教え子の成長を、嬉しく思い始めた件につきまして。
◇
北部鉱山に足を踏み入れると、辺り一面が氷だらけで、見ているだけで身震いが止まらなかった。
そもそも黒龍ってどんな姿をしているって描写があったっけ……?
そもそも寒さには弱い、なんて書いてなかったから、こう言った場所にも平気で住めるんだろうな。
「ルーナさん、痕跡は見えそうですか?」
「うーん。この鍾乳洞の近くに、確かに薄っすら感じるものはあるんですけどね……」
垂れ下がった白い氷柱を見上げて、『さて』と腰に手を当てた。
ひとまず、それらしいことを言っておけば大丈夫だろう。
正直、ここで切り上げてしまいたいし……。
それに恐らくこのまま進んで行けば、黒龍と遭遇する確率は高い。
もし出会ったとして、私たちが無事で帰れる保証もない上に、そもそも私は黒龍に会いたくないのだ。
もしここで顔を合わせをしたとして、死亡ルートへの道にまた一歩近づくことになってしまったら、今まで努力が水の泡になってしまう。
「私の力じゃ、なんとも」
「ルーナさんでもわかりづらいんですね……」
へらりと笑いながら頭を掻けば、ライリーは残念そうに眉を下げた。
すると、その時。
「ここからはわかれ道になっています! 二手に分かれましょう」
ライリーの困った呟きをかき消すように、遠くから声がかかった。
黒龍に近づけていることに高ぶっているのか。
意気揚々としている魔獣の研究科たちに、命は惜しくないのか、と問いたかった。
「弱った黒龍をこの目で見ることが出来るのかも知れないと思うと、楽しみで仕方ありませんな」
「知っていますか? 黒龍の鱗には桁違いの魔力が詰まっているそうで……」
和気あいあいと会話を交わす感じから見るに、何か手柄を一つでも得ないと引き返しそうにもないな……。
溜息が零れそうになりつつ横目にユルを見ると、彼は遠くを眺めるようにして、私たちの頭上から垂れ下がる氷の氷柱を眺めていた。
「ユル様、一緒に行きましょうか」
「……」
ユルは返事をしないまま、歩き出した。
特に断られなかったので、勝手について行くことにする。
この子は主人公のひとりなんだから。絶対におかしなことが起きないようにしなくては。
「ルーナさん。僕たちは左側の道へ行こうかと思うのですが……ルーナさんたちはどうしますか?」
ライリーが左側の道の前で、私に向かってそう声をかけてきた。
「左の道ですか……」
ナイスすぎる!
だって右の道から黒龍の痕跡が見られたから、私もちょうどそちらがいいと思っていたところだったのだ。
「ユル様、私たちもあちらへ……ユル様? あ、ユル様! 待ってください!」
気づけば、右側の道へ他の大人たちと共に、ユルは向かっていった。
し、しまった! ちょっと目を離した隙に!
「ごめんなさい、ライリー様! ユル様を追いかけるので、ひとまず私、こっち側に行きますね!」
「あ、はい! 魔塔主様も公子様を優先してとおっしゃっていたので、気にしないでください!」
「はい。では! また外でお会いしましょう!」
手を振って、そのままユルの後を追う。
出来れば行きたくなかったけれど、ユルが向かってしまったなら仕方ない。
さり気なく理由をつけて引き返す算段を立てなければ!
「それにしてもさすが公子様でございます。近隣の魔獣のみならず、黒龍の調査を自ら買って出ますとは」
「さすが、魔獣研究の第一人者である公爵様の息子ですな」
寄ってたかって、ユルを持ち上げる魔法魔術の研究家たちを目に映しながら、小説の内容を思い返していた。
確か原作によれば、グルーヴァー公爵は、一度、魔塔と対立し合う仲になる。
多くの魔獣を利用した公爵は、魔塔主は一生癒えることのない負傷を負わせることに成功する。
その際、魔塔主は世界最強の魔法師という座をこのルーナに譲ることになるのだ。
ルーナは確か、公爵側について魔塔主を倒すための知恵を与えるんだったっけ?
