渾沌の尻尾切りⅣ

「いやぁ、参っちゃうよねぇ。言うことを聞かない部下って言うのは」


 鳥や龍などの様々な意匠を凝らし、金と紅に彩られた豪華な椅子の上で男は肘をつく。

 中世的な顔立ちで声も変声期前と言われれば納得できる程の声だった。肌も滑らかで生まれたての赤子のようにきめ細やかなそれは、見る者が誰であろうと目を奪われる。そのような声を前にして、配下と見られる男たちは平伏していた。


「も、申し訳ありません」

「いやー、別に結果を出してくれるならいいんだけどさ。勝手に動いた挙句、不利益しか残らないって……その、どうよ?」

「か、返す言葉もありません」


 目の前にひれ伏す男に対して、椅子に座る男は何の感情も入らぬ瞳で見つめていた。いや、既にその男は視界に入っていなかった。

 紅の柱と壁、極彩色の天井の模様、目の前にある開け放たれた扉。どれを取っても、建設された当時の技術の粋を集めて作られたにのみ相応しい部屋であった。

 しかし、その部屋を見回して男は、それを煩わしいと感じた。話を聞くだけなら別に部屋でなくても道端でも構わないとすら思っている。こうしてここで座っているのは、自分がこの国を治める皇帝であるからだ。


「で、王国の方はどうなの? 怒ってたんじゃない?」

「は、はい。こちらの正規軍の越境は全面戦争の意志ありとみなす、と。また、多額の賠償金を要求されています」

「当然でしょ。むしろ、それで済んでるだけありがたいよね。聖教国の聖女も王都にいるっていうのに、そんなことしたら、二大国家相手に立ち回らなきゃ行けないじゃないか。馬鹿なの? 死にたいの?」


 二回りも年上の大人たちを睥睨しながら罵倒する彼こそが、現在の蓮華帝国皇帝・紫紅帝である。

 幼いながらも僅か数千の兵で先代の皇帝とその兵たちを一方的に虐殺し、新たに玉座に座ることになった。その恐ろしさは遥か遠くの国にまで知れ渡っており、蓮華帝国の宣戦布告は小国にとって死刑宣告と同義であった。

 しかし、その恐ろしさというのは、むしろ外より内側に向けられている。目の前にいる男たちの竦み上がる様が、そのいい例だ。


「そうだね。とりあえず、高将軍を騙してた君たちの一族の財産は全没収。それを賠償金の補填にするとして、後は手土産が必要だね。まずは君たちの首でいいかな?」

「お、お許しを!」


 紫紅帝が立ち上がると男たちは器用に、平伏したまま後ろへ下がる。


「いやいや、何言ってんのさ。証拠は有り余るほどあるから犯人なのは確定だし、君たちも認めてたじゃないか。それで今回の罪の重さとしては、君たちの命だけじゃ足りないんだよね。一族郎党揃って贈りつけようか? その方が僕も楽だし」


 もはや男たちは額から血を流さんばかりに床へ押し付けて許しを請う。ここに至って、何とかして逃げようとか誤魔化そうとか、そういう次元にはない。

 皇帝は絶対。白であっても皇帝が黒といえば黒なのだ。尤も、この男たちは元から真っ黒なのだが。


「高将軍を失ったのは痛い。彼の弓の腕は僕も一目置いていたほどだ。まぁ、少しばかり頭が硬かったり、融通が利かなかったり、金や名誉に目が眩んだりするところがないわけではないけれども、それはそれ、これはこれ。わかるかな?」


 震えが止まらない男たちを見て、大層つまらなそうに紫紅帝は一歩前に踏み出す。

 その一歩で彼は怯える男たちの背後に立っていた。


 ――――ゴトリ


 重たいモノが床を転がる音が同時に三つ響く。


「あーあ、また汚れちゃったよ。でも、ずっと死ぬ恐怖に怯え続けるのも可哀そうだし、仕方ないよね」

「――――皇帝殿。またですか?」


 物言わぬ躯が三つ染みを作る中で紫紅帝に横から声をかける者がいた。文官の恰好をしているが、道士でもある男だ。


「あぁ、君も戻ったのか? どうだった?」

「こちらの方は問題ありません。些か、早く死に過ぎたとは思いますが、渾沌を呼べただけでも上々でしょう」

「うーん。遅かれ早かれ死んでたとはいえ、高将軍を素体に使われたのは困るんだよね。もう少し役に立って欲しかったし」

「無理でしょう。紅の魔女どころか、その連れの少年に殺されそうになっていたんですから」

「ふーん。ファンメル王国にもそれなりの手練れがいるってことか。じゃあ、仕方ないね」


 あまり興味なさげに紫紅帝は頷く。


「とりあえず、そこの掃除をよろしく」

「皇帝殿、どちらへ?」


 文官の呼びかけに、紫紅帝は足を止めて振り返った。


「うーん。李の所かな。ちょっと体を動かしてから、次の一手を考えようと思って」

「そう言いながら、良い案を出させようという魂胆でしょう?」

「あはっ、バレた?」

「バレバレです。困ったら、李家の御子息に手合わせと言いながら相談を持ち掛けに行くのは迷惑です」

「いやー、君みたいな外道に迷惑なんて言われたくないなー」


 呆れたように頭を振るが、当の皇帝殿は屈託のない笑顔で頬をかく。

 当然のように会話をしている二人だが、その足元にあった赤い染みと躯はあっという間に消えていた。


「じゃ、そっちはそっちで頑張ってよ。四凶全部従えて、盤石な国を創らないとね」

「ふふふ、国を創るのに四凶を呼び出すとは、やはり皇帝殿は今までの皇帝とは格が違います。楽しみにしてますよ。この蓮華の国が花開く瞬間を」


 片や真っ白な笑顔。片や真っ黒な笑顔。正反対だというにもかかわらず、何故か二人の表情はそっくりに見えた。

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