消える影Ⅵ

「――――というわけだ。飯を食いにいこう」

「「「「「…………はい?」」」」」


 唐突に伯爵に声をかけられたユーキ、フェイ、サクラ、マリー、アイリスは伯爵からの脈絡なき、昼飯のお誘いに思考停止フリーズしていた。真っ先に、我に返ったのはフェイとマリーだった。


「伯爵。何が『というわけ』なのか説明が飛んでおります」

「父さん。だから『歩くデタラメ』なんて言われるんだ。いつか『歩くトンチンカン』とか言われるかもしれないぜ」

「む……」


 二人の言葉に説明が足りないことを察した伯爵は、一瞬かたまった後、大笑いして話を続ける。


「ははは。何、昨日のことで少し疲れているだろう。家の飯もうまいが、王都の飯をみんなで食べに行くのも悪くはないと思ってな。まぁ、気分転換だ」

「なるほど。では、伯爵だけでどうぞ」


 そうフェイが言うと、ぞろぞろとユーキ達も元の場所に戻っていく。鍛錬好きのフェイだけならわかるが、マリーもとなると話は変わってくる。伯爵は思わず呼び止めた。


「待て待て待て、待てーい! 一体どうしたんだ。フェイはともかく、マリーまで魔法の鍛錬とは!? 今日は嵐――――ぶぼっ!?」


 マリーの伯爵への返答はバレーボール大の水玉で行われた。頭を冷やしていろ、ということだろうか。


「あたしだって、やるときはやるんだ」

「マリー、いくらお父さんでもやりすぎ」


 アイリスが止めに入るけれども、マリーは首を振った。


「いいんだよ。こっちが本気でやっていることをからかってくるのは、それこそ親だったら許せないね」

「ふむ。そこまで言うなら話は早い」


 マリーの啖呵に、いつの間にか顔を覆っていた水玉を弾き飛ばした伯爵が笑って話しかけてくる。ただし、その表情は冷笑でも嘲笑でも失笑でも苦笑でもなく、ただひたすらに――――


「お前たちが強くなりたいのなら、荒療治ではあるが一戦交えようか」


 ――――無邪気に笑う幼子のような真っ白な笑顔だった。


 瞬間的に、その場にいた全員の背筋に悪寒が奔った。マリーとサクラは、昨晩の侵入者と対峙したときのような感覚に陥り、手や足の感覚が痺れているようだった。


「(何だよ。父さんのこんな雰囲気は今まで一度も感じたことがなかったぞ!?)」

「(昨日の人と同じような……いや、それ以上の……!?)」


 アイリスは、杖に手をかける寸前で押しとどまっていた。杖を引き抜かなかったのは、伯爵に杖を向けると反撃が来るかもしれない、という危機意識がギリギリ働いたからだろうか。

 指一つの動きすら見逃さないよう伯爵を睨んでいるが、そのどの部分からも圧迫感を感じてアイリスはどんどんと顔が蒼褪めていく。

 それに対して、ユーキとフェイの反応は武器を構えて攻撃に備えることだった。ただし、フェイの剣と違いユーキの刀は揺ら揺らと上下左右にぶれて、定まっていなかった。


「(対峙しているだけでも……つらい)」

「(くっ、伯爵にも考え合ってのことだと思いたいが……勝てる気がしない)」

「(冗談じゃない。こんなやばそうな人とやって生き残れるかよ)」


 フェイはどうかわからないが、ユーキにとっては殺せる武器を同じ人へ向けるということが更に重くのしかかっていた。盗賊などの犯罪者なら正当防衛ということで、まったくではないが動揺は少なかっただろう。

 しかし、今は違う。武器も構えずに笑顔でこちらに近づいてくる一見無害そうな人間だ。


「(いや、あれは羊の皮を被った化け物だ。騙されるな)」


 そう頭の中で言い聞かせていても、冷や汗が頬を伝い、顎から滴り落ちる。格が違うということを頭ではなく、体が理解する。理解させられてしまう。胸が早鐘を撃ち、呼吸が細かくなり、周りの音が聞こえなくなる。一秒が五秒に引き伸ばされるかのような感覚に、思考が追いつかなくなった。


「ふむ、やはり近接戦闘の伸びしろがありそうだ」

「――――――――っ!?」


 気づけば目の前に伯爵が立っていた。そして、反応する間もなく刀を逸らされて、額を掌底で打ち抜かれる。体が強張っていたせいか、首に負担がかかり、頭に遅れて体が後ろに傾いていった。


「ユー……」

「君らも遠距離主体戦闘だけでなく、近接戦闘も学んでおいた方がいいぞ」

「んがっ!?」

「きゃっ!?」

「うっ!?」


 女子三人組に対しては、ユーキと同じように前に現れて、身がすくんだところにデコピンが飛んできた。しかも文字通り、目にも止まらぬ速さで、だ。やはり女の子ということでかなり手加減したみたいだが、マリーだけは強めにやられたのか額を押さえて蹲っている。


「悪くはないが、鍛錬不足だな」

「くっ……」


 フェイは伯爵が女子に三人組に手を出そうとした瞬間を狙って剣を振るっていたのだが、片手で剣を掴まれたばかりか、空中で一回転して投げ飛ばされてしまった。

 素早く受け身を取った後には、追いうちの掌底が待っていた。

 掌底とデコピンを食らった者たちが各々苦しみの声を絞り出す。軽微ではあるが、その惨状を作った当人に、フェイは話しかける。


「伯爵。一体何を……」

「いずれわかる時が来る。この一瞬で感じた感覚をよく覚えておくんだな」

「は、はい」


 有無を言わせぬ物言いと普段と違う雰囲気にフェイも飲まれていたが、マリーの怒声で我に返る。


「いってぇーな! 何すんだ!」

「何、実力者の雰囲気も肌で知っておいた方がためになると思ってな。次に侵入者と会った時には、『なんだ、このへなちょこ。伯爵の足元にも及ばないなぁ』と感じる程度にはなっただろうさ」


 先ほどとは打って変わって、朗らかな暖かみのある笑顔で伯爵は言い放った。そこには先ほど感じたプレッシャーは欠片も存在しなかった。


「さて、俺と戦うには足元にも及んでいないというのはわかったはずだ。だから本当に鍛錬するならば、独学ではなく、専門職に聞いて学んだ方がはるかに速いぞ」


 そういって、伯爵は胸元から小さな羊皮紙の断片を取り出した。そこには、ある人物の名前と場所が書かれていた。最初に受け取ったマリーが目を通し、次にサクラとアイリス、フェイへと回ってくる。その間に、マリーが伯爵を胡散臭げに見上げる。


「なぁ、ここって強い奴がいるのか?」

「あぁ、もちろん。私も一目置いている」


 伯爵は腕を組んで大げさにうなずいて答えた。それがまた演技ぶっていて余計に胡散臭い。そんな中、ユーキだけが反応した。


「何だ。知っているのか?」

「はい。恐らく、で、の人と言えば、一人しか思いつきません」

「そうか。もしや、あの技も見たかな? いや、それはこの際置いておこう。まずは、そこで学んでくるといい。私の名前を出せばきっと引き受けてくれるはずだ」


 そう言って、笑った伯爵の顔には、僅かに黒い――――いたずらっ子のような――――笑みが浮かんでいた。

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