よく考えたら、自分のためならなんだってするキャラだったよな、ルーナって。
まあ、悪役としては間違っちゃいないんだけど……。
私だったら、グルーヴァー公爵とはあまり関りたくはないなぁ……。
「公子様、どうですかな。ここでひとつ、我々にも公子様の得意な魔法を見せていただけませんか?」
魔法が使える王族や貴族はわずかだ。
ルスエルもソルフィナもユルも、魔力が発症しているが、必ずしも与えられるものではない。
例えば現国王陛下はただの人間で、ルスエルの母、皇后陛下も人間だ。
ルスエルの場合は、皇后陛下の母親が魔力持ちで、ソルフィナの場合は彼の母親が魔力持ちだったから引き継いだのだ。
ユルの場合も母親が魔力持ちであり、ルーナ自身は家系が魔力持ちの純血種だった。
恐らく魔塔主も同じだろう。
大昔は異端者だと魔力持ちは迫害されていたけれど、今は人間と共存し、むしろその力を人々は羨むまでになった。とはいえ、身分が一番に尊重されることは変わらないので、魔法が使えるからと言って偉いと言うわけでもない。
だから時に、魔力を持つ者は皆の見世物として芸にいそしまなければならない。
「わかりました。まだ、すこしの魔法しか使えないのですが……」
……と言っても、どうしてこの中で一番身分の高いはずのユルが、彼らの好奇心の穴埋めをしなければならないのか。
彼らはユルを笑いものにしたいわけではなく、ここで魔法の一つや二つを褒めて、ただよい印象を与えたいだけなのかもしれないけれど。
「なりません、ユル様。この場所で魔力を不用意に使用しないでください」
口出しした私を、ユルや辺りにいた大人たちも一斉に見た。
もちろん貴族同士の会話に、何の変哲もない魔法師が割って入るなど無礼極まりないだろう。
「なんだと……急に話に割って入るとは、おまえ何者だ。魔法師か?」
「はい。王宮の魔法師でございます。お話に割って入って大変申し訳ございませんが、この辺りは黒龍の瘴気が薄っすらと感じられます。少しでも魔力を使用してしまえば、瘴気と干渉してしまう恐れがあるので気をつけていただきたく……」
「干渉だと?」
ふん、とひげ面を不愉快そうに顰めるのは、どこかで見たことある魔法魔術の研究家の貴族だ。
「たかが王宮魔法師が何を知ったか振って……どこに瘴気が溢れているって言うのだ。もしもそれが本当の話なら、我々はこの鍾乳洞に足を踏み入れただけで息さえ出来ていない筈だが」
知ったか振ってという言葉をそっくりそのまま返してやりたい。
ケラケラと笑い合う彼らは、本当に浅い知識で黒龍を追って来たのだとすれば本当に呆れる。
こんなやつらと調査だなんて、魔塔主に今度文句を言ってやらなければ。
「私はたかが王魔法師でございますが、相手は世界で最も力のある魔獣です。どうかご理解ください」
頭を下げる私に、彼らは大きく舌打ちをした。
「お前のようなつまらん魔法師が王宮入りとは、魔塔に所属する魔法師もずいぶんと落ちぶれたもんだな」
興ざめだ、とばかりに歩いて行くその人につられて、ぞろぞろと辺りにいた大人たちが歩いて行く。
「公子様、魔法については後でじっくり話しましょう」
そして、先頭にいた男がユルに耳打ちをして去っていく姿を見て、深い溜息が零れた。
子供を相手に何、媚びを売っているんだか。
もしも力が欲しいなら、グルーヴァー公爵本人に、媚び諂ってくればいいものの。
「……」
ユルは今の状況がどういう意味を差しているのか、わかっていたのだろうか?
