第3話 胎動 3

 これは……なんだ?

 どこだ……ここは?

 そこは長方形の広めの部屋だった。

 人影は無く、窓から降り注ぐ陽光が室内を灼爍しゃくしゃくと照り輝かせている。


 見知らぬ場所。

 しかしその特徴的なインテリアの様式には覚えがある。


 正面を向いて等間隔で並べられた長椅子。

 部屋の奥に設けられた祭壇と、その奥面のステンドグラスからもたらされる彩光。

 そう、ここは教会の礼拝堂だ。


 しかしなぜ俺が教会に?

 もしかして俺は地獄に落ちたわけではなくて、実は天に召される前段階だったとか?

 クリスチャンでもない俺の魂が教会を経由するところに違和感が無くはないが……


 降って湧いたこの展開に疑問が駆け巡る中、突然視界の下からニョキリと二本の腕が飛び出してくる。


 なっなんだ!?

 これは……俺の腕?


 いや違う、とても華奢で色白いその腕――それは幼い少女のもののように見える。


 突然俺の視界に現れたその腕は俺の意思とは無関係に動き、床に散らばる陶器の破片のようなものをほうきを使って塵取ちりとりへと移している。

 その動きに合わせるように、視界もやはり俺の意思とは無関係に移動し続ける。


 いやそれだけじゃない。

 箒と塵取りを持つ手の感覚に、破片同士の接触音。

 しばらく失っていた五感の感覚が、リアルに知覚される。


 これは……どういう状況だ?

 まさか俺の魂が別人に乗り移ってるとかじゃないだろうな?


 そんな非科学的な考えが浮かぶ。

 まぁ魔法だって十分に非科学的なんだが……


 ――いや待て魔法?

 そういえばこの状況になる直前、俺は何の魔法を使ったっけ?


 確か……感覚同調の魔法だ。

 ということは、その魔法が正常に機能していると考えれば今のこの状態も説明できるのではないか?


 感覚同調の魔法とはその名の通り他人と同調し、対象の感覚を自分のものとして共有する魔法だ。


 つまり今まさにこの謎の人物の五感に俺が同調しているという状況が、魔法の効果によるものだとするならば合点がいく。

 どうやら信じがたい話だが、俺は本当に魔法使いになったということなのか?


 すべての破片を回収し終えたその何者かは、箒と塵取りを持ったまま礼拝堂を出て別室へと移動する。


 もちろんそれらは謎の何者かの意思によって行われている行為なので、俺はただ受動的に体感するのみである。

 まるで他人がやってる一人称視点ゲームの画面を眺めている気分になってくるな。


 その何者かは別室の隅に置かれたダストボックスに破片を捨てると、その隣にある用具入れに箒と塵取りを片付ける。


 …………妙だな。

 俺はもう一度同調魔法の効果を確認する。


 仮に今の状況が魔法の効果によるものだとしよう。

 しかしこの魔法は発動条件として、術者と対象者の直接的な接触が必要なのだ。


 しかし俺は死んでいる。

 死んで肉体を失っている以上、この何者かとの接触などできないはずだ。


 それとも、実際には俺はまだ死んでなどいなかったということか?

 魔法が機能しているということは、つまりそういうことなんだろうが……


 俺がそうして頭を混乱させている最中、ふとその人物が壁に掛けられた姿見の前に立つ。


 ――あっ!!

 鏡面にその人物の全身が映る。


 女の子だ……謎人物の正体は、十代前半のまだ幼い少女だった。

 しかも、しかも……金髪の!


 どういうことだ? 

 ここは日本じゃないのか?


 いやそれよりも、そんなことがどうでもよく思えてしまうぐらいにその少女は……その、なんというか……可愛かった。


 透き通るような白い肌に、あどけなさの残る丸っこい輪郭の顔。

 黄金色に輝くミディアムショートの髪は癖があるのか所々で跳ねているが、それが幼い彼女に一滴の色気を彩っている。

 真ん丸のルビーのような真紅の瞳は、純朴そうな人格をまさに目で語るようにキラキラと煌めく。


 白地にえりや袖口に紺のラインが入った服装は――アニメや漫画でよく見る洒落た修道服のデザインに近い。

 ただ厳密には修道服っぽさを残しつつも、五分丈の袖に膝丈のキュロットという幾分活発的なデザインとなっている。

 そしてそこから白く華奢な手足がスラリと伸びる。


 彼女の服装とここが教会であるという事実からも、彼女はシスターということなんだろうか?


