元最推しが、私の脅威になるかもしれない件につきまして。





 ◇


 聳え立つ白銀の山を見上げながら、私は真っ白な息を吐き出した。


 この北部鉱山は、普通の人間ならばものの数分ほどの滞在で凍傷を患ってしまうほどの極寒で、私たち魔法師でさえ防護魔法をかけたところで普通に真冬日並みに寒い場所だ。


 そのため、日頃から立ち寄る人たちも殆どいない。

 きっと黒龍も、余計な敵が近づかないようこの場所に逃げ込んだのだと思う。

 それにしたって、暑いも寒いも嫌いな私からすると本当に地獄なんだけど……。


「ゆ、ユル様は……だ、大丈夫、ですか?」


 声が裏返りそうになりながら訊ねる。

 私の目線の下にはもこもこに着こんだユルが「別に」といつものようにつんと言い退けた。


「大した寒さではありません」

「…………」


 えぇ! そんなテディベアのようなまんまるさで言われましても~~!

 という心の声はひとまず呑み込んで、私は咳ばらいをしながらしゃがみ込んだ。


「防護魔法はかけておきましたが、本当に厳しい時は我慢しないでくださいね。ユル様はまだ我儘を言っていいお年なんですから」

「…………」


 怪訝そうな顔をしながら「そういうのやめてください」とそのまま彼は顔を背けた。

 ルスエルのような純粋さもなく、ソルフィナのように気持ちを素直に表に曝け出すタイプでもない。

 正直、この子がここまで捻くれちゃったのって絶対に父親のせいでしょ……。

 二次創作の中での捻くれキャラって大好きだけど、こんな風に目の前にいると、ちょっと心配だ。


「ルーナさん!」

「あ、ライリー様」


 遠くに集まっている人の輪からライリーが駆け付けてくる。

 ここには何人かの魔法師とグルーヴァー公爵が手配した騎士、そして魔法魔術を始めとした魔獣の研究家が来ている。


 思った以上の人の多さに、黒龍も大変だなと改めて思う。彼らは黒龍の力を始め、弱みや隠れ家など、なんでもいいからほんの微かな情報でも得たくて必死に黒龍を追っているようだった。


 そりゃまあ、世界最強の魔獣ときたらみんな気になるんだろうけど……。


「準備が整いましたよ。さっそく鉱山に入りましょう」

「あ、ちょっとその前にお聞きしていいですか?」

「はい? なんでしょう?」


 ライリーは眼鏡を曇らせながら首を傾げた。そのまんまるの頭には耳当てがついている。

 北部鉱山に行くとわかったので、早急に寒さ対策をしようと試みた。

 まず耳当てとカイロは必須だし、私は腹巻さえ巻いている。

 自作の耳当てをライリーにあげたら「なんでしょう? この不思議なものは」と言っていたけど、耳に当ててあげたらやけに気に入って、北部鉱山の目の前に辿り着く前から意気揚々とつけていた。

 カイロもプレゼントしたら「か、かいろって言うんですか⁉ すぐにでも普及すべきですよ! このあったかい小袋!」とはしゃいでいたけれど、私はこの現代の素晴らしい発明をたやすく人に教えたくもなかったので、「考えておきますね~」とスルーしておいた。


 ちなみに先ほどユルのポケットに忍ばせたら、投げ捨てようとしていたけど、彼はそれが温かいものだと知ってから、心なしかほくほく顔でそれを握り締めていた。うん、可愛い。


