襲撃Ⅱ

 叫びたくなる気持ちを堪えて、思いっきり息を吸った直後。真っ暗な川の中へと叩き込まれた。

 普段から身体強化の鍛錬もしていたおかげか。蹴り飛ばされた時も、高低差があった水面に叩きつけられた時も衝撃はそこまで強く感じなかったが、運がいいのか悪いのか。水深が深いところへと落ちてしまい、足がなかなかつかない。

 刀は持っていなかったものの、服が水を吸ってしまって重さ以上に体の動きを邪魔してくる。

 ワイアットの早業でユーキの足首の縄は解かれていたものの、いまだに手は拘束されたままだ。いかに泳ぎが得意と言っても限度がある。空中の回転と暗闇で上下感覚を狂わされて、足のつかないところに落とされれば大抵の人間はパニック状態に陥る。


「――――ごぼっ」


 潜ってから底を蹴って浮上しようか。それとも、このまま浮上を試みるか。判断に悩むうちに無駄に体力を奪われて貴重な酸素を吐き出してしまう。ウンディーネが近くにいればよかったが、コートは馬車の所へ置いてきてしまっていた。

 それでも何とか姿勢制御に成功して、全身を前後にくねらせて推進力を得て前へと進む。

 川の流れもあり、流されていく方向へと身を委ねて水面よりも先に足がつく場所を目指していく。すると次第に、足先に川底が当たり始めた。

 膝を一気に引き寄せて、足の裏を川底へと着ける。少しばかり足を取られるが、慌てずに足場が安定するのを待って立ち上がった。


「――――ぷはっ。むぐっ!?」

「――――ひゃっ!?」


 大きく息を吸うために口を開けて立ち上がると、体中が空気に晒されるのを感じる。それなのにも関わらず、顔は柔らかいものに包まれて、呼吸を阻害されていた。


「むぐぐっ!?」

「ひゃう!?」


 無理に息を吸おうとするが何かが邪魔して、十全に息を吸いきれない。立ち上がった勢いでにぶつかってしまったようだ。自身の顔面を支えていたものを縛られた手で鷲掴んで、体勢を立て直す。


「――――ゲホッ、ケホッ。し、死ぬかと思った」


 上半身を揺らして気管支に入りかけた水を吐き出して、呼吸を落ち着ける。頭を振って、水気を吹き飛ばして、追ってくるだろう女騎士を探そうと目を開けると――――


「――――サク、ラ?」

「むぅぅぅぅぅっ」


 声ならぬ声をを押し殺して、呻いているサクラがいた。問題なのは格好だ。辛うじて体に巻いた大きい布で大切な部分は隠せていたが、ユーキに後ろから押されて前方へと手をつく形で転んでしまっている。つまり、ユーキが顔面追突して、現在進行形で掴んでしまっているのは――――


「お、おし……」


 口から出かけた言葉が、振り向いて涙目のサクラの顔で押し留められる。

 だが、その後に出てくる謝罪の言葉がうまく出てこない。


「その、ごめ、わざとじゃ……いや、そうじゃなくて……」

「うっ……ぅぅぅ……」


 月光に照らされたサクラの顔が真っ赤に染まっているのがわかる。今にも声を上げて泣き出しそうな表情に、ユーキは胸が痛みながらも、どこかかわいいと思ってしまった。

 しかし、今は良心が勝ったようで、両手を放して川の中で半ば土下座のように頭を下げた。


「ご、ごめん。許してもらえるとは思えない……ただ……」

「ぐすっ……」


 泣き始めそうな声音に、川の水なのか冷や汗なのかわからないものがユーキの全身を伝っていく。それと反比例するかのようにユーキの口の中は乾いていく。


「その……」

「おーい、サクラ。まだ、中に入ってんのか?」

「「――――――っ!?」」


 土手の上からマリーの声が響いた。草を踏み分けてくる音がするので、恐らくマリーはこの現場を目撃してしまうだろう。

 ユーキの心臓が恐怖で大きく跳ね上がる。それと同時にサクラがユーキの腕を掴んで、近くの大きな岩へと引っ張って行く。その大きさは人が辛うじて隠れられそうだった。


「な、なにを……」

「急いでっ!」


 身体強化を使っているのか、サクラは力強くユーキを岩の陰へと押し付けた。それと入れ替わるようにマリーが同じように布を体に巻いて見下ろしてくる。


「サクラ。まだいる?」

「ううん。今、上がるところ。拭いてから行くから先に行ってて!」

「わかった。さっき、そこで騎士の兄ちゃんがのぞきで捕まったから、サクラも上がってくるときは気をつけろよ!」

「うん。わかった」


 サクラが震えそうな声を何とか隠してマリーと会話を終えると、草のかき分ける音が遠ざかっていった。

 しばらくサクラが土手の部分を見つめていたが、誰も戻ってこないことを確認するとユーキへと目線を戻した。


「はふぅ……」

「おい、大丈夫か」


 怒られることを予想していたユーキは、足から崩れ落ちたサクラを抱きとめる。


「ちょっと……腰が抜けちゃった」

「そ、その……ごめん」

「なんで……ユーキさん。ここにいるの?」

「その話せば長くなるけど……まずは謝らせてほしい」

「そ、その前にふ、服を着たいかな……」

「あ……」


 サクラの言葉に思わず視線が下がる。薄い布の間から白い肌と胸の谷間がのぞいていて、何とも艶めかしい。当然、その視線にはサクラが気付かないわけもなく。その顔を再び朱に染めながら呟いた。


