黄金VS漆黒Ⅱ

 時は少し遡り、侵入者の男は伯爵率いる騎士団に囲まれていた。場所は三階建ての宿屋である程度屋根が広いため、簡単には落ちることがないだろう。


「さて、追い詰めたぜ。鬼ごっこはもう終わりだ」


 ローレンス伯爵は剣を男に向けて振りかざす。

 対して、男は周りを見渡すと小さく舌打ちした。周りは騎士達に囲まれ、下の道も野次馬が集まり始めて容易に逃げ出せない。


「こちとら家を荒らされて、仲間傷つけられて頭にキテんだ。ちょっとばかり手荒になって、死んじまっても文句言うなよ?」


 男はじりじりと交代すると隣家の壁が背中に当たる。上にも横にも騎士たちが待ち構えており、正面には辺境伯の剣豪が待ち構えている。突破するのには困難が容易に予想される。


「さぁ、構えろ。それくらいの時間はくれてやる」


 それに対し、男からはため息が漏れるだけだった。それが伯爵には癇に障って仕方がなかった。

 まるで、最初から相手にされていないかのような。つまり、そもそも敵として認識されていないような感覚に戦士としての誇りが怒りを訴えていた。

 剣を担ぎ上げた伯爵に対し、男は相撲を取るかのように足を開いて腰を落とし、片手を腰だめに、もう一方の手を屋根につけた。その顔はもはや伯爵にすら向けていない。


「おい、何のつもり――――!?」


 怪訝な顔をしていた伯爵は、すぐに表情を引き締める。その顔には焦りが浮かんでいた。

 一歩踏み込み加速を始める。相手が腰だめに構えた手をが圧倒的に早い。

 次の瞬間、響いたのは轟音。一拍遅れて、野次馬の悲鳴と土煙が舞った。


「天井をぶち抜いて屋内に侵入だと!?」


 ――――ズガンッ、ズガガッ!! ! ! 


 さらに一拍の後、伯爵の足元。そして背後から轟音が響いていく。


「そこまで、でたらめな奴かよ!」

「(あなたも似たようなことしたことあるでしょうに……)」


 伯爵の声に、周りの騎士達が同じことを考えたのは言うまでもない。


「俺が後を追う、お前らは外から追え! 次は地上に引きずり出してやる。そこなら逃げられん!」


 伯爵は屋根に開いた穴に飛び込むと、土煙の中でベッドの横に頭を抱えて蹲っている青年を見つけた。見たところ出血などの様子は見られない。


「おい、大丈夫か!」


 伯爵の問いかけに蹲ったまま、頭だけを何度も上下に動かして青年は肯定を示す。ひたすら動かしているためか黒髪がヒョコヒョコと揺れ動いていた。

 顔は見えないがその様子を見て、伯爵は目の前の壁に開いた穴を通り抜けていく。

 後ろで慌てて、ドアを開けて出ていく音が聞こえるのを聞きながら伯爵は、次々と穴を抜けて追いかける。最後の七部屋目に辿り着いて、傷一つない壁が立ちふさがった。


「しまった。ベランダか!」


 慌てて外に出て、近くの騎士に叫ぶ。


「おい、ここのベランダ側から出てきた奴は!?」

「は、はっ!? こちら側から脱出する者は一人もいませんでした」

「何だとぉ!?」


 騎士が嘘をついているようには見えず、その周りに残っていた野次馬もコクコクと顔を頷かせる。その動きを見て、伯爵は自分の来た道を振り返った。

 こんな真昼間から宿屋にいるのは、一体何者か。そもそも、こんな大騒ぎになれば誰だって様子を見に外に出ていくだろう。

 おまけにこの国で黒髪なんて、ほとんど見やしない。先ほど慌てて出ていった奴が犯人と見て間違いない。


「おい、この宿屋から出ていった奴はいるか!?」

「申し訳ありません。上で起きていたことに注視していたものですから……」


 わかりきっていたことだった。周りの民衆に聞いても無駄だろう。相手は余程、逃走に慣れている。その場の発想のセンスか。今まで潜ってきた修羅場の数によるものかはわからないが。


「ここは勝ちをくれてやるが……。マリーのところに急がねばな。少なくとも、あの娘達は死守せねば……ちっ、邪魔だ!」


 急ぎ足で元の部屋に戻るが、さっきまでの男は影も形もなかった。床に落ちたシーツの影にあった塊に足をとられ、悪態をついてしまう。宿屋を出ると、髪の薄い男がオロオロと周りを見渡しながら伯爵の元に近づいてきた。

 もはや、その顔には滝のように涙が流れている。


「は、伯爵様。な、なぜ私の宿屋がこんなことに」

「すまない。ちょっとした犯人を追いかけていたのが、予想外に手強くてな」

「伯爵様の手を煩わせるほどの手練れですか……」

「……すまない。必ずここの補償はしよう。今は奴を追うことを許してほしい」


 肩に手を置かれた店主には逡巡が伺えた。しばらく、嗚咽にまみれて泣いていたが頷いた後、項垂れて宿屋へと入っていった。

 貴族の特権を振りかざし、補償を約束しない者も中にはいただろうが、少なくとも伯爵にそんなことはできなかった。その肩を落とした店主の背に、自らも背を引かれる思いで自分の娘がいるはずであろう我が家へ走り出す。

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