最推し主人公の心をこじ開けるのは、少々根気がいる件につきまして。
◇
再教育を初めて、二年目に差し掛かった頃。
王宮の廊下を歩いている時のことだった。
「黒龍が、北部鉱山の近くにいると連絡が入りました。そちらの調査に、ルーナさんも狩り出されるみたいです」
「え、やだ。それ本当ですか?」
ライリーにそう伝えられた時、真っ先に面倒臭いという気持ちが湧いた。
だって、北部鉱山と言えば、魔石採掘には持ってこいだけど、言ってしまえば氷山のような場所だから、調査に行くとなると想像を絶する過酷な労働環境が待っている、ということは考えなくてもわかる。
そういえば黒龍って現時点では、大体どのあたりにいるんだろう。
黄泉の国での回復を終えたら、確かに『魔石に頼って魔力を労わっていた』という文面を見たような気もしないでもない。
とにかく鉱山に向かったことは確かだろうけど、よりにもよって寒い地域だなんて……。
「それって断ることは出来ないんですか?」
「魔塔主様、直々に呼ばれているんです。特にルーナさんはいつも理由をつけて断るから、今回こそは必ず同行するようにとのことでした」
「あはは……なんですか、理由をつけるって」
だって、黒龍の調査なんて誰が行きたがるというのか。
相手は自分を殺すかもしれない魔獣だというのに……。
私は私が未来を生きる術を見つけるまでは、黒龍とは間違っても邂逅しないって決めてるんだから!
「上級魔獣の封印術も未だに確立されていませんし、ルーナさんにはぜひ来ていただきたいそうですよ」
「そんなこと言われてもなあ、私は殿下たちの授業でいっぱいいっぱいなんですよ? ベビーシッターみたいな役割までしていて、それはもう大変と言うか……」
「それ、以前も言っていましたよね」
ライリーは眼鏡をかけ直して、ちょっぴり疑り深い顔をした。
確かに、言った……かもしれないけど……。
まさか、理由をいちいち覚えているとは思わなかった。
「とにかく今回は必ず来てほしいそうですよ」
「で、でも! 私、魔獣ももちろんですけど、魔塔主様にも会いたくないと言いますか……」
だって、絶対面倒事を押し付けてくるに決まってる。
「そういえば、魔塔主様が『今回も渋られた場合は考えがある』とおっしゃっていましたよ」
「考え?」
嫌な予感がする。
あの人の考えることは毎回ろくでもないから。
「今回の調査に、グルーヴァー公爵家も関わっていただくそうです。もちろん公子様も参加されるそうです」
「公子……ということは、え? まさかユル……様ですか?」
ぽんっと頭に浮かんだのは、白愛の中で私が「もしも推しを作るなら絶対この子!」って以前からひっそり推していたユルの顔だった。
ルスエルやソルフィナと比べて、数個年下の彼が、世界でいま最も恐れられてる黒龍が潜伏しているかもしれない北部鉱山に調査へ行く……ですって?
「何を考えてるんですか! あの方はまだ、八歳ですよ⁉」
「もうすぐ九歳だそうですよ。時が経つのは早いですよね~」
「何を呑気なことを言っているんですか⁉ 魔塔主様はそれでいいのですか⁉ って、ライリー様は聞いたんですか?」
「グルーヴァー公爵のご意向だそうです。ユル様の魔法の才に早く目覚めてほしいと、より早く現場での活躍を望んでいるようです。英才教育の一つかもしれませんが、本意はわかりません」
「…………」
ユルのお父さんは少々面倒な人だった覚えがある。
魔法師がたくさん所属する魔塔には政治が行き届かない。
この国で唯一、すべてが中立で、取引も公平な場所。
そんな魔塔を、王室を始め、貴族たちは意のままにしたいという考えを持っている。
その中でもグルーヴァー公爵は、より大胆に動くタイプだった。利己的というか。
自分の家紋に、そして、自分自身に有益か否かでいつも身の回りに置く人々を決めていた気がする。
情で動く人でないことは知っていたけど、まさか自分の息子まで利用して、苦行を強いたいだなんて……。
「魔塔主様はなんとおっしゃっていたのですか?」
「初めは断る気でいたのですが……いつだったか、その時丁度ルーナさんが先ほどと同じ理由で頼みごとを断ったんですよ」
「えっ、同じ理由?」
「ベビーシッターってやつです。それで、ルーナさんが普段からお世話をしている公子が参加すれば、嫌でも参加するのでは? とおっしゃっていて……それで」
「……ユル様が参加することになったと」
「はい。だから、必ず来いとのことです」
「それはつまり……ユル様を人質に私を動かしたい、ということですか?」
「人質だなんて……そんな悪いことではないですよ。魔塔主様は公子様が実践的に学べる機会があるならそれに越したことはないと言っていて……」
「はは、綺麗ごとですよ。結果的に、ユル様の身に降りかかった出来事はすべて私のせいってことを言いたいんですね……」
あの悪魔塔主め……。
年端もいかない子供を人質に私を狩り出すなんて……。
私なんかより、よっぽど悪役に向いてるじゃない!