 いやここが教会でなくとも修道服を着ていなくとも、きっと俺は彼女が聖職者だと思ったに違いない。


 女性的な華美さは無いものの、その純真無垢な彼女の姿を見ただけでここが天国なのではと錯覚しそうになる。

 まさに穢れを知らぬというべきか、いや今後一生彼女が穢されるなどとは到底想像できないほどに。


 彼女は鏡を見ながら服に付いた埃をパタパタと払っているが、そんな何気ない仕草までもたまらなく可愛い。

 そして少女はトタトタと軽い足音を鳴らしながら、元の礼拝堂へと戻っていく。


 だが……やはり妙だな。

 謎の人物の正体はわかった。

 まさかあんな美少女だとは思ってもみなかったが、俺が魔法で彼女とリンクしているのは確かなのだろう。


 しかし同時にもう一つの謎が膨れ上がる。

 俺は……どこにいるんだ?


 この魔法の発動には対象者との接触が必要だが、効果を持続させ続けるためにはその間さらに接触し続ける必要がある。


 だが鏡に映っていたのは少女一人だけ。

 そこに俺の姿は無かった。


 しかしこの状況は魔法の発動条件と矛盾する。

 魔法の効果が続いているということは、その場に俺も一緒に居なくてはならないはずだ。


 例えば彼女と手を繋いでいるとか。

 いや……俺は体の感覚が無いのだから、それこそ背負われているとか。

 もっとも鏡に映る彼女は俺はもちろん赤子すら背負ってはいなかったが……


 赤子……すら……

 赤……子?


 …………………まさか。

 まさかまさかまさかまさかまさかまさか!!


 一瞬、冗談みたいな推測が頭に浮かんでしまった。


 しかし……ある!

 諸々もろもろの疑問と矛盾点を一挙に解消する解決案が!


 確かにあの鏡には、一見すると少女一人しか映っていないように見える。

 しかしたった一つだけ、俺が入り込むシチュエーションがあるのだ!


 俺は地獄にいるわけではない。

 しかしまだ天に召されていないわけでもない。


 つまりその逆!

 というか、事はもっと先に進んでいるとすればどうだ?


 俺はやはりとっくに死んでいて、かといって地獄へ落ちたわけでもなく、もうすでに次の人生に生まれ変わっていると解釈したらどうだろう?


 いや厳密には生まれるよりは前の――つまり胎児の状態だとしたら?


 そう、俺がまだあの少女の胎内に宿った状態だとしたら鏡に姿が無いのも説明がつくし、なおかつ彼女が移動し続ける間も常に接触し続けているという条件も満たされる。

 さらに魔法を使う前の俺に肉体感覚が無く五感が機能していなかった状態も、俺が胎児だというのならば腑に落ちる。


 いや、しかしまさか……そんな馬鹿な!!


 そもそも胎児ってこんなにはっきりと意識があるもんなのか?

 いやそんなわけないよな。


 前世の記憶を引き継いでいる俺だから起こり得たイレギュラーな状態だとでも?

 まぁ突然に魔法を与えられてる時点で普通ではないのだから、あまりここにこだわる事に意味が無い気もするが……


 だが現状をかんがみれば、この説明が唯一辻褄が合ってしまうのだ。


 しかし、となればあの少女は妊娠しているということになる。


 あんな……幼くて可憐な少女が?

 なんの面識も無いものの、それはそれでショックではある。

 とはいえその子供となっている俺が、それをとやかく言えるモノでもないのだが……

 

 しかしなんてこった。

 俺の知らぬ間に、新しい人生がなんとも奇妙な形で始まっていた……らしい。

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