騎士への道のりⅣ

 外壁の外の森は、いつになく静かで、踏みしめる足音と風によって揺れる葉の音だけが響いている。

 ユーキはクレアと翌日にギルドで合流し、ゴブリン五体の討伐に来ていた。コボルトよりもゴブリンの方が体が大きいため、相手をするのは少しばかりコボルトより難しくなる。知恵も回るため、油断すればある程度の冒険者パーティでも壊滅しかねない。

 ゴブリンと油断せずに討伐することができる。クレア曰く、それが冒険者の質を左右する一つの基準だそうだ。

 勇輝は内心、既に昨日戦った相手だという気持ちがないわけではないが、油断大敵とばかりに気を引き締めた。


「んー。そろそろ見つけられてもいい頃なんだけどなぁ」


 若干、苛立ちを見せるクレア。そろそろだ、と言い出してから十分以上が経過している。陽も高く上り始めていた。ユーキが腕時計をちらっと見ると、十一時を示していた。


「いつもは、もう少し簡単に見つかるのか?」

「あぁ、あいつらは人間を見ると襲わずにはいられない性質でね。コボルトみたく待ち伏せたり、時にはそれ以上の戦術をとってくるが、結局はそれだけのこと。目の前のエサに食いつかずにはいられない。だから気配くらいはあるはずなんだけ……」


 目の前の木を避けて、向こう側へと身を乗り出したクレアがため息をつく。


「こうも出てこないとなると、先に誰かに討伐されたかもしれないな」

「活動範囲を変えた可能性は?」

「いや、ギルドに最近上がってきた案件だし、すぐに移動する可能性は低い」


 そのまま進んでいくと、開けた場所に出た。半径数十メートル程度の円を描いた様に木々が無くなっている。芝生のように短い草が辺りを覆っているが一ヶ所だけ、違う風景が見られた。


「おいおいおい、冗談だよな……!?」


 クレアがその光景を見て、声を上げる。その場所の中央には、赤黒い塊がまとめて積み上げられていた。近づかなくても、わかってしまった。それは――――


「――――コボルトやゴブリンの死体!?」


 ユーキが腐臭に吐き気を押さえて、呟く。近付いていこうとするユーキをクレアが黙って肩を掴む。その目はしきりに周りを見渡して、警戒している。


「ここから離れるぞ。今のこの森はヤバい。あたしら二人じゃ対処できないことが起ころうとしている。いや、起きている! まだ、こっちに降りかかってきてないのが幸運だ。さっさと引き返そう!」

「あぁ、わかった」


 クレアの指示に従い、すぐに元来た道へと振り返る。そこには木々の中で小山が一つ動いていた。いや、小山ではなく、生物だった。


「まずい。こいつは最悪だ。何でこんなところにオーク!? おかしいでしょ!?」


 半狂乱になりながらクレアは武器を構える。それでも、その手に震えが見えないところは流石だった。

 オークはコボルト、ゴブリンとは一線を画す中型の魔物だ。攻撃性、残虐性は小型の魔物とは比べ物にならない。とりあえず、動く者がいるのならば攻撃する。それが彼らの本能なのだ。


「やつの皮膚は厚い。大抵の刃物は、その皮膚を切り裂いたところで致命傷にはならない」

「じゃあ、どうする?」

「同じ場所へ何度も同じ攻撃を入れるか。魔法をぶち込むか、だ。あるいは相手が怯んだら逃げるチャンスもある。幸い森の中での速さは、あたしらの方が恐らく上だ」

「了解。じゃあ逃げる方向で行こう。俺たちの武器じゃ歯が立たなそうだ。いや、刃が立たないか」


 相手がいる所から目を放さず、ゆっくりと円を描くように側面の森に向けて歩きだす。緑色の小山は、時折、影の中で動いていたが、こちらを向く様子はなかった。森まで十メートルほどの距離が五メートルになり、五メートルの距離が三メートルになる。

 駆け出したくなる足を押さえ、クレアはユーキの腕を掴んだまま、ゆっくりと移動する。

 あと、数歩で木々の間に入れるというとき、一対の赤い眼が木陰の中に浮かぶ。クレアとユーキの方向へと動いた――――気がした。

 クレアとユーキは動きを止めて、様子を見る。一陣の風が後ろから吹き抜けた。瞬間――――


「ブオオオオオオォォォ!」

「気づかれた! 森に逃げ込んで一気に駆け抜けるぞ! 今なら間に合う!」


 オークが雄たけびを上げる瞬間には、ユーキは腕を引っ張られ、木々の間に連れ込まれた。そのままクレアと走り出す。


「反応いいな。何で気付かれるってわかった!?」

「あいつらは鼻が利くんだ。風であたしらの臭いを嗅ぎつけたんだろうさ! それと、無駄話は後にしな! 速く走れ! もう少し行ったら、臭い玉を使って攪乱するから!」


 狭まった木々の間や一メートル程度の段差を駆け抜けて、二人はまっすぐ走り続ける。何度かクレアが腰のポーチから茶色い玉をいくつか投げた。投げた先の地面にぶつかった瞬間、煙となって辺りに広がる。

 どうやら、あまり嗅ぎたいとは思わないような臭いを拡散させているらしい。拡がったのがわかるようにか、煙も茶色だ。

 そのまま、さらに走っていると足が動かなくなってきた。大体五分くらいだろうか。平坦な道なら千五百メートル程度は余裕で走破している気がする。クレアもユーキも次第に駆け足になり、少しづつ歩みを遅くしていった。ゆっくり、足音を立てないように歩きながら、周りの音を探る。


「――――逃げ切ったか?」

「わからない。でも距離はとれたと思う。このまま進もう。ここまで来るのには、かなりゆっくり来たけど、全力で走ったおかげもあって、すぐに戻れると思う」


 ギルドを出発したのが十時前なので、ゆっくり歩いて一時間くらいが森での行きの活動時間。帰りを走ったことも考えると、確かにあと十数分歩けば城の近くの街道までは行けそうだった。息を潜めながら歩いていくと、遠くで地鳴りがした。


「まだ遠いが安心はできないな。足音は大丈夫そうだから、このまま突っ切ってギルドに報告を――――」


 ――――ゾンッ!