「……ユーキさんのエッチ」

「ぐっ……」


 否定できず言葉に詰まるユーキの肩を押して、岩の方へと向き直らせる。


「えっと……?」

「今から体拭くからこっち見ない!」

「はいっ!」


 いつもと違って、強気な声に思わずユーキは直立不動の姿勢で目の前を見つめる。

 しかし、どんなに煩悩を追い出そうとしても、真後ろで布が擦れたり、絞って滴り落ちた水音が聞こえたりしてしまうと、見えていないのに頭の中には邪なイメージが勝手に出てきてしまう。

 おまけに、時々聞こえてくるサクラの息遣いが、余計にユーキの精神力を削っていく。苦肉の策として、ユーキはサクラへと話しかけた。


「その……さ。何で、助けてくれたんだ?」

「えっ?」

「ほら、大声上げたり、マリーが来た時に突き出すこともできたのに」


 ユーキの疑問にサクラは戸惑っているのか、なかなか返事を返さない。まるで処刑宣告を受けた囚人のように手を握りしめていると、すぐ後ろから声がかかった。


「だって、ユーキさんは……その、そういうことはしなさそうだし」

「え……」

「ほら、いつもやんちゃなマリーとかアイリスとかを止めようとしている時とかあるじゃない。そういうの見てるとなんか先生みたいで……」


 早口で捲し立てるように話すのは、いつもの落ち着いているサクラからすると珍しかった。今の状況に慌てているのもあるだろうが、それよりも何かを誤魔化すように感じられる。


「そうか……意外に信頼されてた、のかな」

「みんな信頼してるよ。マリーもアイリスも……」


 そんな言葉を聞いていると、不思議とユーキの中にあった気持ちは落ち着いていた。何か、自分の中になかったものが、不意に現れた気分だった。


「でも、乙女の柔肌を覗いた罪は消えないんだからねっ!」

「はい……」


 この後のサクラからの追及に、どうやって返答しようかと胃が痛くなるユーキだった。

 しばらくして、周りを見ると他の人たちが川から引き揚げているようだった。サクラの許可を得て、周りの女騎士にばれない様に一緒に陸へと上がる。

 服を着る間も当然、合図があるまで靴の水を抜きながら、草の中で誰もいない遠くを見ていた。せっかく落ち着いたのに、衣擦れの音で劣情を催してしまうところは、ユーキとしてはサクラに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 着替え終わったサクラに魔法である程度服を乾かしてもらいながら、訓練と称して連れられてきたことや水浴びをしていることを知らなかったことを話した。


「確かに私たちも、知らされたのは馬車の所へ集められてからだったし、ユーキさんは知るはずないもんね」

「いや、結果的にその……ああなったのは事実だから、何としてでも罪を償う機会をいただきたい」


 もはや当然の如く、土下座を行う。その気迫たるや今にも切腹をしかねないほどの意思を感じさせた。それが伝わったのかサクラも悩んでしまい、腕を組んで唸り始める。その頬には未だに朱がさしたままだった。


「わかりました。私からの判決を言い渡します」

「はい」


 目を瞑って沙汰を待つ。それを見下ろしながらサクラは腰に両手を当てて、胸を張って言った。


「私の言うことを何でも一つ聞くこと」

「わかりました……え、それでいいの」

「あ、三つに増やした方がいい?」


 ユーキの言葉に珍しく意地悪そうな顔でサクラが顔を近づける。気恥ずかしいやら後ろめたいやら様々な気持ちが混濁する中でユーキは迷わずサクラの顔を見て答えを返す。


「そ、それでサクラの気が済むなら」

「……そういうとこだよ。ユーキさん」

「な、なにが?」

「教えないよーだ」


 そういうとサクラは踵を返して場所の方へと歩き出す。慌ててユーキも追いかけて横に並ぶ。先程までの出来事がなかったかのように、サクラの顔には笑みが浮かんでいた。

 馬車に戻ると、本来あるはずのない組み合わせであるため、当然マリーとアイリスの質問攻めに遭う。そして、これまた当然だがワイアットが捕まって尋問を受けたために、ユーキも呼び出しを食らう事態となった。

 翌朝、一昔前の廊下に立たされた生徒の如く、木桶に水を入れて立たされているワイアットの姿があった。幸運なことにワイアットが正直に白状したこともあり、ユーキは情状酌量の余地あり(隊長自身は「馬鹿に巻き込ませて申し訳ない」とのこと)で、無罪放免と相成った。

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