もしかしたら全て見抜かれているかもしれない件につきまして。
◇
あの時から、私の黒龍へ対する興味が変わったような気がする。
それまではどうしても避けなければと思っていたけど、出会ってしまったなら仕方のないことだしな、と開き直り始めたのも記憶に新しい。
「考えごとですか?」
目の前に立つユルが、ゆっくりと私の顔のラインに手を掛けた。その触り方がやけにくすぐったくて、少しだけ目を閉じてしまいそうになる。
「先生はいつも何かを考えてますね」
「なんかそれ、同じようなことをソルフィナ様にも言われたな……」
あはは、と半笑いで告げると、彼は「みんなが思っていることです」と彼は当然のように答えた。
「あなたはいつだって、大切なことを秘密にしていますから」
「…………」
「……なんですか、そんなに人の顔をじろじろと見て」
ユルは少しだけ眉根を寄せた。線が細い顔は、女性と見紛うほど中性的だ。
目覚めてすぐに顔を見た時、昔よりも表情が乏しくなったように見えた気もしたけど、そうじゃないのかもしれない。
そういう不快そうな顔もするんだな。
「いや、なんか変わらないなと思って」
「……そうですか?」
「はい。ユル様はなんていうか、子供の頃から大人びていたので……」
返事をする私の顎をぐいっと上げて「薬を塗ります」と彼は指先で私の唇を撫でた。
「……これじゃ、どっちが先生かわかったもんじゃないですね」
無言で手当てをしてくれているユルにそう告げれば、彼はゆっくりと瞼を上げて私と目を合わせた。
「あなたより、俺の方が年上になりましたから」
「ユル様は、今いくつでしたっけ?」
「二十歳になります」
「……若いですね」
「先生の方が若いですけど」
「見た目年齢は……確かに」
「今の先生に言われると、なんだか変な感じですね」
ユルはそう言いながら「それより」と少し首を傾けた。
「あまり話さないで貰えますか? 塗りにくいので」
「あ、ごめんなさい……」
ぐっと唇を閉じれば、ユルが引き続き私の唇を見下ろした。
塗りにくいと言いつつ、全く薬を塗る素振りを見せないので不思議に思ってしまう。
「……ユル様?」
「……」
「薬は塗らないのですか?」
「……先ほどのキスについてですが」
さっきの事故のような事件のような出来事を、頑なにキスというユルに「いやだから」とすぐさま手を横に振った。
「あれはキスではなく……」
「先生は嫌ではなかったのですか?」
「え?」
瞬きをすると、ユルは「正直」と言葉を続けた。
「目覚めたばかりで、先生は状況をまだ把握できていないのだと思いますが」
「…………」
「この十一年、俺たちはずっとあなたを待ち焦がれていました」
表情は変わらずに。声音だけが切なげに。
「その意味がわかりますか?」
わかりますかと。
そう訊かれたら、逃げ道がない。だって、わからないでもないから。
私は生きるために、あなたたちから逃げたくてたまらないけれど。
でも、ほんの少しの寂しさもなかったと言ったら嘘になる。
だって、みんなに魔法を教えながら、楽しいこともあったから。
少しでも築いてしまった絆を、手放すのは惜しいなって思わないこともなかったから。
だけど、そんな風に考えたら駄目だと言うこともわかっている。
私のような悪役が、主人公たちと共存なんて出来っこないもの。
「ルスエル様が何故、あなたに足枷をつけたのか」
余計な感情なんて抱いたらいけないのに。
「ソルフィナ様が、どうしてあなたにあんな態度を取ったのか」
情も思い出も、全てを捨て去る覚悟はとっくに出来ていると思っていたのに。
「あなたを忘れた日はありません。寝ても覚めても、考えるのはあなたのことばかりで。ルスもソルも、皆がそうだったと思います」
その翠色の目が切なげに揺れる。どういう反応をするのが正しいのかわからず、私はただ見上げるしか出来なかった。
「でも」
私にとってユルたちの再教育は、私に今後待ち受けているであろう脅威が少しでも薄れてくれるなら、どんな仕上がりでよかった。
もっと適当でよかったのに。
「それほど焦がれているのに、俺たちはあなたが信用は出来ないのです」
別に仲良くならなくても、嫌われたままでも。
「教えてください、先生。あなたは、どうしてあの時、自らを封印したのですか」
いざ私を殺したくなった時、少しでも憐れみを持ってくれれば、それだけで。
「……それは、そうするしかなかったからで、たまたま……」
「たまたま? 俺には、そう仕向けたようにしか見えませんでした」
「で、でもユル様も黒龍がどれほど強いのかはご存知ですよね?」
誤魔化すように訊ね返せば、彼は当たり前のように「先生だって強いです」と答えた。
「そう、俺に言ってくれたじゃないですか。あれは嘘だったのですか?」
「嘘と言うか……単純に、魔獣相手には敵わなかったってだけです」
「本気で言っていますか」
「……本気ですよ」
にっこりといつものように微笑めば、怪訝そうに眉根を寄せた。
きっと私がユルにとって、気に食わない答えを出してしまったのだと思う。
「…………」
「ユル様? どうかしたのですか」
「いえ。ただ、あなたには、何を言っても無駄だってことを今さら思い出しただけです」
「酷い言い方しますね……別に何を言っても無駄なわけじゃないですよ。私は、ただ……」
本当のことを言っただけで、と続けようとしたその時、ユルが私の前髪を梳くようにして、私の後頭部に手を回した。
そして瞬間、頭を引かれてそのまま胸に押し付けられる。
「な……ゆ……っ」
ユルの名前を呼ぶ前に、肩に回った腕に力がこもった。
突然の衝撃で目を見開くと、「周りくどい言い方はやめます」とユルが呟くように告げた。
「今だって腹は立っているんです。ずっとあなたが許せなくて、眠れない日々もありました」
淡々という物言いは変わらないのに、抱き締める力が段々と強くなっていった。
「聞きたいことがたくさんあります」
「ゆ、ユル……」
「何故、俺たちを置いて行ったのですか」
私を痛いほど抱き締めながら、彼は訊ねていく。
「どうして、逃げようとしているのですか」
どうして、わかっているんだろう。
「どうして、本気で答えてくれようとしないのですか」
あの頃は、そんな素ぶり見せてこなかったはずなのに。
「一体、何に怯えているのですか」
私や彼らの他愛のない話の中で、私は何か油断してしまったんだろうか。
「ルーナ」
ユルがしっかり名前を呼んで、私の耳元で最後にこう問いかけた。
「あなたはあの時、本当にたまたま自らを封印したのですか?」
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