「黒龍がいるかどうかの調査ってことでいいんですよね? 接触はなし、ということで大丈夫ですか?」


 というか、接触系の調査なら私、絶対の絶対に帰宅します。

 そんな本音を顔に出しながら、私はライリーを追及した。もちろん彼は私の言いたいことがわかったらしく「は、はい。それは大丈夫ですよ」と眼鏡をかけ直しながら告げた。


「僕たちはあくまで、黒龍の現在地の特定、そして彼がどれほど弱っているかの調査して、魔塔主様へ報告がするだけなので……」

「弱っているかを調査? それって接触なしでどうやって調べるんですか?」

「黒龍は力をつければつけるほど、草木を枯らし、周囲の物を腐敗させるそうなので、近づくことさえできればその具合の調査が出来ると考えられているみたいで……」

「へえ、そうなんですか……」


 まあ、そんな風に黒龍の力が吹聴されていることは知っている。小説に確か、そんな風に書かれていた。

 だけど確か、真実はもう少し違った気がする。


「とにかく、彼が弱っているか否かに関しては、棲み家の近くに行くだけで気づくことが出来るはずですよ」

「…………」


 どうしよう、なおさら近づきたくない。


「で、でもライリー様。黒龍が力を取り戻していたら、私たちはただじゃ済まないのではありませんか? もしくは死にかけていたとしても薄れた魔力に気づけなくて、危うく接触してしまう可能性だってありますよ?」

「そ、それは……」


 痛いところを突かれたとばかりに困っているライリーに「ライリー様!」と詰めるように私は近づいた。


「いいですか? 私やこの愛らしくて可愛らしいテディベ……じゃなかった、ユル様が! もしも黒龍に脅かされるようなことがあれば、私は他の皆さんを無視して、ユル様を連れて帰りますからね!」

「そ、それは困りますよ、ルーナさん! 魔塔主様のご命令なんですっ」


 うう、と涙目になって、両手を握り締めるライリーの横で、「てでぃべ?」とユルがひっそり不思議そうな顔をしていたが、あろうことか私は見そびれてしまった。


「魔塔主様がなんだっていうんですか! 私は上司か命を天秤にかけられたなら、間違いなく命の方を取りますね!」

『それは、大層なものいいだな。なら、要望通り命を奪ってやろうか?』

「…………」


 急に聞こえた海のように深い低音に、固まってしまう。


 そんな私の真横でライリーが「魔塔主様~~!」と手のひらに持っていた青色のピアスに泣きついていた。


「げっ、そのピアスは魔塔主の……!」

『おいおいルーナ、敬称を忘れているが。わざとか? やっぱりおまえ、俺に殺されたいんだな』


 この腹が立つほど人を見下した口調に、嘲笑したような声音。この声は……間違いない。

 現時点の中で最も苦手な存在、魔塔主だ。


 引き攣った顔をしてすぐにライリーに「ど、どういうことですか⁉ どうして魔塔主様のピアスがここにあるのですか⁉」と問いただした。

 すると、訊ねた先はライリーなのに『通信用に持たせてるだけだ』とピアスから返事が来た。


「そ、そんなものいらないでしょう! 魔塔主様は、塔の魔法師たちを信じていないのですか? それは弟子に対する冒涜です」

『ぬかせ。おまえのような、何をしでかすかわからないやつがいるから渡したんだよ』

「で、では、私を調査にいれるべきではなかったのではないですか? おかしいですよ!」

『おまえ、王室魔法師に自ら志願した時になんて言ったのか覚えてるか? 今後、どんな雑用だってしますから、どうか私の命を救うと思って、殿下たちの教育係を……』

「ああっ、思い出しました! それもそうでしたねえ‼」


 ユルが近くにいるので、大声で掻き消したが、ライリーは聞こえていたらしく、「ルーナさん! そんなにも殿下たちのことを思って王室魔法師に志願を……っ」と誤解したまま涙ぐんでいた。