……わかっているんだろうな。いくら幼いとはいえ、ユルは頭がよく、察しのいい子供として小説では描かれていたもの。
「……ユル様、ひとつよろしいですか?」
ゆっくりとこちらを見上げたユルは、「なんですか」と静かに答えた。
その声音には、特に何の感情も感じられない。
この鍾乳洞のように、ただただ冷え切っているだけ。
「魔法が得意なのは結構ですが、決して見せびらかすものではありません、って以前授業で言いませんでしたか?」
「……覚えてはいます」
「だったらどうして守らなかったのですか?」
まさかそんなことを聞かれるとは思っていなかったのだろう。ユルは少し驚いたように目を見張った後。
「期待を裏切ってはいけませんから」
迷いなくそう答えた。
「だって、そういうものですよね。あの人たちは公子としての俺に期待をしている。だから、それにこたえるのは当然だと思うのですが、何か間違っていますか?」
小説の主人公だからと言って、こんなに小さい頃から、察しがいいキャラ出なくてはいけなかったのだろうか。
もっとのびのびと子供時代を過ごしていたら、あんなにヒロインだけを追い求めてるような主人公たちにはならなかったのではないだろうか。そんな風に思えて仕方がない。
『白愛』は終始暗め小説だったけれど、主人公たちが小さな幸せを感じる描写は、結構好きだったんだけどな……。
「ユル様」
「なんですか」
「魔法は奇跡ののような力だと言ったことは覚えていますか?」
「……はい、ソルが……ソルフィナ様が、いたずらでルスエル様を怪我させそうになった時に聞きました」
「ユル様は本当に記憶力がいいですね、その通りです」
以前、授業の中でソルフィナがルスエルの足を魔法でひっかけて遊んだ際に注意した時のことだ。
その時に魔法は決して、誰かに危害を加えるために使用するものではないということを教えたのだ。
「与えられたこの力は、皆が持っているものではありません。だからと言って、持っている人が、持っていない人たちのために、施しを与えるための道具でもありません」
「…………」
「奇跡とはそう何度も起こりません。魔法だって万能ではないのです。やれることもあれば、出来ないこともあります。知らず知らずの内に頼りきりになってしまえば、身を滅ぼす可能性だって、十分あることを覚えておいてください」
ユルがじっと私を見上げている。
翠色の瞳に、氷柱の光が反射して揺らめいているようにも見える。
私の言葉をきちんと理解しているのかはわからないけれど、目を逸らさないと言うことは少しは伝わっていると思ってもいいのかもしれない。
私は息を吐いて「つまりですね」と腰を曲げた。
急に距離を縮めてにっこりと微笑む私に、ユルは驚いたのか、びくっとしながら少しだけ後ろに下がった。
「あんな風に、頼まれたから見せるような力ではないということです。あなた自身が納得していない状態で、むやみに使ってしまうと、ありがたみが感じられなくなってしまいますよ」
「……先生だって、ソルたちに使ってるのに……」
「あれは愛を持って使っているからいいんです」
「…………」
言い切る私に、ユルは納得したのかしていないのかわからないような顔で「変なの」と呟いた。
「先生、そんな風に話せるなら、さっきの大人たちに言い返してやればよかったのに」
「さっきの大人? 言い返すって、何をですか?」
はて。という顔をしていれば、ユルは「先生が気にしてないならいい」と踵を返して歩き出した。
まさか、さっき散々嫌味を言われたから、それに対して言っているのかな?
少し首を傾げて、ユルの後姿を眺めてしまう。
だとしたら……そうだな。ちょっとだけ。
「待ってください、もしかして私を心配してくださったんですか?」
「心配したのではなく、先生って、頭の回転が速いときと遅いときの差が激しいのかなって」
「……ユル様、それはちょっと傷つきますよ……」
そこはかとなく、魔塔主の毒舌に似たものを感じつつ。
ちょっとだけ……嬉しい気持ちになりつつ、私はユルの隣についたのだった。
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