やつの思い通りに事が運んだ時にする、めちゃくちゃムカつく顔が浮かぶ。サンドバッグにして殴ってやりたい。
「わかりましたよ。その喧嘩、買ってやります」
「け、喧嘩を売っているわけではないですよ!」
そして……どっちがこの国、最強の魔法師……否、悪役かを決めようじゃないの。
ーーーというわけで、北部鉱山へ出立する前日。
「え? ユルだけ、ルーナと課外授業?」
「何それ、聞いてないんだけど」
ルスエルとソルフィナは、不満そうに唇を尖らせた。
「ずる! なんでユルだけ課外授業なんだよ!」
ソルフィナがさっそく私の前に立って抗議している。
今日もその綺麗な金色が陽の光に照らされている。
「俺も行きたい! どうしてダメなんですか!」
ルスエルも珍しく我儘を言うように、私のローブを掴んだ。
今日も星のように光る銀色が、優しく揺れている。
二人とも揃って頬を膨らます姿がそれはそれは可愛い。この世界にカメラがあったなら、ただちに写真にして世界中にばらまいているのだけど。
「ずるい! 俺だってルーナとふたりで……」
「ウニ先生、ユルだけ贔屓するなよな!」
ルスエルが俯いた隣から私の腕を引っ張るソルフィナ。
二人とも、あんなに授業が嫌いだったのに、こんなに勤勉になって……。
再教育、やっぱりきちんと成功していたんだ……。
ああ、よかった。本当に、よかった。
感慨深くなりながら、ほろりと滲んだ涙を拭おうとしていたら、「別にそういうわけじゃないです」とユルがやけに冷めた口調で言った。
「二人が想像しているような、楽しいことはありません」
俯くユルに「ええ? 本当か~?」と疑うような眼差しを向けたのはソルフィナ。
「怪しい。な? ルスもそう思うだろ?」
「ルーナとふたり、いいな……」
「ルス?」
「……えっ?」
ルスエルがハッとしたように顔を上げる。ソルフィナは眉を上げながら、「何か言ったか?」と首を傾げた。
「あ、い、いいえっ」
「おまえも怪しいな。なんだ、言え」
「あ、怪しくないですって! わっ、お兄様ったら!」
肩に腕を回したソルフィナに問い詰められてるルスエルのやり取りを眺めながら、「ユル様?」とこっそり彼に声をかける。
「大丈夫ですか?」
「何がですか」
俯いた顔を上げて、感情の起伏もさほどないまま私のことを見上げた。
その美しい緑の瞳を縁取る長い睫毛が、その髪の毛と同じくほんのり赤みを帯びている。
「……北部鉱山は凍えるほど寒いですよ。ユル様、本当に大丈夫ですか? もしも嫌だったら、私が直接、公爵様にお断りしてきますが……」
「……余計なことしないでください、寒さなんて平気です」
ふいっと顔を逸らして、そのまま私と距離を取る。
警戒心が強いのは知っていたけど、まさかここまでとは……。
私の死亡ルートまで一日一日が着実に進んでるのに、ユルとの関係性はいつ進展するのか。打ち解けるどころか、心を開く素振りすらないのだけど……。
「……お父様の命令は絶対ですから」
うーん、と悩んでいると、続けてぼそりとユルが呟いた。
「え?」と顔を向ければ、ユルはそっぽを向いたままで、それ以上は何も言わなかった。
ほ、本当に大丈夫かな……?
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