予想していた展開とは大分違っていた件につきまして。






 核心を突くような質問に、ぎくりと肩を揺らしてしまう。


「……ユル様、離してください……」


 暫し間を空けてその胸を押せば、彼は意固地を張るわけでもなく、そのまま手を離した。


「……先生」


 顔を上げると、彼は感情を左程見せないユルが、その目に一抹の不安を灯して私を見下ろしていた。


「俺は先生がしたいことを、止める気はありません。だけど」


 ユルが淡々と告げながら、私の髪を軽く耳にかける。長い前髪が、目の前から消えて、ユルの顔がはっきりと見える。


 赤紫に揺らめく髪の毛の下、翠色の眼が困惑した私の顔を映し出していた。


「もしも次に何かするときは、俺を連れて行ってください」

「ゆ……」

「お願いです」


 遮られて、名前すら呼べなかった。


「もう、あんな思いは嫌なのです」


 もしかしたら、これは切実な願いだったのかもしれない。


 けれど私は何も返事が出来なかった。


「…………」


 いつもだったらここで、考えておきますねって流すことだって出来るのに。

 この形容し難い空気に呑まれてしまって、私はただその願いを受け止めるだけだった。







 ◇


 もしかしたら、私はこの十一年で、彼らの身の回りに起こった出来事について、もう少し詳しく知るべきなのかもしれない。

 再教育したからと言って、時の流れが白愛の小説……つまり原作に忠実なら、私は一年後に殺される。

 けれど、その肝心の原作はねじれにねじれている。


 もしも時間の流れが忠実だったなら、一年後にルーナは三十歳になっていて、黒龍の封印を解き、共に国を壊滅寸前まで導くが、その時、ルスエルたちに殺される。


 しかし現在、私は十八歳のままだし、黒龍も封印ではなく恐らく投獄されている。


 ルスエルたちの私に対する好感だって、多少なりとも違うだろう。


 その証拠に、今だって私は足枷をつけたまま部屋の中から窓の外を眺めている。

 どうしてこうなったのか、わかるような気もするし、わからないような気もする。

 なんでルスエルたちは、私の封印を解いてしまったんだろう。




「はあ……」


 溜息を吐きながら、窓の縁に頬杖を突く。

 唇には薬用のクリームを塗ったから、ひりひりも痛みは消えたけど、ユルとのやり取りはちょっと胸にもやもやを残した。


「だから、あれほど言ったではないですか。遠心魔法がかかっているから、動きづらいって」


 ふいに出入口近くから声を掛けられた。

 振り返ると、何やらトレーを持ったルスエルが立っている。

 何故そんな使用人がするようなことをしているんだろう。

 仮にも彼は、王太子だと言うのに。


「ルスエル様、どうかされたのですか?」

「ルーナが塞ぎ込んでいると聞いて、スイーツを持ってきました」


 ルスエルは私の傍まで歩いて来ると、近くにあった丸テーブルにそのトレーを置いた。

 トレーの上には、艶のあるフルーツのゼリーや、白色のクリームを基調としたカップケーキなどが置いてある。


「お、おいしそう……」

「ルーナは甘い物が好きでしたよね。良ければ食べてください」

「えっ! いいんですか⁉︎」


 はしゃぐように言った後、はっとする。私はすぐさま咳払いをして椅子に座り直した。


「よ、よく覚えていましたね」


 そんなにルスエルたちの前で甘い物を食べていたっけ? 


 不思議に思っていると、ルスエルはくすりと笑って「そんなの当たり前ですよ」と答えた。


「あなたのことですから」

「そ、うですか……」


 ルスエルにとって、何の変哲もない返事なのかもしれないけど、さっきの今でなんだか返事がぎこちなくなる。


 ルスエルたちは、私にどれほどの情を抱いてくれているのだろう?


 当たり前のように親切にしてくれるルスエルの姿を見ていると、今後の起こり得る可能性の全てを疑いたくなる。


 だってこの人が、いつか私を殺そうとするかもしれないんだもの。


 物語の強制力がどれほどのものかは知らないけれど、私がこうやって目を覚ましてしまったのも、少なからずその力が反映されたものだろう。


 どれだけ私が彼らに優しく接しても、いくら彼らが私に親切にしてくれたとしても。


 結局、意味のないことだったら……?


 再教育とは言ったものの、それが正しいっていう保証なんてどこにも……。


「? 食べる気分ではありませんでしたか?」

「いいえ、そんなことはありません!」


 あはは、と笑って椅子に座り直す。

 そしてすぐさま、スプーンでゼリーを口に運んだ。


「ん! このゼリー、美味しいですね!」

「本当ですか? 実はルーナのために俺が……」

「俺が?」

「い、いえ。使用人に作らせたのです、ルーナに少しでも楽しいことを届けたくて」


 ルスエルは言い直すようにして、テーブルの上で手のひらを組んだ。少し焦っている気もする。


 どうしたんだろう……?


 私はその様子を眺めながら、「あの、ルスエル様」と口を開いた。


「聞いてもよろしいですか?」

「はい、なんですか?」

「単刀直入に聞きたいのですが、何故、私たちの封印を解いたのでしょう」


 ルスエルの顔から、ほんのわずかな微笑みが消える。 

 

 私たち、というのは黒龍と私のだ。


「……どうして、そのようなことが気になるのですか」


 微かに冷ややかな口調で訊ね返される。ほんのり圧を感じて、私はごくりと息を呑んだ。


「……正直に申し上げると、封印を解いた意味がわからないからです」


 俯きながら答える私に、ルスエルは「続けてください」と一言


「国の脅威でもある魔獣の封印を解くことは、反逆罪と捉えられかねません。何故そのようなことをされたのか、理解が出来ないのです」


 ヒロインを愛し、この国を守ることが、彼らの最優先事項な筈だ。


 それなのに、どうして。


「……あなたは自分より、この国の方が大切だったとでも言うのですか」


 ルスエルの問いに、私は「え?」と顔を上げる。


「あ、まあ……はい」


 正直、国のことなんて気にしていなかった。


 どうせ一〇〇年後にならないと目覚めないんだから、起床後の黒龍をどうするかが問題だな、とか。そんなことくらいしか考えていなかったんだけど……。


 予想していなかった質問に、適当に頷いてしまえば、彼は傷ついたような顔をして「あなたはまたそうやって……」と呟いた。


「ルスエル様……?」


 首を傾げると、ルスエルは再び微笑むように私を見た。


「……あなたは理解が出来ないと言いましたが、簡単な話です」


 先ほど見えた、一瞬の傷ついた表情は見間違えだったのかも知れないと思うほどに。


「国とあなたを天秤にかけた時、あなたを選んだ」

「…………」

「ただ、それだけの話です」







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