這い寄るものⅣ
学園長室ではルーカスがこめかみを人差し指で掻きながら、羊皮紙に文字を書いていた。眉根に皺が寄っているのを見ると、あまりいい内容ではないらしい。
「まったく、親バカも過ぎれば毒になるというのに……」
ぶつぶつと羊皮紙をまとめながらルーカスは立ち上がる。学園に通う一部の貴族が、グールの出現に対して苦情の手紙を入れてきたのだ。ルーカスからすれば、予想外のことであり一蹴したい気持ちではあった。
しかし、仮にも防衛機能を求められた場所で、生徒を安全に預かる身としては無碍に扱うこともできない。一通一通を丁寧に返信し、何とか怒りを鎮めてもらって、理解してもらうしかないのだ。
「最近は、外にオークが出歩いておるという話も聞くし、物騒になったもんじゃ」
独り言を呟いていると、ドアがノックされる。ルーカスが返事をすると、ドアが開きユーキが中に入ってくる。
「失礼します」
「おぉ、お主か。レオ君から話を聞いている。なかなか良い発想の持ち主だとな。それで、今日は何のようじゃ」
「はい。最近、王都近郊の水が汚染されているという訴えを聞いて、学園長ならば対処できる方法を知っているかと思いまして」
ユーキの言葉にルーカスは首を傾げる。
「この水の都にて、そのようなことが起こっているならば一大事じゃ。しかし、一体どこからそんな情報が寄せられたのか疑問が残るところじゃ」
ユーキは少しばかり戸惑った。
あくまで相手は魔法学園の長である、知識量ならそこらの相手を優に上回り、また頭が回るということでもある。
タダ同然で情報は渡すはずもなく、情報の出所を抑えにかかるのは、上に立つ者の常識だろう。一呼吸おいて、ユーキは精霊石を取り出して正直に話す。尤も、その石の中に精霊自身が入っているとまではいわない。
「この精霊石を通して、ウンディーネから声が届いたのです。今、話した内容と同じことが」
「どれどれ……うむ。確かに精霊石には間違いない。しかし、精霊石を通して精霊が呼びかけることなど……」
今度はルーカスが硬直する番だった。数秒、動きを止めた後、手を叩いて笑いだす。
「あぁ、そういえばそんな事例があったかもしれんの。いやはや、年を取ると忘れっぽくなっていかん」
「そうですか。では、汚染されている水はどうしたら良いですか。精霊が助けを求めるとなれば、かなり大変な規模になると思うのですが……」
「ふむ。自然の浄化が追いつかないとなると、神官による浄化が必要な類……あるいは呪物か。魔物か。すまぬが、原因がはっきりせんことには、儂もこれだという対処法はわからぬ」
「わかりました。こちらでも動いては見ますが、万が一の時にはよろしくお願いいたします」
「わかっておる。少なくとも魔術師ギルドとしては、変な呪物や見かけない魔物がいないかを依頼で出してみることにしよう。もちろん、精霊が情報源とは黙ってじゃがの。場合によっては国王陛下にも報告することになるじゃろう」
ユーキは礼を言って、その場を後にする。ドアノブへと手をかけたときにルーカスから声がかかった。
「ユーキ君。今の生活は楽しいかね?」
「……えぇ、皆さんと会えて、楽しい日々を送れています」
「そうか。それはよかった。では、その生活を守るためにも、一仕事せねばならぬな」
立ち上がりながら、童心に帰ったかのような明るい笑顔をルーカスは見せた。ユーキも笑顔で答え、そのまま出ていく。ドアが閉じた後、部屋には静寂だけが残った。
ドアの向こう側では、ユーキがため息をつく。いきなり、解決方法が見つかりそうな所へ来てみたが、収穫はなかった。
ただし、精霊のことを公表せずに解決できる人物の協力をとりつけられたのはいいことだ。
そのまま、ユーキは一度授業へ出るためにサクラたちとの待ち合わせ場所へと向かう。石造りの螺旋階段を下り、渡り廊下を下って、さらに下へと降りると教室棟となる。廊下へ出て数秒後、後ろから殺気を感じる。
「隙ありー!」
「とーう」
「ちょっ……と待てやぁー!?」
アイリスミサイル~魔力障壁を添えて~(勇輝命名)が見事に炸裂した。
アイリスは頭を痛めることなく、綺麗に着地し、ユーキは尻餅をつく。しかし、便利なもので魔力によるバリアはなぜかユーキ側の衝撃も緩和するらしく、胸や腹に痛みはなかった。
「成功。魔力障壁勇輝側にも張れば、私もユーキも痛くない。これなら大丈夫」
「いや。痛いかどうかではなく、その行為が危ないからやめろと言ってるんだ。マリーも大概にしないとアイリスに悪影響だろ」
立ち上がりながら呆れ口調で、アイリスに言う。アイリスは純粋に楽しんでいるが、マリーはもうそんな年ではない。ユーキは、マリーに批難の眼差しを送るが、当の本人は笑って受け流す。
「本当に危ないからやめなよ。いつか怪我するよ?」
サクラも注意するので、さすがにマリーも申し訳なさそうな顔をする。
「悪い悪い。もう恒例行事みたいで、ユーキを見つけたらやらなきゃけない衝動に駆られてさ」
「条件反射。仕方ない」
ユーキとサクラはため息をつきながら、そのまま歩き出す。慌てて二人が追いかけてくる。
「おいおい。置いてくことはないじゃん。次からは善処するよ」
「じゃあ、次やるごとに昼食一品奢りな」
「つまり、一品奢ればやっていい、と」
「違う。そうじゃない」
アイリスの言葉に肩を落としながら、先ほどのルーカスの言葉を思い浮かべた。
「(あぁ、十分楽しんでるよ。この平和な日常ってやつを。だからこそ、しっかり守らないとな)」
胸に入った精霊石へと呼びかけるように考えた。ウンディーネにも早く平和な日常を取り戻してやりたい、と。
「午前の授業が終わったら、少し話したいことがあるんだ。できれば、他の人に聞かれないように」
「今日は午後の授業がないから大丈夫だな。よし、昼食食べたらサクラの部屋に集合だ」
「え? なんで私の部屋なの」
「いや。ユーキがいるときはサクラの部屋のときが多いから、それでいいかなって」
マリーの発言にサクラは大慌てだ。ぶつぶつと、指を下りながら部屋の状態をチェックし始めている。何本目かで動きが止まり、顔が赤くなる。普段からは想像できない速さで、振り返って大声を出す。
「ちゅ、昼食後三十分したら部屋に来て。それまでは絶対に入っちゃダメ!」
「お、おう。わかった」
「何というか。悪い。次はあたしの部屋に集まれるようにしてみる。うん」
やはり、年頃の女子には見られたくないものの一つや二つはあるらしい。サクラの気迫に押されながらユーキとマリーは苦笑する。一安心したサクラだが、次は全員が焦る番だった。
「授業開始まで、あとちょっと」
「やばい、次の授業は遅刻できねぇ。課題山積みに出されるぞ!」
アイリスの言葉にマリーが反応し、全員が大急ぎで駆け出す。この後、課題は追加されなかったものの、教員に何度も指名される羽目になった四人だった。
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