異世界魔瞳探索記「あなたの世界は何色ですか？」～変な世界が見えて活躍するようになったが関係ない。元の世界に帰るため、俺は地道に頑張るだけ～【第15章『紅より来たる龍』完結済み】

あなたの世界は何色ですか？Ⅰ

「こんなところでぼーっとしてちゃいけないよ」

　肩に衝撃を受け、勇輝はハッとする。どうやら道に突っ立っていたらしい。自分より背の低い老婆に、勇輝は平謝りして歩き出す。

　しかし、すぐに足を止めてしまった。

「（俺はどこに行こうとしていたんだろう？）」

　辺りを見てみると、目の前の道は線路沿いでアスファルトに覆われている。日差しのせいか、ゆらゆらとアスファルト付近で空気が揺れていた。左を見てみるとレンタカーの店や駐車場がある。数秒考え込んで、どこにいるのかを把握した。

　どうやら、駅から家に帰る途中だったらしい。

　肩掛けかばんを背負い直し、歩き始める。目の前に見えていた交差点に着いたとたん、運よく信号が青に変わった。そのまま直進し、歩道を渡る。

　いつものように、左に曲がってショートカットしようとしたところ、工事中で通行止めにあった。ヘルメットを被ったおじさんが、そのまま前に進むように、赤色に光る棒を手に振り続ける。

「仕方ない。少し大回りになるけど橋の方から行くか」

　もう少し先に進むと階段を下りて川沿いに進むことができる場所がある。

　そう思いだしながら、さらに歩き続けると何件かのアパートや住宅を通り過ぎて、橋に出た。やけに大きな音が響いている。

　橋の近くまで寄ってみると、川が洪水一歩手前まで増水していた。それを認識した瞬間、どこかから放送が入る。

『――――ただいま、川の水位が危険域に迫っています。川の氾濫の可能性が非常に高くなっています。速やかに避難して下さい。繰り返します。ただいま――――』

　どうやら、ここにいると危険そうなので、すぐに勇輝は移動し始めた。そうしながら、どこか避難できる場所を探す。

　何度か、唸りながら歩いていると少し先に学校があることを思い出した。順路としては橋を渡って進み、一度下がった後のなだらかな上り坂を登ると、小山の上にある学校まで行くことができるはずだ。

　目的地も明確になったので歩みを早める。途中で、何度か土砂が崩れた箇所があり、止む無く迂回することになってしまい、時間を無駄に浪費した。

「こっちの道は工事しているから、次の道を行ってくれ」

　何度目かになる工事現場を迂回し、一直線の坂道に出た。車も通らず、とても静かだ。小鳥すら鳴いていない。

　住宅街の中にある坂道を歩いていくうちに、左側が開けたところに出る。

　――――そう思っていたが、工事現場の鼠色の板が張られていて、空しか見えないようになっていた。

「まったく、ここから見える山が綺麗なのに……」

　独り言をつぶやいて、勇輝はまた足を進める。

　しかし、ここまで歩きっぱなしだったことを思い出し、休憩しようと考えた。

　ふと、何の気なしに今まで登ってきた道を振り返る。

　――――ゾワッと鳥肌が立った。

　今まで歩いてきた道などなかったかのように、漆黒と赤黒い染みが世界を侵食していた。建物も地面も削れ、呑み込まれ、形を失っていた。木漏れ日の光の跡が風に揺られて動くように、赤黒い染みもサワサワと左右に揺れている。

　気付くとその漆黒の闇が足元まで迫っていた。

「（俺はこ（・）い（・）つ（・）を知っている！？　確か――――）」

　頭に鈍痛が走る。心臓の鼓動に合わせて一定周期に襲ってくる波に顔をしかめて、右手で抑えた。よろめきそうになる体を支えるために、左手を傍のガードレールに置こうとして――――

「え！？」

　――――その左手がガードレールをすり抜けた。否、ガードレールが無くなっていた。

　支えきれなくなり、アスファルトの地面にそのまま倒れ伏す。

「うぐっ！？」

　手をついてすぐに立ち上がると、先ほどまで立っていた場所が闇に飲み込まれていた。

『――――走りなさい！』

　どこからかしゃがれた老婆の声が聞こえた。それに背を押されるように走り出す。勇輝が走りながら背後を見ると、闇が逃がさないとでもいうかのように侵食のスピードを上げてきた。