 クレアの前方から大きな地鳴りが響いた。いや、だった。右手の大きな木の間から出てきたのは――――


「そんな!? !?」

「クレア! 逃げるぞっ!」


 クレアの腕を左手でつかみ、左側の木を通って迂回する。緑色の巨体に木々と変わらぬ太い四肢、ずんぐりした体に醜悪な顔。耳は尖って、目にはおよそ生物がしない淀んだ光が浮かんでいた。クレアが混乱しているのを好機と捉え、ユーキは頭の片隅で撃鉄を起こした。


「(――――収束優先。その分威力も連射も完全充填したときよりは下がるがいけるだろ!)」


 その右手の人差し指をオークの顔に向けた。どんなに強かろうが、顔面に見えない衝撃が走れば怯むだろう。本当ならば、この時に限ってはガンドの弾が相手に見えていればもっと効果があったかもしれない。放たれた魔弾は、オークの鼻先へと吸い込まれる。


「――――オグッ!?」


 くぐもった声が聞こえると同時に、オークは顔を押さえた。目の端でそれを確認すると、押さえた指の間からどす黒い液体が滴っている。収束優先時の威力にはゴブリンの時のように銃弾ほどの威力はないようだ。


「何だか知らないけどラッキーだ! 今のうちに森を突っ切る!」


 クレアは我に返ると、そのままユーキと並走する。ユーキは魔眼を開き、他に隠れている魔物がいないか確認しながら走る。

 少なくとも、前方の視界に映る限りでは存在していなかった。そのまま走ると足元が見にくいので、魔眼を閉じる。必要最低限の魔力をガンドに回したまま、ユーキは次のことを考えた。


「(ここを出たら食料を作る田畑がある。王都の外壁の外にも家があるから他の人が襲われるかもしれない。急いでギルドや門番へ報告しないと……)」


 そのまま必死で走り続けると前方に陽の光が確認できた。クレアが喜びの声を上げる。


「よっし、逃げ切った! このまま門まで走り抜けるぞ! そうすれば安全だ!」


 そのまま光へと飛び込んだクレアとユーキは一転、目の前の光景に絶句した。

 ――――人、人、人。

 田畑に広がる人々の姿。雑草を抜いたり、収穫したりと場所によっては様々だが、少なくない人がいた。唖然としていたが、すぐにクレアが大声を上げた。


「オークだ! オークが出たぞ! もうすぐここに来る! 全員、門まで走れ!」


 農民たちは、一瞬の後にすぐに駆けだした。どうやら魔物が来ることは今までもあったらしい。クレアとユーキは互いに頷いて、走り出した。その数秒後、先ほどまでいたところの木が乾いた音を響かせた後、地に倒れる。


「オオオオォオォォォッ!」


 鼻から下がどす黒く染まったオークが現れた。そのままユーキのいる方向へと走り出す。ビール腹のように弛んでいるくせに、その動きは速かった。


「森の中は木があるから巨体で動けないだけで、障害物がないとあんなに早いのかよ!?」


 装備を付けたユーキが五十mを七秒で走るならば、オークは六秒で走る。それぐらいの感覚だった。

 次第に距離が縮まり始める。クレアとユーキも全力で走ってはいるが、いかんせん装備が重い。門までは全力疾走しても一分はかかるだろう。


「――――あっ!?」


 その二人の目の前で農民と思われる女の子が躓いた。上手く手を付けなかったようで、顎から地面へとダイブする。すぐに後ろを見ながら立ち上がろうとするが、オークの姿に恐怖したのか、上手く立ち上がれない。それを見て、クレアとユーキは見捨てる行動など最初からなかったかのように動き出す。お互いに声をかけながら、行動へ移った。


「クレア! 足止めする! あの子を頼む!」

「オーケー、ユーキ。攻撃動作をしっかり見切れよ!」


 クレアはそのまま、スライディング気味に少女の体と地面の間に片手を差し込み、一気に立ち上がらせた。そのまま、腕を引いて走り出す。

 ユーキは反転し、オークへと向かった。剣を抜かず、オークの進行方向へと足を進め、一気に右側へ跳躍する。そのまま進んでいたであろう場所には、オークの右手が振り下ろされていた。オークも地面へ拳をたたきつけるのは痛いのか、地面すれすれで拳は止まっている。


「(力任せに殴ろうとして振りかぶるから、予測可能なパンチになっているな。何とか時間は稼げそうだが……)」


 ちらっと周りを見渡すと周囲には誰もいないように思えた。だから右腕をこちらに悠々と歩いてくるオークへと向ける。おそらくだが、しっかりと魔力を込めても、あの分厚そうな皮膚はゴルドーのように簡単には破れないだろう。


「――――ガンド」


 声に出さなくても放つことはできるが、呟くことでしっかり撃ったと認識できた気がした。そして、顔面に吸い込まれるのを確認せず、ユーキは剣をもって走り出した。

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