流れ着く果てⅥ
――――夢を見た。
いつの日か見た暗い暗い水の底。漆黒の揺りかごに身を任せ、やがて光り輝く水面へと上がっていく。
その体を水が包み、光が当たる度に感じるほのかな暖かさがくすぐったい。ユーキは既にこれが夢であると気付いていて、もうすぐ目が覚めるのだと理解していた。
以前のように頭の片隅で警鐘が響くこともなく、安心して身を委ねていることができる。頭だけ振り返り、目の端で深淵を覗き見るが黒い腕はもう見えなかった。
水面に再び目を移し、あと少しで浮上するところまで来た。波に揺られ、光が明滅するのが見える。
時折、目に入るのが眩しくて思わず手で目を庇う。ほんの少し、瞼を開けて外の世界を見ようとした。何よりも先に飛び込んできたのは――――
――――黒く染まった自身の腕だった。
「――――ッ!?」
目を覚ませば、いつもの宿屋のベッドだった。体の感覚が戻ってくるにつれて、嫌な汗が体中から噴き出していることがわかる。すかさず、ユーキは腕や足を見てみたが、夢の中のように黒く染まっていることはなかった。
「現実の事件が解決したんだから、夢くらい普通に見させてくれよな」
『なっ……、急に、どうかしたんですか?』
「いや、ちょっと夢見が悪かっただけだ」
精霊石からウンディーネが心配して話しかけてくる。こういう時に話せる相手がいるのは安心できる。特に、ウンディーネが焦っている様子もないので事件が起きていることもない。
ユーキは体を起こして、昨日のことを振り返ってみた。とりあえず、いろいろなことがあったが、いくつか解決しておかなければいけない疑問がある。
「いくつか確認したいんだけどさ」
『なんですか?』
「まずさ、人間不信だっていうのに、何で謝ったり精霊石をくれたりしたんだ?」
昨日のルーカスとウンディーネの会話で思った疑問。ルーカスは信用されずになぜ自分は信用されたのか。
『えーとですね。私たち精霊種はマナから生まれた存在なので魔力には敏感なんです。それはオドであっても、です』
「うん。それは理解できる」
『あなたに見られて反射的に気絶させてしまった時に……見たんですよ。その……あなたのオドを』
ルーカスのいるところではウンディーネが『綺麗だった』と発言していた。つまり、ウンディーネはユーキの魔力の色で信用したのだろうか。
「ちょっと、待ってくれ。それは見ただけで信用に足るものなのか?」
『はい。あなたの魔力は澱みがありませんでした。そうですね。あなたたち人間風にわかりやすく言うならば、とても透き通った小川の水のように見えました。この答えを聞けば、水の精霊である私がどう思ったかはわかりますよね』
「なるほど。少なくとも、普通の人間が持つ魔力とは違ったからか」
『えぇ、魔力はその者の在り方を示します。そういう意味では、オークを倒そうと戦った人たちも、好ましい魔力でした』
逆に言えば、ルーカスは一般の人と同じかそれ以上に、酷く映ったということだろう。仮にも魔術師ギルドの長だ。ある意味、一癖も二癖もないとやっていけないのだろうから、その人と比べるのは酷というものだ。
ひとまず、一つ目の疑問は解決したのでユーキは二つ目の疑問を口にする。
「俺がオークを倒すときに全力を出していない。そう思ったのは何でなんだ」
『あなたが魔法を使っていないからですよ。あれだけの架空神経を持っているのならば、相当な魔法使いのはずです。昨日、使わなかったのは精霊石を使ってまで治療した影響が抜けてなかったんですよね』
少しばかり、興奮気味の声でウンディーネが捲し立てる。どうやら初めて姿を現した時にユーキを調べたことを言っているようだ。
だが、ウンディーネは、この後に三時間にわたって黙り込んでしまう。その原因を作ったのが、ユーキの返事だった。
「俺、ガンドか火を灯すくらいの魔法しか使えないんだけど……」
『――――え?』
ユーキには昨日のアイリスの如く、姿を現していたら顔を真っ赤にして逃げ出してしまうようなウンディーネが想像できた。
後日、アイリスにウンディーネが死ぬほど恥ずかしかった、と語ったのだとか。
「お、アイリス。調子はどうだ」
「もう、大丈夫」
ウンディーネが黙ってしまったので、ユーキは同様の症状に襲われたアイリスの様子を見に行きながら、魔法少女三人娘(ユーキ命名)に会いに来た。ちょうど、昼くらいの時間だったので教室経由食堂行きだ。
「おう、一日寝たら治ったみたいだ。最初はあたしらも心配してたけど、実際に大丈夫そうだ」
「でも、いきなりあんなことになったら驚くから、次からは気を付けてね」
「あい」
昨日の戦闘とは違い、全体的にほんわかした雰囲気がある。一言でいうと和む。ただし、男としては微妙に居づらい。
