渾沌の尻尾切りⅢ

 扉の向こうからマリーの叫び声が聞こえてきたような気がするが、ここは全員スルーするのが正解のようだ。伯爵ですら気の毒そうに見ている時点で、大変な指導が待っているのだろう。


「さて、じゃあ、俺は現場の仕事に戻るかね。アンディに任せたままだとアイツが過労死しかねないからな。クレア、疲れてるところ悪いが、大活躍の客人の案内を任せていいか?」

「あれ? メリッサとかは?」

「こっちの方でもらってるんだ。ほとんどの使用人は街に出ているから、誰もいないぞ」

「はー、わかった。ちゃんと部屋に運んどく」


 クレアは肩に手を当てながら後ろを振り返る。そこには、まだダウン状態のユーキが天井を見上げてこめかみを揉み解していた。


「そういえば、姿が見えないが精霊もいるんだろう? 何か要望があれば何とかしておこうと思うが」

「えーと、そこら辺は何かあるのかな?」


 サクラがユーキの胸元を気にしていると、ウンディーネは仕方なしと言わんばかりに姿を現す。

 伯爵は騎士なので魔法使いであるビクトリアよりは彼女の中のアウトラインが低いのだろう。頑なに出現を拒んでいたのにも関わらず、元々の大きさでユーキの隣に降り立った。


「初めまして、ということでよろしいですか? あまり人に知られると利用されそうなので、私のことは黙っていてください。特に、あなたの奥様のような人には」

「――――――――――――」


 ウンディーネが姿を現した瞬間、伯爵の表情が一変する。目は見開かれ、ウンディーネから目が離せないでいるようだ。


「あら、精霊を見るのは初めてですか。あなたみたいなタイプの人なら火の精霊サラマンダーとかに好かれそうに見えますけど」

「――――ソ……」


 伯爵の口から掠れた様な声が漏れだす。

 それどころか一歩後退りしていた。その動きは緩慢で、ユーキが見ていたら時間感覚がまた狂ってしまったのかと勘違いするほどだろう。


「父さん?」

「そ、そうだな。精霊はあまり欲のある人間を好まないと言うし、知識欲の塊であるビクトリアには言わないでおこう」


 我に返った伯爵は机に置いてあった複数の図面や魔力の籠った石をかき集める。

 すぐに踵を返して部屋の外へと向かって行くが、途中で一度振り返って付け加えた。


「後でいくつか水の魔力が籠った物品を持ってきておこう。もし、中の魔力が気に入るならば取って行ってくれ」

「は、はぁ……」


 明らかに狼狽えている伯爵の様子に気の抜けた返事をするウンディーネ。そのまま出て行ってしまった伯爵を呆然と見つめる中、アイリスだけがぼそりと呟いた。


「とりあえず、一件落着?」

「そういうことになるのかもね。まったく、父さんも忙しいのはわかるけど、もう少し余裕を持ってほしい……」


 クレアは一番の難題であるユーキの方へと振り向いた。

 魔力が僅かな状態で身体強化する程の余裕は無い。つまり自力だけでユーキを部屋に運ばなければならないのだが、流石に一人では無理だろう。


「あ、私も手伝います」

「ありがとう、サクラ。ほら、酔いつぶれたおっさんじゃないんだから、自分の足でさっさと立ちな!」


 二人に両側から抱えられて、無理矢理立たされる。

 ユーキは声を出す力もないらしく、母音だけの言葉で何か言っている。


「ありがとうって言う力があるなら、もう少し頑張って、よ」

「いやー、クレアさん。流石に話す元気がない人にそれは無理なんじゃ……」


 フランがフォローするが、ユーキに肩を貸しながらクレアは首を振った。


「だめだめ、男って言うのはね。甘やかしたら調子に乗り始めるから、これくらい強気に接しなきゃいけないものなんだ」

「そう、なんですか?」


 反対側のサクラが不思議そうに首を傾げる。

 別に、それくらい優しくしてあげてもいいのでは、と思っているような表情だ。


「母さんだけならまだしも、メリッサも言ってたから間違いない。実際に、普段の両親を見れば嫌でもわかる」

「あー、忙しかったから見れなかったけど、普段の伯爵御夫妻は確かに……、というか伯爵がデレデレなのは言うまでもない、かな」


 フェイも苦笑いしながら頷く。

 それが数日後から当たり前の光景になると考えると、その二人の姿を知る者たちとしては大きく頷いてしまうのだった。


「さ、早く部屋に行って休もう。次に目が覚めた時には夜になってるか、明日の朝か。いずれにしても体の疲れを取りたいわ」

「賛成。でも、その前にシャワー浴びたい。お風呂なら、なおよし」

「いいね。王都ほどじゃないけど、浴室があるから運んだら行こう。あなたたちもどう?」


 クレアのお誘いにフランもサクラも笑顔になる。


「私、フランと先に行ってる。お風呂、使い方知ってるし。お湯が張ってなかったら、入れとく」


 アイリスが鼻息を鳴らしながら、フランの手を引っ張って走り出す。


「わ、わわ!? 待って、着替えとかはどうするの!?」


 勢いについて行けず混乱するフランを尻目に、フェイは笑いながら扉へと向かった。


「では、僕は一度、武器庫に行ってから自室に戻ります。大丈夫だとは思いますが、みなさん、お気をつけて」

「うん。フェイもお疲れ。ゆっくり休んでね」

「ありがとうございます」


 各々が扉を出て目的の場所に向かって行く。

 ユーキはその光景をぼんやりと見ながら、安堵して休息のための一歩を踏み出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る