『狐の妖怪』

「妖怪退治……?」


 ノアは使徒の肩から手を離す。


「ええ。貴女の身体は妖怪退治用に特別なチューニングが施されてあります、なので貴女が妖怪退治に向かうのは必然と言えるでしょう。断らないで下さいね」

「何というか上から目線ですね」

「実際に身共の方が立場が上なので。それに、我々は貴女の夢を叶えてあげました。豪華な家も、困ることのない食料も与えています」

「そう言う貸し借りや立場の問題じゃありません! 貴女の口調から、私のことをただの一労働者としか思ってないのが痛いほど感じ取れるんですよ。寂しいです、私」

「事実でしょう?」

「だとしても、私は貴女との縁も大切にしたい。良い人との出会いは無駄にしたくないんです。だから、労働者と使用者という超えられない壁がある関係じゃなくて、もっと親密な関係になりたいです」

「……考えたことなかったです。身共と転生者が、友達、だなんて」


 使徒は顎に手を当て、眉間にしわを寄せる。今まで真顔を貫いていただけに、そんな些細な感情の変化を垣間見たノアはかなりの喜びを感じている。


「ということは私が友達第一号ですね!? 嬉しいです、よろしくお願いしますね!」

「いえまだそうなるとは言ってな――」


 ノアは使徒の手を両手で握り込み、上下に振り回す。すると使徒の顔は少し赤らみ、口元の緩みに抗おうとしているのか口をもごもごさせる。


「というか、身共は普段議会で公務に勤しんでいるのでここに来る機会はそう多くないですよ」

「そ、そうですか……残念」


 手を離して落ち込むノアを見て使徒は深く息を吸い、短く吐く。


「……今日は早退しましょうかね」

「!!」


 使徒はスマートフォンを取り出し、親指を画面に忙しなく滑らせる。


「もうかれこれ五十年は休みなく働き続けてました、なので一日ぐらい許してくれるでしょう」

「それだけ働いてるなら一日と言わず一週間ぐらい休んでもいいのでは?」

「私にしか出来ない仕事が山ほどあるのでそれは無理ですね。この一日だって通るかどうか――」


 その時、使徒の携帯からブザー音が鳴る。一瞬で応答ボタンを押して携帯を耳に当てた使徒の顔が、真顔から驚きの表情に変わるのは早かった。


「はい……はい、分かりました。すぐに対処します」


 携帯を懐に仕舞う使徒。使徒は真顔でノアに向き直る。


「貴女から見て北東171メートル先に、妖怪が現れようとしています。退治に行きましょう」

「でも私、まだ戦ったこと無いですよ」

「貴女に必要とされているのは『退治してやる』っていう意思を持つことだけです。後は身体が何とかしてくれます」

「……それともう一つ。休みは取れました?」

「妖怪退治に成功し次第直帰していいとのことです」

「それじゃテキパキ済ませましょう! 50年ぶりの休みです、一分一秒とて無駄に出来ませんしね」

「そうですね、では行きましょう」


 ノアは使徒の後を追い、駆け足で屋敷を出る。それから走る事数十秒。ノアと使徒は、辺り一面の水田が広がる農地の奥に黒いモヤモヤがあるのを見る。


「あれが妖怪ですか? 実体が見えませんが」

「近くに行けば分かります。しかし水田を渡って向こうに行くワケにも行きませんし、ここは身共が転送しましょう」


 使徒はノアの肩に右手を置き、左手で手印を結ぶ。


「頑張ってくださいね、身共はここで見てますから」


 使徒が手印を結んだ手を軽く振ると、ノアの身体は一瞬で妖怪の目の前に転送される。突然妖怪が目の前に現れたノアは大層驚くも、妖怪を視認した瞬間にノアの身体は戦闘態勢に入る。


「無銘金重!」


 ノアの呼びかけに応え、屋敷のある方角から一本の剣が飛んで来る。ノアは見事にそれをキャッチし、鞘から刀身を抜いて構える。


(私に求められているのは、この妖怪を倒してやろうという強い心だ。ならば集中しろ、ノア。私はなんとしても、奴を斬らねばならないのだ)


 覚悟を決めたノアの身体は動き出し、それと同時に妖怪の身体を包んでいた黒い霧が晴れる。そこにいたのは四本足で立つ狐の形をした黒い影で、影はスッと立ち上がり両腕を膨張させる。


(狐の妖怪! 立ち上がると私の背を優に超すほどの大きな妖怪で、しかも腕っ節も強そう。けど、いくら腕力が強くても切り落としちゃえば問題ないよね)


 ノアは妖怪に向けて走り出し、狐妖怪が突き出す拳をひらりと避ける。それからノアは狐の前腕を剣で切り落とし、そのまま一歩踏み込んで狐の頭を落とす。


(やった……ワケでも無さそう)


 狐の頭は地面に落ちる前にふわふわと浮き、切断面にピッタリくっつく。頭のズレを両手で直した狐は唸り声を上げながらノアを激しく睨み付ける。


「うっ!?」


 初めて自分に向けられた凄まじい憎悪に驚くノア。途端に刀を持つ手が震えだし、ノアは刀に重みを感じるようになる。その隙を狐は見逃さなかった。


 狐は一瞬で距離を詰め、ノアの顎にアッパーを喰らわせて宙に浮かせる。そうして宙に浮いたノアの身体が地に落ちるまでの一瞬の間に、狐は何発も彼女の身体に拳をたたき込む。


 背中から地面に激突したノアは口から血を吐き、意識を失うまいと必死に目を開けようとする。狐はノアに馬乗りになり、右手を鋭い錐に変えて大きく後ろに引く。


(油断した。人外だろうとそりゃあ、自分に痛い思いをさせた相手には怒りを向けるよな。知ってたけど、いざ向けられる側になると驚いてしまう)


 ノアは狐の顔面に張り手をして横に倒し、起き上がって再び剣を構える。


(向けられた怒りに気分を揺さぶられない為にはもうそれに慣れるしかない。今はもう、気をしっかり持てノア!)


 息を強く吐くノア。そんなノアはふと、狐の姿に向きと角度がそれぞれちがう三本の斜線をうっすらと見いだす。紫色の細いそれは、ノアの脳内にそれが『妖怪の弱点』である事を理解させた。


(弱点見たり! あとは一気呵成に押し通る!)


 ノアは大きく一歩踏み出し、狐に向けて刀を振り下ろそうとする。それを受け狐は腕を二本増やしてノアの腹を高速で何度も殴るが、それがノアの動きを止める事はなかった。


 狐の身体にはそのまま刀が振り下ろされ、三本の斜線は一斉に切断される。線を切られた狐の身体からは白い炎が吹き出し、やがてその身体は塵となって消滅した。

 

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