ。フックさんは一生懸命書いたんでしょうし。」

と言いながら、フックさんのスコアを受け取った。そして、スコアを眺めて、一部をピアノで弾いたりしてくれたので、杉ちゃんもどんな曲なのか理解することができた。

「これは、何をモデルにしたんですか?」

水穂さんは、第1楽章のピアノパートを弾き終えて言った。確かに、古典的なハ短調の音楽なのではあるけれど、作曲家にたとえて言えば、ベートーベンと、ショスタコーヴィチをかけあわせたような作りになっている。

「はい、白鯨という小説を読んで書きました。少なくとも、この第1楽章は。」

フックさんが答えると、

「なら大失敗。」

と杉ちゃんが言った。

「だって、水族館をオープンさせるということでしょう?それにあんな凶暴な鯨の曲を作ってもしょうがないよ。それじゃあ没になるわけだ。良かったねえ、無事に原因がわかって。」

「そうですが、その第2楽章には、鯨への鎮魂歌のつもりで書いたのと、第3楽章は、鯨と人間の共生を書いたつもりだったんです。」

とフックさんは申し訳無さそうに言った。水穂さんは第2楽章と第3楽章のスコアを見て、

「そうですか。確かにそれはよくわかります。ですが、第2楽章もハ短調で、第3楽章だけが変ホ長調という調整では、明らかに重たすぎます。例えば、第2楽章を変ホ長調にして、第3楽章をハ長調というふうにしてみたら、もう少し聞きやすい事になると思います。更にですが、第3楽章のカデンツァが、派手すぎて演奏者に難しすぎます。もう少し、鯨という動物のイメージを考え直したほうが良いと思いますね。」

と説明してくれた。

「そうだよ、この第1楽章は、鯨というより、シャチのほうがイメージしやすいと思う。もちろんシャチだって鯨の仲間だから、それは同じなんだけどね。だけど、こういう恐怖を煽るような曲では、水族館のイメージとは面目丸つぶれだ。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

「そういうことなら、もう一度、書き直してみたらいかがですか?」

水穂さんが優しくそう言うと、

「ですが、もう水族館では曲は採用できないと言われました。これでもう、永久にボツです。このスコアは、もう捨ててしまおうかと思ってるんです。」

と、フックさんは申し訳無さそうに言った。

「捨てないで、とっておいたほうが良いですよ。どこかで、演奏される機会もあるかもしれないじゃないですか。少なくとも、捨ててしまうなんてもったいないです。」

水穂さんに言われてフックさんは、取っておきますとだけ言った。

「まあ失敗は成功の母と言えるからね。それで、次は頑張って書きな。」

と、杉ちゃんはカラカラと笑った。

「でも、フック船長は、鯨のイメージと言うと、白鯨のモビー・ディックみたいな、凶暴なイメージしかなかったの?」

「いやあ、そういうわけでは無いですけどね。でも、今は鯨を捕っては行けないし、結構神聖化されているから、それで鯨の怒りみたいな、そういうものを書きたいと思ったんですよ。まあ、本物の鯨を見た訳では無いし、鯨を食べたことも無いから、イメージが湧かなかった事は確かですけどね。」

杉ちゃんに言われて、フックさんは正直に答える。

「僕も鯨を食べたことはありません。アレルギーで肉は食べられないのです。でも鯨という動物は確かに神聖化されていて、あの、和歌山の太地町でしたっけ、そこで鯨を取る様子が、ドキュメンタリー映画になったということは聞いたことはあります。それほど、鯨は神聖な動物だったのでしょう。」

水穂さんがそういった。

「そうなんですか。それでは、どこかへ取材にいったほうが良かったですかね。鯨という動物を、もう少し、詳しく知っていれば曲も違ったかもしれませんね。」

「なら、いってみるか。」

と、杉ちゃんが言った。

「へ?どこへ?」

フックさんが思わずそう言うと、

「もちろん、鯨にまつわるところだよ。鯨というかイルカとかシャチを飼育しているところはいっぱいあるじゃないか。あわしまマリンパークとか、そこらへんに行ってみたらどう?なんかシャチを飼育していて、なかなか芸達者だと言う話だぜ。もちろん、本物の鯨じゃないけど。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

「そうですか、あわしまマリンパーク。一度も行ったこと無いところですけどね。」

フックさんがそう言うと、

「一度も行ってないの?」

杉ちゃんは外れたように言った。

「はい。子供の頃から、あまり家族で出かけるということはなかったので。」

「ほんじゃあなおさらいったほうが良いな。ちょっとそういう海の人気者を見たほうが良いよ。行ってみよう!」

ということで、話は決まってしまった。それでは翌日、杉ちゃんとフックさんで、あわしまマリンパークに行くことになった。ふたりとも障害があるので、介護タクシーを呼ぶことにした。しかも運転手に手伝ってもらうという条件付きである。こういうときに、運転手に手伝ってもらうというサービスは良いものだった。

