這い寄るものⅢ
――――夢を見た。
気付けば暗い暗い水の底、もはや光など届かない漆黒の闇の揺りかごに身を任せ、深淵へと沈んでいく。何故だと考えることすら億劫で、ユーキは静かに目を閉じる。足や腕を何かに擦られるのが、気持ちよくもあり、不快でもある。矛盾した感覚を味わいながら沈んでいく。
これが夢であると気付いていても、どこかで思考が鈍く告げる。
――――これは危険だ。
どこからか響く警鐘に従い、重い瞼をこじ開ける。そのまま寝返りをうつように深淵と対面する。その彼方で蠢くもの達を見た。
――――腕、腕、腕。
まるでイソギンチャクのように無数に闇から伸びる腕がこちらへと向いていた。認識した瞬間に怖気が走る。首の後ろの産毛さえ全て逆立ち、目の前の存在を否定しようとする。蜘蛛の糸に縋る地獄の亡者の如く、ユーキへと腕を伸ばす。思わず振り払いそうになった時に、いつか聞いたあの声がどこからか響いた。
「―――助けて!」
以前とは違い、ほんの少しだけ穏やかに目を覚ます。鼓動こそ早まっているが、息が上がるほどではない。それよりもユーキが気になったのは最後に聞いた声だ。間違いなく聞いたことがある声。そして、単語はどれもある事柄に関わったときに聞いたものだった。
ユーキは椅子にかけてあった服のポケットから目当てのものを探し出す。
「やっぱり、こいつが原因としか考えられないよな」
一度目は石を手に入れたとき。二度目は青い閃光を見たとき。その青い閃光が貫いたと思っていた胸には、勘違いでなければ、この石が入っていたはずだ。
壁際の机に置いて数歩離れる。一呼吸おいてユーキは魔眼を開く。以前と同じ白い光が溢れるが距離を置いていたため、網膜を焼かれることはない。数秒間、見続けているとさらに青い光が混じり始める。
「なんだ……これは!?」
呟くと同時に光が徐々に収まり、別の形が作られていく。
最初は楕円、続いて輪郭に歪みが生まれ、最後には人の形になっていく。形が人に近づくにつれて、光がだんだんと薄まっていく。やがて光が微量になるとそこには幼女が立っていた。
「やっと、私の声が届いたんですね。よかった」
魔眼のために表情は見えないが、おそらく微笑んでいるのだろう。放たれる光には暖かさが感じられる。声が響くたびに、光が波長となって空間を走る。耳ではなく体で直接声を感じているかのようだった。
「その魔眼を閉じても大丈夫だと思いますよ。私を完全に認識したのなら肉眼でも見えるはずですよ」
ユーキはそう声を駆けられて魔眼を閉じる。光は収まり、目の前には白い肌に髪も眼も、先ほどまで持っていた石のように透き通った青色の幼女が立っていた。腰まである長い髪が揺れて、来ている白いワンピースへ、さらさらと擦れる。
「一応、初めましてですね。
「あぁ、初めまして。何とかわかっているつもりだ」
呆然と立ち尽くし、何が起こっているか理解できていなかったが、返事だけは返すことができた。ウンディーネと名乗る精霊は、くすり、と笑うとお腹のあたりを押して、ベッドに座らせて来る。ユーキが座ったのを確認すると、その膝の上にちょこんと座った。
「その、一応、初めましてということでしたけど、実際には一度会っているんです。先ほどまであなたが持っていた石を渡した時に」
「俺が気絶した時だよな」
「はい。実はあなたが魔眼で私を見てしまいそうになっていたので、思わず魔法で眠らせてしまったんです。その……水浴び中だったので……」
「あぁ、そうか。それは俺が悪かった。それで、一体何でこんなことになっているんだ。あの時は、俺にいつか必要になるって渡された石だと思っていたんだが」
ユーキは自分の疑問を口にした。気絶したときには、確かに『いつか必要になる』と言われていたのを覚えていたからだ。その言葉にウンディーネは指で髪をいじるのをやめて、申し訳なさそうに呟く。
「はい。私たちの作る精霊石は回復補助の力が大きいんです。冒険者の恰好をしていたあなたにはきっと役立つだろうと思って、お渡ししたのです。実際に、使っていただけたみたいですし……」
