愛弟子が全く読めない男に成長してしまった件につきまして。








「は、反省はしてますって! そんなことより……」

「そんなことより?」


 ルスエルが眉を顰めた。私はぎくりと肩を揺らす。

 あれ、何か変なこと言った……?


「腹立たしい。あなたは……待つ側の気持ちを考えたことはありますか?」

「ええ……」


 そんなことを言われても……という気持ちを押し殺して、「ああ」と私は笑顔で頷いた。


「なるほど、そういうことですか。いや、ルスエル様たちには、眠ってる間、多分すごい迷惑をかけたってことですよね……?」

「……」

「何があったのか知りませんけど、この十一年、ありがとうございました。でも、これ以上、お世話になるのは申し訳ありません。それに、殿下たちも責務がそれぞれあると思います。あまり勝手なことはしませんので、どうか足枷は軽くしてくださいませんか?」


 両手を合わせて、おねだりをするように告げる私に、ルスエルは眉間にさらにしわを寄せた。髪色と同じ青銀色の睫毛が不服そうに揺れている。


「……そのような……顔をしても駄目です」


 ん? そのようなとは……。


「どんな顔?」

「だから!」


 ぐっとこらえるような仕草をして、ルスエルは叫んだ。


「そのような可愛い顔をしたって駄目なものは駄目なんですから!」

「……は?」


 心なしか頬が赤いような気がする。本当にこの十一年で何があったっていうんだろう。


「昔から思っていましたが、先生はちょっと無防備がすぎます! なんなんですか!」


 急に怒られた。

 私が問いたい。なんなんですか、と。


「る、ルスエル様、ちょっと落ち着いて……」

「その呼び方も好きではありません!」

「え、そうは言っても……」

「ルスと呼んでくれないのなら、この部屋を歩き回ることも出来ないほど、その枷を重くしてやります!」


 ふんとルスエルが顔を逸らすと、その耳に薄紫色に光るピアスが揺れているのが見えた。


「あ……いや……」


 それはやり過ぎだとは思いませんか、という私の言葉を「別にいいんですよ」と彼は遮った。


「俺としては。あなたがずっと寝たきりになるのは好都合ですから」

「わ、私としては困ります……!」

「そんなことは知りません」


 本気で怒っているらしい。

 というか、本当にどうしてそんなに怒る必要があるんだろう。

 不思議そうな顔をしていると、横目で私を見下ろして、ルスエルは溜息を吐いた。


「あなたが鈍いのはわかってはいたことですが……」


 ぶつぶつと何かを言っているルスエル。


「でもルス……ひとまず、冷静に考えてみるのはどうでしょう?」


 首を傾げるように言えば、彼ははっとしたように改めて顔を私に向け直す。


「いま……」

「え?」

「もう一度、お願いします」

「だから、ひとまず冷静に……」

「そこではありません!」


 瞬きをしていると、頬にルスエルの手に触れた。


「ルスと、今一度お願いします」


 切実な眼差しを間近に受けて、私は「ぁ、えと……」と動揺したまま答えた。


「る、ルス……?」

「…………失礼」


 ルスエルは暫し固まったあと、一度深く息を吸ってふうと息を吐いた。


「ど、どうかされました?」


 天井を見上げているルスエルに、私は困惑していた。


「……いえ、先生があまりにもかわ……いえ、今までの苦労が今の一言で全て報われたような気がして、気持ちを静めていただけです」


 呟くようにルスエルが言う。

 この十一年で、ルスエルは随分と難解な男になったようだった。

 意味不明な発言に「うん?」と首を傾げれば、彼は軽く咳払いをして姿勢を正した。

 私の身体を覆っていたルスエルの影が消えて、一気に部屋の明かりが視界に入り込んだ。


「名前を呼んでくれたことに免じて、枷は〝この部屋を軸に〟重さを調整したいと思います」

「この部屋を軸……?」

「先生が昔よくやってた遠心魔法ですよ。この部屋から離れれば離れるほど重くなります」


 そういえばよくルスエルたちの我儘や悪戯が尽きなかった時に、お仕置きとしてとあるものを軸に身体の動きを縛る魔法を良くかけてたな……。


 特にソルフィナなんかは、部屋から身体を引き摺って逃亡してたっけ。


「懐かし……じゃなくて、遠心魔法をまさか私にかけるんですか?」

「いいえ。ルーナにはかけません。そうしたらあなたは動けなくなるでしょう」

「え、じゃあどうするんですか……?」

「応用としてこの部屋を基点にして、枷にかけます」


 ルスエルはそう告げると、私の足首についた枷に触れた。

 瞬間、空気のように枷が軽くなる。

 そうか、思考が鈍ってたせいでうっかり忘れていたけど、対魔術用の魔具であっても、それを作った本人なら、簡単に魔法をかけられるんだった。


「軽い……」

「これでルーナがこの部屋から離れれば離れるほどこの枷が重くなるようにしました」

「……それって、私が外に出ようものなら?」

「ご存知かもしれませんが、その場を這いずることになっていずれは地面にひれ伏してると思います」

「……へえ」


 ひれ伏すのはすっごく嫌なんですけど?


「まさかとは思いますが、ルーナ。這いずってまで逃げようとはしてませんよね?」

「あはは、まさか! 私がそんなみっともない逃げ方をすると思いますか?」

「あはは、思いますよ。だってあなたは、欲望のためならどんなことでもする魔法師でしたから」

「…………」


 ぎくりと笑顔が引き攣る。ルスエルのくせに、と思うけれどさっき彼も言っていた通り、ルスエルはもう二十一歳……私の知っている可愛い弟子ではなく、いわば原作に近しい大人になったのだ。時の流れとはなんと残酷だろう。


 前は口で誤魔化すだけでなんとなかったけど、もっと発言を改めていかないと、大人相手にはきっと怪しまれる……。


「とにかく、もう好き勝手はしないでくださいね」


 足首についた枷から軽くふくらはぎに指が当たり、思わず顔を上げれば髪を一束掬われる。

 軽く毛先にキスをして、ルスエルはゆっくりと瞼を上げた。

 星が光るように輝く長い睫毛、青く煌めく宝石のような瞳に、少しだけ見入ってしまう。

 やだもう、顔がとても美しい。


「ルーナ? 聞こえていますか?」

「あ、聞こえてる聞こえてる……ます」


 俯くように答えて、はっとして語尾を戻したけど、あまり意味はない。

 というか、どうして今、髪にキスをされてしまったんだろう。謎だ。

 困惑していると、ルスエルがくすりと笑った。

 どうして笑ったのかはわからないけど、何か妙なことをしてしまったんだと思う。


「それでは、また様子を見に来ます。それまで、大人しくしていてくださいね、先生」

「あ、はい……」


 思わず手を振りかけて、急いで手を下ろせば、ルスエルはまたも笑って、私を真似るように手を振りながら、部屋から出て行った。

 なんだか翻弄されている気が否めない。

 くそう。ルスエルめ……この十一年で、全く読めない男に成長してしまった。





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