渾沌はただ嗤うⅠ
燃え盛る炎を前に、マリーは安堵の息を吐いた。
宮廷魔術師で、娘の知らない内に強力な魔法が使えるように、呪詛染みた拘束魔法を使うような母親だ。かなりの人を殺すことになると思って覚悟して来たが、実際は敵の本隊を素通りし、後方部隊の更に後ろ側へ下ろされた。
「手あたり次第、見えている馬車の積み荷を焼き払いなさい。多少、周りの人間も気にしないで。大切なのはスピードよ」
「ちょっと母さん。あいつら武器持ってるんだぜ。流石に囲まれちまったら負けちまう!」
「大丈夫よ。その時は私がフォローしてあげるから。でも、少しくらいは自分で対処しないと力にならないから、頑張ってね」
敵本隊じゃないというだけで、当然、後方支援の兵だって弓や槍で武装している。幸運にも、ビクトリアから知らされていた道士という、帝国の魔法使いたちは前線に赴いているようで、それらしき姿は見えなかった。
「娘一人を敵陣に置いて行くとか、前々から思ってたけど母さんの考えはぶっ飛んでるぜ」
「誉め言葉として受け取っておくわ。後、魔力制御は解除したかしら? もし、しているなら最初の一発目はできるだけ手加減して撃ちなさい。でこぴんのつもりが戦斧を持ってフルスイングしたような威力に化けるから」
「なにそれ、怖い」
自分の両親は相当にぶっ飛んでいる発言をするが、それが自分ごとになると、こうまで恐ろしくも感じるのか。そうマリーは思いながら、杖を構える。
「(空から見たときは長方形の陣形で複数の列を作っていたから――――一つ潰したらすぐに他の列へと移動しないといけないよな)」
物陰から見ていると、本隊よりもその人数は多いようにも見える。実際に侵略する際、戦闘部隊よりも非戦闘部隊の方が多いということはよくある。御者などは兵に任せるにしても、料理や治療、修理をする者などの非戦闘員の役割は、ただ戦うという役目よりも多くあるからだ。
今回の帝国軍の場合、戦闘部隊と非戦闘部隊はほぼ同数か、戦闘部隊が上回る程度であった。多く見積もって四万に届くかという軍勢。その内の半数がいる場所に攻撃をしかけるのは勇気がいる。
「『燃え上がり、爆ぜよ。汝等、何者も寄せ付けぬ四条の閃光なり』」
ビクトリアの言葉を聞くに、一発の威力はかなり大きいものと考えられる。それならば、魔力は最小限にして、一度に複数の場所へと攻撃をした方が詠唱をいちいちしなくてもいいはずだ。
しかし、今まで魔力制御に――――宮廷魔術師が手加減したとはいえ――――抑止する枷が付いていたのだ。それをいきなり外された場合、どのようなことが起こるか。
もし、普通の重力の何倍もの生活に慣れた人が、急に元の重力に戻されれば、誰もが最初に軽くなったという感想を抱くだろう。そして、普段通りの生活をしようとしても必要以上の力を出力してしまう。
それが筋力ではなく魔力という形で行われた結果、どうなるかというと――――
――――――ドッ!!
ちょうど陣形のど真ん中に着弾した火球は一瞬で膨れ上がり、膨大な熱量と共に暴風を形成した。
積み荷が燃えるどころか、その周りにいた馬車や兵をなぎ倒し、その一角を壊滅させることに成功する。
唖然とするマリーのところに爆風がようやく届き、思わず体を伏せる。
「な、ななな、何て威力だよ。これ!?」
「言ったでしょ? 手加減して撃ちなさいって。魔力が過剰だから弾けて、スゴイ爆発を起こしてるわね。それは予想通りだとしても、四発も撃つから間に合わないかと思ったわ」
「ま、間に合わないって何が!?」
「そりゃ、防御魔法よ。あなたにはね、物資だけを破壊してもらう予定なの。現時点では、人を大量に殺す覚悟なんて、ほとんど出来てないでしょう?」
呆れたように言うビクトリアにマリーは目を疑った。
てっきり、ビクトリアは嬉々として人を焼き尽くす練習をさせるものだと思っていたからだ。
「クレアちゃんもあなたも……私が人殺しをさせるつもりだって思ってたみたいね。覚悟もできていない人間にそれをさせるほど、人でなしじゃないわ。その点においては、むしろ坊やの方はスイッチが入っちゃってるみたいだから、野放しにしちゃったけど――――そこはあの人が上手くやってくれるでしょ」
「ば、バカにすんなよ。それくらい、あたしにだって……!」
「ほら、後ろから敵が来てるわよ?」
急いで振り返って、火球の魔法を無詠唱で放つ。
先程の威力が頭をよぎり、無意識に兵たちのかなり手前へと放ってしまう。だが、その威力は抜群で爆風こそ今度は抑えられたが、マリーと兵の間に炎の壁が出来上がっていた。
「ほら。魔法を直撃させなかった。今はそれでいいの。手を汚すのは、私たち大人が手に負えなくなった時でいいわ」
「――――っ!」
ビクトリアを睨みながらも、マリーは言われた通りに物資を積んだ荷台目掛けて魔法を放っていく。
「あの人はできるだけ敵将に満足のいく戦いで降参してもらおうと考えていたみたいだけど、今回ばかりは街を守ることを優先したみたいだし、お互いに丸くなったのかしら」
既に物資の大半が燃え始め、消火が不可能と判断した護衛たちは炎を恐れて本隊の方へと逃げて行く。ビクトリアはそれを眺めながらニヤリと笑った。
「こんな暑い日に食料も水も失ってどうするのかしら。川の水は豊富だけれど、それを飲む暇を私たちが与えるほど優しいとは相手も思っていないでしょうね」
そう呟くとビクトリアは大きな杖先で軽く地面を突いた。
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