「あぁ、くっそ、いったい何なんだよ！　意味が分からない！」

　鈍った体に喝を入れ、足の回転を速める。

　しかし、それでも侵食の方が速いらしく、前を向いているのに視界の端に黒いものがちらつき始めた。

「（そうだ。俺はコイツを見（・）た（・）こ（・）と（・）が（・）あ（・）る（・）。俺がコイツを見たのは――――）」

　目の前に空き始めた黒い穴を飛び越える。次第に目の前がアスレチックのような虫食いの地面になっていく。

「（――――あの落ちていく世界！）」

　フラッシュバックのように、あの水晶体の世界を思い出す。あの時、気を失う直前に勇輝が見たのは、この漆黒の闇と赤黒い染みだったのだ。

　なぜ、それを見て気を失ったのかは、今でも勇輝には理解ができない。

　しかし、本能が叫んでいた。アレに捕まったら最後、も（・）う（・）戻（・）れ（・）な（・）く（・）な（・）る（・）、と。

　そんなことを考えていると目指していた学校が見えてきた。そのまま正門を潜り抜けて、駐車場を抜けてグラウンドの方に走り続ける。

「おいおい、冗談だろ」

　目の前には五メートル以上もの幅の穴が開いていた。正直、飛び越えられる気がしない。もはや、万事休す――――。

　そう思い、足を止めたところ、後ろから声がかかる。

「大丈夫、勇輝は絶対助かるよ」

　振り返ると白髪のやせ細った老婆が立っていた。思えば先ほどの声、そして、ぶつかったときの老婆もこの人物だったのではないだろうか。

　そう思った瞬間、何度か出会った工事のおじさんの姿や放送の警報の声もどこかで見たり、聞いたりした覚えがあることに気付く。

「ひいばあちゃん？　それに――――」

　どうして、思い出せなかったのだろう。先ほどまでの関わった人物は親戚のおじさん、おばさんや曾祖母だった。

「なんで、確か何年も前に死ん――――」

「そこまでだよ。――――勇輝が立派に育って、かけてあげたい言葉はたくさんあるけど、ここでお別れ。さぁ、行きなさい」

　軽くと胸を押されたはずが、一気に十メートル以上吹き飛ばされる。

　しかし、地面を転がりながらも痛みを感じることはなかった。

「頑張りんさい。そして『どんなことがあっても自分から命を絶っちゃいけないよ』」

「――――あぁ、ありがとう。ばあちゃん」

　最後の言葉、それは物心ついたときから勇輝に呼びかけていた曾祖母の言葉だった。

　勇輝は、それが曾祖母なりの励ましなのだと気付いた。

　しかし、感動の再会と別れに水を差すように、闇が浸食を開始する。それを避けるため、勇輝はグラウンドの中央に走った。根拠はなかったが、確信はあった。

　あそこに辿り着けば、きっと助かる、と。そこには空から一条の光が降り注いでいた。

　足元の穴を飛び越えて頭から、その光の中に飛び込んだ時に、ユーキは耳元で優しい声が聞こえた気がした。

　――――ユーキさん、安心して、絶対に助けるから。

　あの光に飛び込んでからどれくらい経っただろう。ユーキは動かない体に疑問を持ちつつ、瞼を開けた。

　どうやら、知らない寝室に寝かされているようだ。若干、布団が暖かく心地いい。布団の位置を調節しようとして、首の周りに何かが巻き付いているのを感じる。まだ、目が開き切らない状態で下を見ようとするとコツンと何か固いものに顎と頬がぶつかった。

　腕が動かないので体を動かすと布団にしては柔らかいものを感じる。そして、呼吸と同時に感じた香りを思い出した瞬間、意識が覚醒した。

「（な、ななな、なんだ？　この状況は！　どうして、サクラが俺の上で寝てるんだ！？）」

　間近というよりも直に感じる異性に、ユーキは心臓が爆発しそうな錯覚を覚えた。そして、その早鐘がサクラを起こしてしまわないかと焦り、さらに鼓動は早まる。

　逃げようにも首には両手で手を回され、がっちりホールドされている。おまけに片足にはサクラの足が絡められていた。ここから変に動いて体からサクラを落としてしまえば、確実にアウトだ。