『覚えていたならよかったよ。鳥頭だと思っていたものでな、俺への恩をもう忘れているのだと思っていた』

「あはは、そんなそんな! 忙しすぎて、ついうっかり……」


 笑い飛ばしながら、「と、ところで」と私は媚びを売るように手のひらを合わせた。


「この通信って常に繋がっているのですか?」

「いえ、常にではありませんよ」

「と言うと?」

「通信をするためには、この魔石の片割れを通して、魔塔主様が常に魔力を送り続けなければいけませんから、さすがにそれは難しいかと。あの方もお忙しいですからね」


 魔石というのはピアスのことで、片割れというのはもう片方のピアスを差している。

 深海のように真っ青に染まった魔石は、ダイヤの形をしている。

 形状としてフックピアスのそれは、よく魔塔主がつけているものだった。


「ふうん……」


 でも良いこと聞いた。


『おい、ライリー。そいつに余計なこと話すな』

「ってことは、これを鉱山のどこかに投げ捨てれば、この通信を遮断できるということですね……」


 ライリーの手のひらを覗き込んで、私はふむふむと腕を組んだ。


「よし。では、このピアスは今すぐ捨てましょう、ライリー様」

『どこが、よし。なんだよ。阿呆め』

「あはは、ルーナさん。そんなご冗談を……」

「ライリー様、私が冗談を言っているように見えますか? 私の勘が、黒龍よりこのピアスの方がやばいって言ってます」

『おいライリー、この阿呆が逃げ出さないように見張っておけよ。隙あらば逃げ出そうとするからな』

「か、かしこまりました」


 返事をするライリーからピアスを奪おうとすれば。


『あと絶対に渡すなよ! もしもこいつに行き渡ったら、おまえは魔塔クビだからな!』


 と言う魔塔主に、「そ、そんなぁ」と涙目でライリーは私からピアスを一生懸命に遠ざけていた。


 そんな私たち……というよりも私を、ユルは何か言いたげに見上げていた。


「ん? ユル様、どうかしましたか?」

「……いや」


 ふい、と顔を逸らしたので、「何ですか? 言ってみてくださいよ」と一旦ピアスを奪うことをやめた。


 そしてユルの目の前でしゃがみ込み「ユル様?」と顔を覗き込めば、彼は横目に私を見て、その小さな唇をこう動かした。


「……先生って」

「はい、なんでしょう?」

「違う大人の前でも、頭が悪そうなんですね」

「…………」


 無言になった私のすぐ隣で、「あ、公子様……」とライリーが引き攣った顔で眼鏡をかけ直した。

 きっと言葉を探しているのかもしれない。


『っはは! 子供にまで言われてるって、本当どうなってるんだよ。お前の阿呆さは!』


 と。どこが魔塔主なのだと言いたくなるほど、ぎゃはは! と、通信の向こう側で下品に笑っている魔塔主。


 まじでそのピアス、地の果てまでぶん投げたっていいんだけど。と思いつつ、「ちょっと、笑い過ぎなんですけど」と魔塔主に言うように、ライリーを振り返れば、彼は「す、すみませんっ」と姿勢を正した。

 いや、ライリーに言ったわけじゃないのだけど……。


『あーほんと、面白い』

「いや何にも面白くないですよ、魔塔主様のツボがいまいちわかりません」

『そんなのどうだっていいんだが、とにかく、公子はおまえが責任持って守れよ。そいつは、魔塔にとっても優秀な人材だからな』


 魔塔主の言葉を聞いて、ちらりと横目にユルを見た。優秀な人材か……それはまあ、確かにそうなんだけど。


『じゃあ、よろしく頼んだぞ』


 そう言って、その言葉を最後に魔塔主の声が消えた。

 その隙にやっぱりピアスを捨ててやりたいと思ったけれど、ライリーに阻止されてしまった。


 それにしたって、魔塔主からここまで言われるユルってどれだけ強い魔力を持っているんだろう。


 私の元推しが強いかもしれないと思うととても嬉しいけれど、私の脅威になるかもしれないと思うと、ちょっと複雑だ。


 まあユルがいくら強くなっても、上手く教育が出来ていれば大丈夫だよね。


 ユルを見れば、目がまた合う。そしてすぐに逸らされて、「あんまりこっちを見ないでください」と冷たく言われた。


「…………」


 だ、大丈夫だよね……?







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