第9話 修道院の日常 2

《……なんだったんだ、あの嵐のような連中は?》

「ここの孤児院の子供達ですよ」

 ユーティアはそう答えながら建物の裏手に回る。

 裏手には勝手口らしき縦長の扉があり、ユーティアはその扉を開けて薄暗い室内へと入っていく。


 細長いその空間は、台所と言うよりは厨房と呼ぶべき広さだった。

 壁面のすすけた黄土色のタイルが、この建物の外観と同様に歴史を感じさせる。


 並べられた大きな鍋やらフライパンやらといった調理器具もやはり古めかしいが、手入れは行き届いているようで清潔さは保たれている。


《孤児院? ここは教会じゃないのか?》

「どちらかというと修道院と言う方が正しいですね。ただ可能な範囲で孤児を引き取って育てているので、孤児院としての役割も兼ねているというわけです。こういった田舎では一つの施設が複数の役割を兼ねるのは珍しいことではないんですよ」

 ユーティアは厨房の壁に掛けられていたエプロンを手に取り身に着ける。


《ふーん、子供は全部で何人ぐらいいるんだ?》

「今は全部で六人です。男の子二人に女の子四人。みんな明るくて良い子ですよ」


《ヒエッ! そ……そんなにいるのか? 俺子供って苦手なんだよなぁ。なまじ社会経験を積んでいないが故のあの無神経さときたら虫酸が走るぜ!》

 近所のガキどもに陰キャだの不細工だのと指差されて笑われた苦い過去が思い起こされる。


「もぅなに言ってるんですかリュウ君? 自分も子供の、さらにさらに子供のくせに!」

 ユーティアは包丁でトントントンと手際良く野菜を切りながら呆れる。


《大体、なんでこんな田舎にそんなに大勢の孤児がいるんだ?》

「戦争や疫病で両親を亡くしたりとか、理由は様々ですよ。もう長い間大きな戦争は起こっていないので、昔に比べたら減っているそうです。幸いなことに」


 戦争とは……また物騒な話だな。

 俺にとっては現実離れしているその言葉。

 しかしここはそれが平生へいぜいと語られる世界ってことか。


「年配のシスターの方々が子供達に勉強を教えているんですよ。特に先程のアマンダさんはスパルタだけど教え方がうまくて、学力を伸ばして進学する子供も多いんです。私は人に教えられるほどの学は無いので畑仕事が主ですけど。ただ修道院の収入源は限られているため、できるだけ自給自足でというのが理想なのでこれはこれで重要なのですけど……」


 なるほど、主に年齢で役割分担がされているということらしい。

 ユーティアの軽装型の修道服も、外での農作業を念頭に置いた作りなのだろう。


《ふーん。で、実はお前もここの孤児院出身だったりするのか?》

 ちょっとした興味本位の質問だった。

 なんとなくそんな予感がしたからだ。

 他意があったわけじゃない。


 しかしこの問いを受けたユーティアの動きがピタリと止まる。

 ほんの微かだが、手が震えているのが分かる。

 まるで動揺しているように。


 その震えを鎮めるように、左手を包丁を持った右手に重ねて握る。

 そして何事もなかったかのように、いやわざと明るく振る舞うように答える。


「あはは、実はそうなんです……。もう10年以上昔の話なんですけど、ここから少し北西にあった村が戦渦に巻き込まれたことがあったんです。その時に私は燃え盛る村の一角で一人泣き叫んでいたところを、王国兵に救助されたと聞いています。村は破壊し尽くされていて、私の両親もおそらく助かってはいないだろうとのことです。その後程なくしてここの孤児院に引き取られました」


 想定外の重い話。

 語る声音も、徐々に憂いを帯びていく。

「だからリュウ君。正直に言ってしまうと、私は立派な母親になれる自信があんまり無いんです。その、ごめんなさい……こんな言葉、無責任だってことはわかってます。でも私には両親の記憶が無くて、お父さんの厳しさもお母さんの優しさも知らないまま育ちました。知っていますかリュウ君、お母さんの愛情というのは陽だまりのようにぽかぽかと温かいそうなんですよ? 私を育ててくださったシスターも皆優しい方ばかりでしたが、母親の愛情というのはまた少し違うんだろうなとは思います。だから私にはそのぽかぽかという感覚が実感できない。だから本当は……怖い部分もあるんです。私はちゃんと母親になれるんだろうか、リュウ君に愛情を注いであげられるのだろうかと……」

 ユーティアはうつむいて、自分の両の手の平をじっと見つめる。

 まだ幼いその手は、他者の人生を抱え込むにはあまりにも小さい。

 

《あのなぁ、ユーティア》

「……はい、リュウ君?」

《そういう辛気臭い話しなくていいから。別に興味無いし》

「ぇえ!? ひっどーい! 元はと言えばリュウ君から話題を振ったんじゃないですかぁ!」


《フン! 無用な心配なぞせずに、お前は無事に俺を産むことだけに専念しろ。なぁに俺のことだ、きっと生まれた直後から二本足で歩き出すだろうよ。余計な手間などかけさせやしないさ!》

「いえいえ、そんなわけないですし、そんなの味気ないですよ! ちゃんとお母さんが抱っこしてあげますから! 楽しみですねー!」

 ユーティアは大根のような大きな根菜を抱きしめると、子供をあやすように上下させる。

 なにがこの女の母性をここまで駆り立てるのだろうか?


 しかし、俺は最初から母親に過度な期待などしていない。

 いやするべきではない。

 それは前世で身にしみて痛感した真理。


 ……しかし、それにしても。


 両親から迫害された俺。

 両親の居ないユーティア。


 母性に絶望した俺。

 母性に憧れるユーティア。


 どっちが不幸なんだ?

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