　これが、どのような状況下で起こったことなのか、把握できていないユーキには動くという選択肢はなかった。ユーキはサクラの髪から漂う香りと、体全体から感じる感触に悶える。

「……んっ」

　何度か零れるサクラの吐息が耳から脳髄までを蕩けさせた。思わず、身を捩じらせると更に状況は悪化する。

「……んぁ」

　腕に力を入れてサクラがさらにユーキを抱き寄せる。さらに密着する肌にユーキの理性が全力で稼働する。

　しかし、その理性もさらに強く押し付けられる女性らしい二つの膨らみの柔らかさには勝てなかったようで、罅が入るのがわかった。

「（良かった。もし、腕が動いたら全力でサクラを抱き締めかねなかった……！）」

　そんなことを考えていると、サクラの足が布団からはみ出た。

「んあ……うーん」

　足に感じた寒さにサクラが目を覚ます。とろん、とした瞳にユーキの顔が映る。

「おはよー……ユーキさん……」

「お、おはよう。サクラ」

　寝ぼけ眼で挨拶するサクラに、がちがちに緊張しきった顔で挨拶を返すユーキ。一歩間違えば、社会的に存在を抹消されかねない状況なのだから、仕方がないだろう。

「ん……！？　ユーキさん！？」

「は、はい！」

　抱き着いたままユーキの顔が見えるようにサクラは背だけをきれいに後ろへ反らす。

「目を……覚ましたの？　体は痛くない？」

「あぁ、少しばかり腕が動かないが、痛くはない」

　手を握ろうとするが、肩から下が感覚がうまく認識できず、ゴムの塊のように感じた。全力を出してひじが曲がるかどうかくらいで、気持ち悪い感覚に襲われる。

「よかった。心配したんだから……」

「心配したのはこっちだよ。もうちょっとでサクラは……」

　そこまで言って、口をつぐむ。そんな最悪のあったかもしれない話をしたくはなかった。

　涙目のサクラと目が合う。

　そして見つめあったままどちらも動きが止まる。

　ややあって――――

「――――お目覚めですか？」

「「――――！？」」

　リリアンの声が上から降ってきた。

「それだけ驚く余裕があるならば大丈夫ですね。そのままで結構です。右腕の診察をさせていただきます」

　リリアンの言葉にサクラも動くわけにはいかず、二人で羞恥心に顔を赤く染める。リリアンは、そんな二人に構わず、布団の中の腕を引っ張り出し、触診する。

「ふむ、血行良好。感覚神経の反応が鈍いようですね。まだ、様子見が必要でしょう。ギプスとまではいきませんが、サポーターを付けて軽く固定させてもらいます」

　テキパキと試験菅が置かれていた棚の下から、ユーキの腕に合うサポーターを探し出す。

　いくつか試した後、黒色の少しきつめのものを、寝たままのユーキの腕にはめていく。

「さて、これで終わりです。また経過を見て治療をしていきましょう。今日のところは、安静にしていてください。今日は、一日貸し切り状態にしておきます。ご友人たち全員、一度、寮に戻り身だしなみを整えてきてはいかがですか？」

　そう告げて、視線を横にずらす。その方をサクラとユーキが目で追うと、ベッドの部分から顔半分覗いているアイリスとマリーがいた。

「いやー、お二人を邪魔しちゃ悪いかなって――――」

「――――ロマンチック」

　アイリスはサムズアップで見続けるのに対し、マリーは目を右往左往させながら、顔を赤くしていた。

「とりあえず、サクラ。一度、寮に戻ろうぜ。ほら、昨日のままだし……」

「――――！　そ、そうだよね。ユーキさん、ちょっと寮に行ってくる。すぐに戻るからね！」

「また、後で」

　マリーの言葉にサクラは慌てて飛び起き、床に足を下ろして駆け出す。

　マリーもそれに続き、アイリスも片手を上げて退室する。

「あぁ、ありがとう。三人とも」

　おそらく自分を助けてくれたんだろう、と悟ったユーキは三人の背に声をかけた。リリアンは壁際の机に座り、書類などを書き始めている。静かな部屋の雰囲気に充てられて、ユーキはもう一度、目を閉じるのだった。