「ん? 俺は使った覚えはないんだが……」
「おかしいですね。少し失礼します」
ウンディーネは首を傾げると、一度立ち上がった後、タックルの要領でユーキをベッドに押し倒した。そのまま背中に手を回して、魔力を流し込んでくる。
「ちょ、一体何を――――」
「――――お静かに」
有無を言わせぬ言い方にユーキはなすがままに、魔力を流される。たっぷり十秒ほど経過するとウンディーネが口を開く。
「やはり、使われた形跡がありますね。架空神経の修復に使われたのでしょう。しかし、かなり大規模に損傷したみたいですね」
「あぁ、そうか。あの時の治療か」
ユーキは記憶にないが、リリアンやサクラたちが一生懸命に治療してくれた話を聞いている。もしかすると気付かないうちに使われたのかもしれない。
「しかし、面白いですね。あなたの架空神経は……。まるで、川が氾濫したかのような無秩序さがあるのに、どこか規則的な秩序さも感じさせる結ばれ方です。さぞ、治療には苦労したことでしょう」
「……それで、君はいつから石の中にいたんだ? 俺の予想が正しければ、森の中で青い閃光を見た時だと思うんだが」
「はい。おっしゃる通りです。あの時、どうしても逃げなくてはいけない状況で偶然、あなたが通りかかったので、石の中へと避難させていただきました。なれないことをしたせいか、今の今まで出てこれなかったのです」
ため息をついて、ウンディーネは肩を落とした。しかし、ちょっとばかり知識をかじっただけのユーキでも聞き捨てならないことが聞こえた。
「ちょっと待ってくれ。仮にも自然界の一部である精霊種が逃げ出すって、どれだけのことあったんだ」
精霊種とは一言で言えば、神に近い存在といっても過言ではない。この世界に満ちるマナはすべてが彼ら彼女らのものであり、いくら武器を手に振り、魔法を放とうが傷つけられるものではない。それこそ、この星に満ち溢れる息吹を根元から立つようなことでもしない限りは。
「はい。私も少しばかり驚きました。ただの汚染と侮ったのが運の尽き、いかなる方法でも穢れを取り除くことができずに、自分が逃げ出すことしかできなかったのです」
「汚染? 水源にごみでも捨てられたわけでもあるまいし」
「しかし、現実に私のいた泉は汚染されました。仮にも精霊の私ならある程度の浄化はお手の物……だったのですが……」
一度腰に手を当てて胸を張るが、すぐにしょんぼりとしてしまう。ユーキは、目の離せない妹のような感覚になってしまい。その頭をゆっくりと撫でる。
「誰にだって、できないことはあるさ。それで、どうすれば君を助けられるんだ?」
「どうもこうも、あのあたり一帯に穢れが広まってどこを浄化すればいいのかわかりません。穢れの大元さえ消えれば何とかなります。まずはそれを探さなければいけないのです」
鼻息荒く、腕をぶんぶん振り回すウンディーネをなだめながらユーキは答える。
「正直、俺だけだと厳しいかもしれないな。この王都に住む、魔法使いの人に協力を要請してもいいかな?」
「それは構いませんが、あまり広められても困ります。私たちの存在を丁重に扱う人間もいれば、悪用しようとするのも、また人間です。その点においては、石の中から見ていた限り、あなたは合格です。後はあなたが信用する人物を少数精鋭で集めてくれれば大丈夫だと思います」
「ははは。俺はそこまで立派な人物じゃないさ。でも、期待に応えられるように頑張らせてもらうとするよ」
「はい。それでは私は石に戻ってマナを温存します。何かあったら呼んでください。姿は見せなくても会話はできると思います」
ウンディーネは膝から飛び降りると、ユーキに向き直って頭を下げた。そのまま一瞬光った後、石となってユーキの胸に向かって飛んでくる。両手で受け止めたユーキの頭の中に直接、先ほどの声が響いてきた。
「よろしくお願いします。私たちを助けてください」
「あぁ、もちろん」
ユーキは服を着替えて、さっそく魔法学園へと向かうのだった。
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