翌日。杉ちゃんとフックさんは集合場所である富士駅に行った。二人を、ワゴンタイプのタクシーが、待っていた。運転手はこういうサービスには適正なのだが、ガタイの良い中年男だった。二人が、名前を名乗ると、運転手はすぐに二人を乗せてくれた。

「えーとあわしまマリンパークまで行くんでしたよね。今日は、イルカショーでもあるんですか?それとも楽しみにしているイルカくんでも居るのかな?」

運転手は、タクシーを動かしながら言った。

「ええ、まあそんな感じですね。なんでも、あわしまマリンパークでちょっと心を癒やしたいと思ってな。」

杉ちゃんがそう言うと、

「へえ、変わってますなあ。障害のある方が、水族館に行くというのはなかなか見かけませんでしたよ。まあ、今は時代も変わってきましたからな。いろんな人を乗せたけど、お宅のような二人連れは初めて見ましたなあ。」

と、運転手は楽しそうに言った。

「僕たちが、そんなに楽しいですか?なんかそれも僕らにしてみれば、ちょっとねえ。」

フックさんがそう言うと、運転手はハイと言って、それ以上は杉ちゃんたちの事を言わなかった。とりあえず杉ちゃんたちは、あわしまマリンパークまで連れて行ってくれればそれで良いと言った。あとは適当に気温のこととか、これからもっと暑くなるとか、そういう事を話して、しばらくドライブを続けて、しばらくしてあわしまマリンパークの駐車場にたどり着いた。

あわしまマリンパークの施設まではロープウェイで行くようになっている。杉ちゃんたちもそれで行かなければならない。ロープウェイに車椅子の杉ちゃんが乗るのは大丈夫かとフックさんは心配でしょうがない様子だったが、運転手に車椅子わたり坂を出してもらって、それでなんとかロープウェイに乗り込んだ。すると、杉ちゃんたちの次に若い女性が一人乗り込んできた。両手には、おくるみに包んだ子供さんを抱いていた。その子は、生まれたばかりの赤ちゃんにしてはちょっと大きすぎる気がした。

「こんにちは。」

動き出したロープウェイの中で、杉ちゃんは女性に話しかけた。

「お前さんは、どこから来たんだよ。」

杉ちゃんの発言は、ちょっと乱暴なので、返事をするにはちょっと怖い感じがしてしまうのであった。

「今日はどちらからお見えになりました?」

と、フックさんが言ったので女性はやっと、

「はい。東京です。」

と、答えたのであった。

「ああ、東京なんだねえ。子供さんはいくつなんだよ?」

杉ちゃんはまた聞いた。

「ああ、あの、、、その、、、。」

女性は、申し訳無さそうに言うと、

「僕たちは怖い人ではありません。何も気にしないでください。」

と、フックさんはにこやかに答えた。

「ええ、息子は、もう3歳になります。」

女性はそう答える。

「じゃあ、それで、自分で歩かせないで、抱っこしてるの?ああ、あの僕たちは本当に変な事言ってるわけじゃないからね。僕も、こうして歩けないわけだし、ただ、理由を知りたいだけだよ。それ以外は何も怖がること無い。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

「ええ。もう歩けないって言われてしまって。やがては寝たきりになって、水族館に来ることもできなくなるかなと思いまして、それで連れてきました。」

女性は小さな声で言った。

「なにか持病でもあるのかな?」

杉ちゃんが言うと、

「ええ、そういう事になりますよね。具体的な病名は口にするとこの子が可哀想なので、それはできませんが、、、。やがては、ここに来ることもできなくなると言うことも予測はできますし、悲しい人生になってしまうしか無いんだと思うけど、生きていくしかありませんしね。」

と女性は言った。

「そうなんですか。ここに来ることもできなくなるのですか?それは、なぜでしょう?全く全身が動かない人であっても、介護タクシーなどを利用して旅行することはできますよ。今は、何でもありの時代なんですから。それは、気にしないでも良いのではないでしょうか?そんなふうに、息子さんにここへ来ることもできなくなるなんて言ったら、息子さんが可哀想ではないですか?」

フックさんがそういった。

「そうですかね。私は、できないと思います。このロープウェイにだって乗れないでしょうし、寝たきりの人生で、幸せになることすらできなくなってしまう。私が支えることだって出来なくなるでしょうし。だから、こうして小さくて、だけるうちに、連れてくるしか無いと思いました。」

女性は小さな声で言うのだった。

「いや、そういう事はありません。誰でも、出かける権利はあります。それに寝たきりの人生であったとしても、誰かに手伝ってもらって出かけることは可能です。僕も、彼も、そうやって手伝ってもらってるんですから、それを利用すればいいだけのことです。それをお母さんがだめだとか、可哀想だとか、そういう考えは行けないと思います。」

