流れ着く果てⅡ

「うっ……」


 最初に声を上げたのは誰だったのかわからない。ただ、目の前の光景から目を逸らしたかったというのが全員の本心だろう。食べるというのは、生きるために必要な最も重要な行為の一つである。そうだとわかっていても、そのオークが行う行為はあまりにも醜悪だった。

 握っていたゴブリンを頭から丸かじりにしたのだ。例え魔物であっても、ゴブリンは平均的に百センチほどの背丈、大きな固体になると成人男性より少し小さいくらいにまでなるものもいる。そんなゴブリンが食べられている姿は、人間を食べているようで――――たとえ人間でない存在だったとしても――――嫌悪感に襲われる。

 そんなユーキたちの気持ちを知ってか知らずか。オークは何度かに分けて、片方のゴブリンを咀嚼し終えると、もう一匹も喰らい始める。


「――――あのオークが穢れを持った生物を片っ端から喰らっていたのか」


 食べ物と同じように、水分もまた生物には欠かせない。都合よく、穢れが生物にすべて取り込まれていることに、ユーキは疑問を覚えた。

 ただ、穢れが水のある所を無視して、地上を移動した疑問は解決した。残る疑問は目の前の脅威を取り払ってから考えればいいことだろう。

 魔眼でオークの状態を見ていると、ゴブリンの血を啜り、肉や骨を噛み潰すたびにオークの体が塗りつぶされていく。その色はもはや全身に及び、ゴルドー男爵のグール状態と変わりなかった。ウンディーネも気付いたのか、声を上げる。


「もはやあれはオークですらありません。肉の一片、血の一滴すら穢れのもととなります。私が浄化できない以上、神官の浄化や炎で焼き尽くすしか解決する道はないと思います」


 ウンディーネの意見にルイスも頷いた。


「そうですか。では最低でも、オークの機動力――――可能ならば生命活動を停止させて、浄化するか。焼き尽くすことにしましょう」

「もうすぐ、あいつが食べ終わる。そしたら狙われるのはこっちだ。ユーキ、準備はいいな? あたしは左足を攻撃する。反対側を頼む」

「了解。俺が先に出る。援護を頼む」


 二匹目を食べ終えたオークがこちらへと目を向ける。ただでさえ普段から血走っている目には狂気が浮かび、もはや生物がする目ではなかった。そのままオークはユーキたちの方へ向けて走り出す。


「一撃目を上手く誘発させて足を止めるんだ。最悪なのは、あたしたちを無視して後衛に飛び込まれることだ。ルイスも一回くらいなら攻撃を防げるかもしれないが、連続じゃ無理だ。いくぞ、ユーキ」

「あぁ、なんとかして足止めする」


 ユーキは右手に魔力を収束させながら走り出す。遅れて、右後ろから槍を構えたクレアが走ってくる。元々、オークを見つけたときから魔力を溜めていたので、近接攻撃の範囲に入る頃にはキツイ一発を放つことができそうだった。


「(出会い頭に顔面へサクラたちが魔法を一発ぶち込んだら、そのまま足へ攻撃して機動力をそぐ。この前と同じ戦法で行けるはず!)」


 ガンドのことはできるだけ知られたくないので準備だけして、切り札として温存しておく。幸い、ルイスとクレアは魔法使いではないので、使ったとしても多少は誤魔化すこともできるだろう。意識を戦闘に切り替えたユーキは、相手との距離を慎重に測る。

 走ることを優先し納刀していた刀に、速度を緩めながら手を掛け、抜き放つ。そのまま、両手で握り、一気に駆け寄る。


「――――ンガッ!?」


 オークの顔面に魔法が炸裂したのか、鈍い声が上がった。

 ユーキは、目の端に広がる爆炎と肌を撫でる熱と風を確認しながら、脛へ一太刀浴びせようと駆ける。右足で一気に踏み込み、右から水平に構えた刀を左前方へと振り抜く。

 直後、硬い手ごたえと共に手に肉を裂く感覚が伝わって来た。遅れて、オークの右手が振り下ろされる。

 しかし、その手は足への痛みに反射したもの。その手が足へと届くころには、ユーキは刀と共に足の後ろへ抜けていた。

 左足で踏ん張って、半身の状態で首だけをオークへと向ける。そのままの勢いで振り返ると同時に刀を返すと、一撃目と同様に横薙ぎで今度はふくらはぎ側から追撃の一太刀を加える。

 一撃目と違い、腕があるため勢いが中途半端になったが、刃がめりこむような感覚が強く返ってきた。体を僅かに捻りながら振り切ると、そのまま右手首辺りも切り裂くことに成功する。


