少女の歌Ⅱ
乳白色の水面に水滴が落ち、幾重もの円が重なり合って、映っていた景色を揺らす。伯爵家の浴場は、新しい物好きな伯爵によって増設されたものだ。
王都でも珍しい風呂がある家ということで、ある意味で話題になっている。残念なのは、これを扱う機会が少ないことだった。もっとも、商売に使うものではないし、伯爵家なので多少の維持費は気にならない。
そんな浴場は大きく二つのスペースに分かれる。一つは体を洗うスペースである。座るための小さい木の椅子と桶が用意されていて、座ると膝くらいの高さに掬うためのお湯が流れている水路がある。現代と違ってシャワーなど開発されていないので、こういった形になったのだろう。正面を向けば鏡があり、非常に銭湯の形に近いものがある。
ローレンス領からオアシスまで来る途中に、和の国から来た夫婦が営む旅館があるのだが、それを参考にしている部分もあるのだとか。
もう一つのスペースは当然、湯につかる風呂のスペースだ。ライオンの頭の石像からお湯が流れ出てくるあたりは、世界が違えども発想は同じらしい。そんな風呂からは湯気が立ち込め、その中に幾人かの人影が揺らいでいる。見れば、外縁部に近いところに頭や背中を預けて並んでいる影が三つ。
「――――結局のところなんだけどさ」
マリーの声が浴場の壁や天井に木霊する。すぐに木霊した声は掻き消えるが、それでも浴場の広さを感じるには十分だった。両手を縁の部分にかけて、男前に感じられる姿で風呂に入っているのはマリーだった。
「あたしが結婚とか恋愛とかって、そういうことをしてる姿が想像できない」
「そ、そうかなぁ」
「……否定できない」
マリーの発言に、体操座りで膝を抱えていたサクラは苦笑し、アイリスはぶくぶくと水面下で息を吐ききって答える。女三人寄れば姦しい、とはいうものの彼女たちは、世の貴族の奥様方に比べれば、まだまだ可愛い方である。
そして、こういうときのお約束として恋愛話に発展することもないわけではない。
しかし、彼女たちがそういう話題を振るのは以前はなかったことだ。
「ここは一つ、サクラ先輩にご教授いただきたく……」
「そこでなんで私になるの」
「いや、だってユーキと仲いいし」
こんな話が多くなったのもユーキという存在が出てきてからだ。話をするというよりはサクラが一方的に弄られているという方が正しいのかもしれない。
「マリーやアイリスだって仲がいいじゃない。いつも会うたびに走っていく癖に」
サクラの言葉にマリーとアイリスは顔を見合わせると、ユーキとの交流について思い出してみる。思い起こされるのは二人による(過剰な)スキンシップ(という名の弄り)フライングアタック。
アレで怒らない(既に怒ることすら諦めている)ことが仲のいい光景に見えるのだろうか。
そこまで考えてマリーはサクラの表情に気付く。頬を膨らませて子犬のようにう唸っていた。
「サクラも、やってみる?」
アイリスがマリーよりも先に言葉にする。嫉妬――――というものではないが、サクラには二人だけで楽しんでいる、というようにわずかながら考えているようだった。それが無意識に態度で出てしまう程度には。
「えっと、できるの?」
「強化魔術をかければいけるかも……」
マリーは冷静に考えて即座に面白そうだという結論に至り、素早くサクラとアイリスの体重差を比べてできると判断した。いや、無理でもやるという気持ちになった。
「いや、やろう。すぐやろう。思い立ったが何とやらって、和の国で言うんだろ」
「そ、それは使い方が違うというか」
思いっきり立ち上がった弾みで、マリーのたわわに実っている部分が揺れる。恥ずかしげもなくマリーはサクラに歩み寄り、そのまま手を引いて立ち上がらせて出口へと向かう。
「ちょっとアイリスからも何か言ってよ」
「――――グッドラック!」
新しいおもちゃを見つけたか子供のような目でアイリスは親指を突き出した。脱衣所で騒ぐ声が聞こえるがアイリスは気にせず、また、ぶくぶくとお湯に口をつけて遊びだす。
少なくとも、彼女はあと百は数えても出てこないような様子だった。
脱衣所から出たマリーとサクラは、ちょうど廊下でフェイと出会った。お互いに出合い頭だったので、ぶつかるところだったが、フェイの素早い身のこなしで衝突は避けられた。
しかし、無理に避けようとした成果、持っていた着替え一式が落ちてしまった。
「危なかった。すいません」
「いや。避けてくれて助かったぜ。っとと、悪い。今から風呂か?」
慌てて拾うフェイに、マリーも手を貸しながら訪ねる。タオルと上着を拾って渡そうとした手がふいに止まる。
「えぇ、これから入って、明日のためにももう寝ようかと。訓練は午後からですが、自主的な鍛錬は日課なので」
「そうか。――――アイリスが風呂に入ってるけど、わかってるよな?」
「おぉ、怖い怖い。僕は悪戯好きで命知らずな妖精じゃないから大丈夫ですよ」
「わかってるならいいんだ。わかってるなら、な」
そういってマリーは拾ったものをフェイに手渡した。サクラからも手拭いをもらい、軽く頭を下げて去っていく。
マリーは髪をわしわしとかいた後、ため息をついてフェイを見送る。風の魔法で乾かしたとはいえ、若干湿っており、細かい水が飛び散る。うざったげに目を細めた後、マリーはサクラと一緒にエントランスホールに近いところまで来た。
「まぁいい。サクラ。フェイもちょうどいないし、堂々と正面から乗り込んでぶっ放すからな」
「だから私は、そんなことしなくていいって言ってるでしょ。私まで怒られるのは嫌だからね」
「まぁまぁ、そう言わずに――――」
サクラをからかっていたマリーはその先の通路をユーキが横切っていくのが見えた。思わずサクラの手を引っ張って姿を隠す。もちろん、口を塞ぐのも忘れずに。
「
「静かに、お姫様。どうやら王子様が迎えに来てくれたみたいだぜ。そっちから来てくれるなんて――――」
サクラに静かにつぶやいた声はすぐに途切れてしまった。ユーキの歩いていく方向をそのままマリーは、物陰から監視する。
「(あっちには確か――――)」
マリーからは、サクラをユーキへフライングアタックさせることなど、頭の中の片隅に追いやられた。一方、サクラは手の力が緩くなったので両手で外して、マリーに小声で抗議した。
「ちょっと、マリー。いきなり何するのよ」
「あぁ、悪い。ユーキがいきなり現れたから隠れちまったぜ。さて、ちょっとユーキの後を追っかけるぞ。何やら変なことが起こってそうだ」
「マリー、待ってよ」
足音を立てないようにマリーは走り出した。それを追うようにサクラも追いかける。
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