襲撃Ⅰ

 出発してから三日目の夜。

 雲一つなく、多少の距離なら月光で見えなくもない、見張りにとっては最適な夜だった。

 ここに来るまでに、何頭かの狼や野犬などを見かけることはあったが、こちらの人数が多いためか遠巻きで見ているだけで近づいて来なかった。

 ただ昼の暑さが一番辛く、陽が沈んだ後の服は気持ちが悪くなる程度に湿っていた。騎士団やオーウェンの着る鎧は軽量化の魔法がかかっているらしく、ユーキやアランほど軽くはないものの見た目以上に涼しい顔で歩いていた。

 男性陣は比較的、肌着を着替えるのに時間もかからないし抵抗もないだろうが、女性陣はそうはいかない。サクラたちは天幕を利用して女性騎士たちと着替えていたが、男性の二倍以上は時間がかかっていた。また、濡れた布で体を拭くだけでは、いくら魔法できれいにできたとしても、精神的にはきついだろう。

 着替えと夕食が終わり、暗闇の中で一息ついていると同じ班にいた女騎士から声をかけられた。


「女子は、今からすぐに一番後ろの馬車へ集合だ。男子の君はここで見張りを頼む」

「はい。わかりました」


 サクラたちが松明を片手に離れていくのを見送って、ユーキは周りを魔眼で見渡した。草原と川、上空も見上げるが特に違和感は感じられなかった。


「猛獣の類なし。鳥も夜に飛ぶのは森の方でここにはいないから、しばらくは安全かな」

「へぇ、暗視の魔眼か何かかい?」

「うぇっ!?」


 先程まで誰もいなかったはずなのに馬車の陰から人が出てきた。騎士の恰好ではあるが体躯は細く、率いていた隊長より二周りも小さいくらいだった。顔はよく見えなかったが、その声には聞き覚えがあった。


「な、何ですか?」

「おう。ちょっと、お前さんに用があってな」


 行軍中にトチ村の出身の騎士ということがわかったので休憩中に話しかけたところ、彼はゴルンの息子であることがわかった。名前はワイアット。細身ではあるが、父譲りの怪力を受け継いだ彼は、村長の勧めもあって騎士団の入団試験を優秀な成績で突破してエリート街道まっしぐらだそうな。


「女子は女子たちで講義を受けてるんだ。お前さんも一つお勉強と行こうじゃないか」

「え、何をするんです?」

「そりゃぁ、こいつを使ってホホイのホイッと」

「え? えぇっ!?」


 いきなり取り出したロープをユーキの手首へと巻いて結んでしまう。余ったロープはワイアットの手の内にある。まるで捕まって護送される囚人のようだった。

 思わず離れようとすると、いつのまにか足首にもロープが巻かれていて、芋虫のように倒れこんでしまう。


「捕縛術の一種ってやつだけど、これを教えるためにやったんじゃないぞ。むしろ、その逆。もし捕まってしまったら、どのように逃げ出すか、だ」


 もぞもぞと動いて体勢を立て直すユーキの前へと座り込むと、ワイアット自身も自分の手と足を自ら縛っていく。あっという間に自身で拘束をし終えると、ユーキの真横へと並んだ。


「とりあえず街道の向こう側には、ちょっと幅の広い川がある。そこの土手まで行って、引き返してくるまでが訓練だ。実際、川に入っちまえば追跡はだいぶ難しくなるからな」

「えっと、これどうやって進むんです」

「足を縛られていると使えないからな。基本的に肘を張って上半身の捻りを使って進め」


 そういうとワイアットはお手本を見せるかのように下半身を引きずって進み出す。ユーキもそれに遅れないようにと追いかける。

 しかし、十数秒もするとその差は体一つ分も開いてしまう。単純に一つ一つの動作が早く、ユーキが一動作する間に最低でも二倍は動いている。おまけに小石が服越しに刺さって、思うように前へと出れない。


「ほれほれ、若者よ。しっかり、ご褒美も用意してあるんだから頑張りんさい」

「あなたも、十分、若いで、しょう」

「お、嬉しいこと言ってくれるじゃないの。じゃあ、もう少しわかりやすく体を動かしてやろう」


 こういう場合のわかりやすいは、教えている本人から見てわかりやすいだけで初心者からすると『どこを』『どのように』しているか注目する場所を予想しなければいけないので辛い。

 ワイアットもどうやら同じタイプらしく、動きがゆっくりにはなっているが理解できない。もっと言うならば、いくら月明かりがあっても草の影などで、腕や肘がどのように動いているか見ることは難しい。