「しかし、本当に怒涛の一日という感じだったな。当分、事件は起こらないでほしいんだけど」
「ユーキさん。そういうこと言ってると、事件の方からやってくるよ?」
「そうそう。お決まりの展開ってやつだね」
死亡フラグなど立てるものではないが、短期間に二度も大事件に遭遇した身としては、もう起こらないだろうと思う者である。
「ユーキ。戦いが終わったら誰かと結婚する?」
「アイリス、それはやめてくれ。なんか空しくなる。あと、俺にそんな相手はいない」
全くフラグを立てるつもりはなかったが、本当に何か事件が起こってしまいそうで、ユーキは苦笑いする。昼食のメニューに目を通しながら、起こりうる事件を考えてみた。
一.薬を開発した組織の復讐
二.グール再び
三.学園ラブコメラッキースケベ
「(まず、一だが割とあり得る話だ。ルーカス学園長が何とかしたとはいえ、あんな薬を作る組織がそう簡単にあきらめるとは思えない。まぁ、その目的が何なのかわからないけれども)」
昼食の内容を本日の定食(和の国)を選んで、思考を続ける。
「(二に関しても否定しきれない。最悪なのは以前も想像したように水源を汚染されて、人が飲んでしまうパターンだ。そうでなくても、料理に混ぜられたらヤバイ)」
周りの料理を食べている学生たちを見回しながら、ユーキは唾を飲み込んだ。ところどころで楽しく歓談しているが、いつ惨劇に変わってもおかしくないと思うと気が気でない。唯一の救いは、魔眼で見ても怪しげな光は見えないことだろう。
本当ならば、どこかの山奥にこもって自給自足の生活をしたいくらいだ。尤も、そんな生活スキルも覚悟もないので脳内会議を経ることなく却下される。
「(三は別方向の意味での事件だな。よくあるのは登校中に曲がり角でぶつかったのが転校生っていうパターンで、そのまま下着が見えてしまったりとか……いや、ちょっと待て。あくまでイメージで出てきたが、本当にそんなこと起こったやつは存在するのか。ゲームや小説の中だけの話だろう)」
途中から思考がずれて、別の内容で悩んでしまっていた。冷静に考えれば、魔法使いの少女三人に知り合った時点で何かあってもおかしくはない。
しかし、ユーキはそもそも異世界かどうかもよくわからない世界へ、いきなり来てしまっていた人間である。何度か死線を乗り越えた結果、そんじょそこらのイベントでは、もう驚かないくらいにはなっているのかもしれない。
「いや、もうこの世界なら何があってもおかしくないな。諦めよう。心を強く保つんだっ。俺!」
「ユーキさん。どうしたの……?」
「ちょっと、おかしい。というか、怪しい」
「…………」
ユーキの心の声が漏れたのをサクラとアイリスは聞き逃さなかったのか、怪しんでいる。不思議と一番に絡んできそうなマリーは無言だった。
「先日の事件とか、もう色々あったから何があっても動じないようにしないと、と思ってね。ちょっとだけ覚悟を決めてたんだ」
「ちょっと、それは思いつめすぎなんじゃ」
「休養が必要」
「…………」
サクラとアイリスも思い当たるところがあるのか、否定はしなかった。昼食に辛気臭いまま突入するのも嫌なので、ユーキは話題を変えようと先ほどから黙ったままのマリーに声をかけた。
「なぁ、マリーさっきから何を黙ってるんだ」
「…………」
声を掛けられたマリーは口を半開きにしながらユーキを見ていた。いや、微妙に違う。正確にはマリーから見てユーキの右後ろ、顔よりもかなり上に視線が固定されていた。
「(うん? いったい何を見ているんだ)」
マリーの視線を追うように、とりあえず左へ振り返る。
そこに飛び込んできたのは鎧。見るからに白銀に輝き、よく手入れされているのがわかる。そのまま、顔を上へスライドさせると、刈りあげた赤い髪の男が目に入った。
青年というには少しダンディーすぎるので三十歳後半から四十前半といったところだろうか。その男は口を真一文字に結び、マリーを見下ろしていた。
「久しぶりだな。マリー、元気にしてたか?」
ダンディズム溢れる男の口から出てくるバリトンボイス。気迫に満ち溢れ、正面から大声を出されれば動けなくなりそうなものを感じた。思わず振り返ると、サクラとアイリスも固まっていた。
「お、お、――――」
マリーが再起動をかけたように少しずつ口をパクパクと動かし始める。その言葉をよく聞きとろうと、耳を傾けたのがユーキの間違いだった。店の天井を突き破らんとするかの如く、マリーの口から絶叫が発せられたからだ。
「お父さんが何でいるのさ――――!?」
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