「ガアァァッー―――!?」


 直後に何発も炸裂する魔法の音に混じって、野太い悲鳴が上がる。血飛沫も上がるが何故か体にはかからない。ウンディーネから声が上がった。


「こんな穢れた血を浴びたら、何が起こるかわからないです。私が何とかして守るのでオークをお願いします」

「すまない。頼んだぞ!」


 ユーキは、まだ足を押さえる手に注意を払いながら、ふくらはぎへの執拗ともいえる攻撃を続ける。

 水平に切ろうとすると勢いが足りなくなるので、袈裟懸けと逆袈裟懸けを繰り返し、バツ印を刻むように刀を振るった。

 しかし、ユーキの眼には切り付けた回数にしては少ない傷跡に違和感を覚えた。その疑問に答えるるかのようにクレアの声が飛ぶ。


「くっ!? こいつ傷が凄い速さで塞がるぞ!」

「再生能力とかふざけんなよ!」


 思わずユーキは悪態をつく。どんなにやっても無意味というのは精神的に堪える。ある囚人の拷問には、石をA地点からB地点までに運び、また運んだ石をA地点に運び直し、それを永遠に繰り返すというものがあるという。目的もなく、終わりが見えない作業に囚人は発狂するそうだ。

 勇輝たちの場合、それに加えて、上から耳をつんざく醜い悲鳴が余計に精神力を削ってくる。

 幸いにも、ユーキたちにはオークを倒し、浄化するという目的があるからこそ踏ん張っていられる。

 問題は体力も魔力も限界があるため、何としてでも早く倒し切らないといけない。

 焦る気持ちを押さえながらユーキは刀を振るう。

 腕が棒のように感じるほどに連撃を加えたユーキに、痛みに慣れたオークが右手で足の近くを振り払った。

 バックステップで避けるが、疲れが出てきたいたことと体勢が崩れたこともあり、尻餅をついてしまう。クレアも同様に、尻餅をつきまではしなかったが距離を取らざるを得ず、後退した。

 オークの足や腕に着いた無数の傷がわずかに、しゅわしゅわと泡立ち傷口をふさいでいく。完全な皮膚というよりは火傷跡のひきつったようなテカりのある皮膚に変わり、少しばかり肉が盛り上がっていた。


「このままじゃジリ貧だぞっ!」


 クレアがルイスの方に顔を向けるが、魔法が飛んでくるばかりだ。つまり、前衛で何とかして殺し切らないといけない。ユーキがどうにかする方法は無いかと思考を巡らせた瞬間、オークの反撃が始まった。

 腕を振り回し、辺りを薙ぎ払おうとする。


「うおっと!?」


 次いで、ユーキを警戒したのか。その振り払った拳を勢いそのままに、上からたたきつける。

 魔眼を通して、ユーキにはオークの肉体が実際に動くのよりも先に、体の光が先に動く姿が見えた。まるで、光がある場所に肉体が動こうとしているかのようだった。

 その感覚を信じて、ユーキは迫りくる漆黒の塊を避けると一秒ほど遅れて、うなりを上げた剛腕が通り過ぎる。

 その勢いにユーキの頭から血の気が引いた。


「(このあたりの木々がなぎ倒されているが、それはオークがやったのか。俺が喰らったら一撃で死にかねないぞ!?)」


 この世界には甦る魔法や薬ももしかしたらあるのかもしれないが、そんな不確定要素には頼れない。万が一あったとしても、自分に使われる保証はないからだ。あくまで生きている状態で何とかしなくてはいけない。

 一撃一撃を辛うじて避けながら、ユーキは呼吸を整えようとする。

 攻めているときはまだよかった。守りに入ると、いやでも命の危機を感じてしまい、心臓が締め付けられる。疲労も異常に意識してしまい、呼吸が乱れてしまう。

 ユーキに攻撃をするオークの背後から槍を突き刺すクレアの姿が確認できたが、オークの動きを見ると効果はほとんどないようだ。痛みを感じてはいるらしいが、先ほどより悲鳴を上げることは少ない。


「オガアアアァァッ!!」


 代わりに上げる声は、こちらを明確に殺すという殺意の現れを感じさせた。

 何度か躱すことに成功しているが、ついにユーキの体力が限界を迎え始めており、膝から崩れ落ちそうになる。完全な隙をオークに晒すことになったが、オークもまた、崩れ落ちそうになるのを堪えているように見えた。

 いや、それは。そして、不意にユーキはこれが自分の体の変調で起こっているのではなくでそう感じていたのだと理解した。

 ふらつくオークの背中へ何度か炎が炸裂し、肌を焦がすがオークは振り返りながら、迫っていた一発を薙ぎ払う。


 ――――次の瞬間、地面の揺れが最高潮に達した。

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