「あ、間違えて川に落ちてもすぐに助けが来るから安心しろ。あと、ここの川程度ならヤバい生き物はいない」

「何も、安心、できないっ!」


 上手く体を動かせない苛立ちを力に変えて、無理やり前へ進んでいくと、待っていたワイアットに並ぶことができた。


「オーケー。いい根性だ。これなら上手くいくだろうぜ」

「何が……?」

「答えはゴールしてからのお楽しみだ。さて、俺についてこい。ここからは敵役の騎士がいるから見つからないようにな。極力音も立てるな。しゃべるな、だ。俺が話しかけるまで黙ってついてこい。失敗は死あるのみ!」

「えぇ……」


 やけにハイテンションなノリに戸惑いながらも、進み出したワイアットへと続いていく。

 二分程、ワイアットのすぐ真後ろを通っていくと、松明を掲げて歩く女騎士が十数メートル先にいることに気付いた。

 ワイアットも進むのを止めて、足でユーキの目の前を軽く横に振って、止まっていることをアピールしてくる。十秒、息を潜めるどころか止めるような気持ちで待っていると、女騎士が振り返って遠ざかる。

 ユーキの目の前で足がトントンと二回叩かれると同時に、ワイアットが握っているユーキのロープが引っ張られるのを感じた。そうこうしていると目の前の暗闇へつま先が飲み込まれていく。慌てながらも、音を立てないようにユーキは追いかけた。

 時折、目の前の方で何かが投げられると、近づいてきていた騎士を誘導するように音が響く。その隙をついて、何度か方向転換をしながら目的の川へと近づいていく。

 騎士の目をかいくぐること四回。地面に傾斜を感じ始めると共に、川のせせらぎと何かが水面を叩く音が聞こえてきた。

 ワイアットがわざと左へ一回転して場所を開ける。ユーキは引っ張られるロープに従い、前へ出た。


「よぉ、お疲れさん。ここまでついてこれたのは、お前さんが初めてだ」

「合格ですか?」

「おうよ。だが本番は生きて帰るまでだ。ご褒美に夢中になりすぎるんじゃないぞ」

「はぁ。いったい、なにを……」


 ユーキは服の首元を掴まれて更に前へと引きずり出されると、自分たちがどこにいるのかを把握するのにずいぶん時間がかかった。

 川の中では女性たちが水浴びをしていた。ある女性は肩まで水に浸かり、ある女性は布で体を拭いていた。遠目ではあるが、豊満なバストが草の間から垣間見ることができた。

 いくら軽量化されているとはいえ、一日中鎧を着て歩いているのだ。どれだけマッチョな女性たちかと思っていたユーキは、その予想以上に女性らしさを感じる体つきに一瞬、目を奪われてしまった。『引き締まるところは引き締まり、出るところは出る』なんていうのは、コマーシャルの宣伝くらいだと思っていたが、実際に見てみると想像以上に美しいものである。


「ふふふ、どうだ。これが俺様恒例の『匍匐逃走訓練兼覗き潜入訓練』なのだっ……!」


 ユーキの中に最近、あまり感じることのなかった劣情がふつふつと湧き上がってくる。何とかして視線を逸らした先には、土手で鎧を前後に外している女性がいた。薄手に作られた夏場使用のアーミングジャケットを下着ごと脱ぎ去るとプリンのようなやわらかさを感じる半球体が躍り出た。

 思わず目を川面へと移すと月光といくつかの松明が反射して、ささやかなイルミネーションを作り出していた。


「さて、もう少しあっちに行くとお前の――――!?」


 ワイアットがユーキへ話しかけようとして急に静かになる。不思議に思って、ユーキが横を向こうとするとワイアットは申し訳なさそうに小声で言った。


「悪い。先に謝っておく。今日はいつもより、警備が厳重だったみたいだ」


 ユーキの背中と首筋に鳥肌が一気にたつ。横目で見るとワイアットの顎から冷や汗がぽとりと一滴落ちるところだった。


「――――ワイアット。……!!」


 押し殺した低い女性の声が響いた。

 それはユーキたちと同じ班で、サクラたちを迎えに来た女騎士だった。恐怖で動けないユーキと違い、ワイアットは見えないように自分の手首のロープを解くと――――


「バレちまったらしかたねーなぁ!!」


 立ち上がると同時にユーキの足首のロープも解いて、器用に川へと


「(……なっ!?)」


 空中に投げ出されたユーキが見たのは、松明を持つ女騎士の集団へと突っ込んでいくワイアットの姿だった。

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