フックさんはそうはっきりと言った。

「でも、それで悲しい思いをしてしまうことは無いと思うぜ。元に僕らも歩けないけど、こうして観光旅行にこさせてもらってるんだからよ。誰かが悲しい思いをするのではなくて、きっとお前さんの息子さんが教えてくれることだってあらあ。動けない息子さんだからこそ、お前さんができることだってあらあ。そういうことはきっと学べるよ。それを、もう最後だっていう顔で、お前さんが終わりにしてしまうのは酷すぎる。」

杉ちゃんもいうが女性は、なにか決断ができない様子だった。

「それでも、私は、こういう障害のある子というか、この子をうんでしまって申し訳ないような、そんな気持ちもしてしまう。私は、もう仕方ないんですね。」

それと同時に、ロープウェイがあわしまマリンパークに到着した。杉ちゃん一行はまた車椅子わたり坂に乗らせてもらって、ロープウェイを降りた。例の女性もそれを使っておりた。まず初めに、あわしまマリンパークの中にある水族館に行く。マグロやカツオなどのいろんな魚がいて、とても綺麗だった。海の生き物ってこんなきれいなんだろうかと思われるほど綺麗だった。飼育員さんが餌を上げているのを、女性はぼんやりと、眺めているだけだった。

「人間、食べていかなくちゃいけないというのはわかるんですけど、お魚は食べるだけを考えていられれば良いのですから、それでいいですね。この子も、それだけしかできない人間になってしまうのでしょうか。お魚は、いいですね、気楽ですよね。」

女性はそんな事を言っている。

「イルカショー、見に行きましょうか?なんでもここではシャチも飼育していると聞きましたけど、結構芸達者みたいですね。」

フックさんは彼女にそっと言った。

そこで一行はイルカショーが行われているところへ行った。イルカショーはすぐに始まった。確かに大きな体のシャチも一頭飼育されている。イルカが、たまをつついたりジャンプしたり、シャチが音楽にあわせてダンスを踊ったり。どれも楽しいイベントだ。だけど、女性は、楽しそうには見えなかった。

「あの、イルカさんたちも、きっと餌をもらえるから芸をしているんでしょうね。うちの子は、イルカさんのように、芸は何もできない子供になってしまうのかもしれない。それに餌をもらう条件を飲めないかもしれないのです。だって、イルカさんたちは芸をすれば餌をもらえるでしょ。だけど、うちの子は何もできない。人間働かなければ何もできないのに、うちの子は手も足も動かせないから当然何もできないし。本当に生きていて意味があるのかな。私は、申し訳ない気持ちでいっぱいです。」

女性は、息子さんを抱いたまま、そういうのだった。息子さんの方は、もしかしたらイルカさんを見て嬉しいとでも思ってくれているのだろうか、お母さんの腕の中で、ニコニコしているのが見えた。

「まあ確かにそう思ってしまう気持ちはわからないわけでも無いです。だけど、息子さんのことを生きている意味がないと否定してはだめですよ。お母さんなんですから、それはちゃんと修正しないとね。少なくとも、僕たちも不自由な所あるけど、こうしてちゃんとやってるわけですから、息子さんのことを嘆くのではなくて、どうやって生活するかを考えたらいかがですか?」

「そうそう。少なくとも、生まれてきて不幸になるに決まってると思ってはだめだぜ。イルカさんたちだって、ただ餌がほしいから芸をするわけでも無いと思うよ。きっと楽しい気持ちがあるんじゃないかな。だから、今でもここに居るんだ。それはイルカもシャチも、僕らも同じようなもんだぜ。」

杉ちゃんとフックさんは、そう言って彼女を励ました。お母さんは涙をこぼして泣いていたが、イルカさんたちや大きな体のシャチが一生懸命芸をしているのを見て、考え直してくれたようであった。もしかしたら今は泣くことしかできないのかもしれない。杉ちゃんたちはそれ以上何も言わないで、彼女がイルカショーを眺めているそばにずっといてあげた。

イルカショーが終わると、彼女は東京へ帰りますと言った。そこで杉ちゃんたちも帰ることにした。そこでまたロープウェイに乗る。その時もお母さんは何も言わなかった。杉ちゃんたちも何も言わなかった。

「じゃあ、お体に気をつけてな。くれぐれも無理だけはするなよ。それでは、またどっかで会おうな。」

杉ちゃんがでかい声でそう言うと、女性はありがとうございますと言って、杉ちゃんたちが介護タクシーに乗り込んでいくのをずっと眺めていた。介護タクシーに乗り込んだフックさんは、急に五線紙を出してなにか書き始めた。感動的なことがあると、こういう人は筆が止まらなくなるのである。杉ちゃんはあえて彼を止めなかった。そして杉ちゃんたちが富士駅へ到着する頃、フックさんは書くのを止めた。

「今度は鯨の怖さではなくて、鯨の優しさを書いてみました。今度こそ採用されるといいな。」

杉ちゃんは何も言わなかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

杉ちゃんシャチを見に行く。 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る