死の舞踏Ⅶ
メイド服に身を包んだ若い女性が眠たそうな顔で扉の前に立っていた。
しかし、翡翠色の目は鋭く光っている。金髪の髪をまとめ上げ、薄い口紅が魔法の火に照らされて艶やかに光る。
ルーカスたちが近づいてきたことに彼女は気付いて眉を僅かに動かした。
「このような時にどうしましたか? ゴルドーの件と言い大変な騒ぎですのに、この部屋を――――」
ルーカスの魔法に抱えられたユーキの腕を見た瞬間、表情が変わる。ルーカスと違い、焦りよりは感心といったようにサクラたちには見えた。
「――――把握しました。それならば、この部屋が最適ですね」
振り返り彫刻で様々な幾何学模様が刻まれた白い扉を開く。重厚な音が響いて、見た目よりも重いことがわかる。
「さぁ、どうぞ。お入りください。少しばかり気分が悪くなるかもしれませんが、ご承知おきを」
「足元に気を付けるのじゃ。思ったよりも体が動かなくなるからの」
マリーが最初に勇んで入ると、途端につま先が石畳を擦り転んでしまう。
「うおっ!?」
「マリー! ――――あっ!」
それを追いかけたサクラもそのマリーの背中に倒れこんでしまう。
アイリスは何事もなく、二人の横まで来て屈みこんだ。
「軽度の魔力酔い。気を付ける」
「あぁ、道理で体がうまく言うことを聞かないわけだ。オドを意識して活性化させないとマナが感覚を狂わせてきやがる」
息を一気に吐いて、マリーは立ち上がる。その腰にサクラも抱き着きながら、起き上がる。
「なるほど、優秀な生徒さんたちですね。もう慣れたようです」
「あぁ、どの子も素晴らしい才能の持ち主じゃよ」
そう会話をしながら中央のベッドにユーキを寝かせる。様々な幾何学模様が床、天井、壁を走っている。それは時折砂に混じる砂金のように不規則に輝いている。
「ルーカス先生。ユーキは、どんな状態?」
アイリスが横たわるユーキの傍でルーカスを見上げて問う。ルーカスは微笑みこそするが、慎重に言葉を選ぼうとしているのが見て取れる。
「一度に魔力を放出しすぎたことで、体内の魔力の流れが乱れているのじゃ。普通の魔法使いになら起こらぬが、彼はまだ初心者。飛ぶことを覚え始めた鳥がいきなり嵐の中に放り込まれたかの如く、彼の体は魔力をどのように流せばいいのかわからなくなっておる」
「もっとはっきり言ったらどうですか。魔力を通す架空神経が逆流する魔力に耐え切れず、魔力が垂れ流し状態になって、
「――――リリアン……!」
――――肉体がボロボロになる。
三人はその言葉が言葉以上の悲惨さを感じ取った。リリアンは手を振った。
「あなたたちが思っているほどに深刻じゃありません。いわゆる筋断裂とか骨折で済むレベルの話です。乱れを正し、架空神経の修復か、体が魔力の流れを覚えるまで流し続けてあげれば、どんなに酷くても数カ月の治療で肉体的な損傷も完治します。ほら、こんな感じに――――」
ユーキの心臓付近に手を当てたリリアンは一瞬で手を引っ込める。熱湯と知らずに手を突っ込んだ人の動きのようだった。驚く三人と厳しい顔つきのルーカスの眼がリリアンに注がれる。
「儂が慌てた理由がわかるじゃろ」
「――――はい。とんでもない患者を連れてきましたね。既に肉体損傷レベルに片足突っ込んでますよ。おまけに――――」
白衣の中からポーションを取り出し、一気に煽る。それも試験管の一本や二本ではない。十本を立て続けに一気に飲み干した。マリーすらも、その異常さに唖然となる。
「――――何なんですか? 完全にオドの流れを
「いいや、掌握してるのではなく、
もはや、二人の会話をマリーとサクラは理解できていなかった。アイリスだけが無表情で見つめている。
「なぁ、アイリス。あたしはさっぱりわからないんだけど、言ってることがわかるか?」
「普段、体に流れている魔力の状態じゃない。魔法を使うために魔力を流す状態になっている。そうですね。ルーカス先生」
アイリスの言葉にルーカスは頷いて、ユーキの腕を指差した。
「先ほど、彼は右腕で魔法を行使したようだ。おそらく強力な威力にするために、普段行使する速さ以上で魔力を集めたのじゃろう。右腕に魔力が集まり続けるという異常な状態じゃ。先ほどの例にするならば、彼は嵐の中の突風に揉まれているのではなく、身を任せ、追い風として飛んでいる状態じゃな。何とかして、この魔力を体全体に行き届かせなければならぬ。――――頼めるかの? リリアン」
「言われなくても、そのつもりです。久しぶりに
そう言って、近くの棚に試験管やフラスコを並べる。中には毒々しいまでの色を放つ液体が見えた。中には泡立っているものもある。
「あ、あの私にも手伝えることはありますか?」
サクラがリリアンにおずおずと尋ねる。先ほど助けられたユーキを今度は助けたい。そんな気持ちから出た言葉だった。
しかし、リリアンは顔をしかめる。それはそうだ。普通、医療に素人を参加させるなどありえない。
口を開こうとしたリリアンの横でルーカスが頷いた。
「彼女は彼の体に最初に魔力を通した子じゃ。ある意味、彼の通常の魔力の流れに触れている唯一の人物だろう」
そういうとルーカスはサクラだけに見えるようにウィンクをした。
口を開けたまま、その先を封じられたリリアンがは長い溜息をついた後、さらに追加で試験管を並べる。
そして、アイリスとマリーを指差した。
「あなたたちは助手の助手。彼女の体調を見て逐一報告すること。最悪、あなたたちにも同じことをやってもらうから、よく作業も見ていてください。尤も、肝心なのは見えないところなのですが……」
続けてサクラに顔を向ける。その目がサクラを射抜く。
「可能な限り、あなたが流した記憶を思い出しなさい。そして、あなたがその時に感じていた体温、呼吸、感触といったことも思い出しながらやれば、少しでも上手くいく確率が上がります。まずは私が魔力の流れを遅くします。そこからはあなたに交代するので、頑張ってください。準備は……いいですか?」
「――――ハイ」
緊張で渇いた喉からサクラの声が力強く言い放たれた。アイリスとマリーも頷く。
「なに、助けられた借りは返さないとな」
「友達を助けるのは、当然」
そんな三人をリリアンは見渡し、ルーカスに目を向ける。ルーカスは申し訳なさそうに、口を開いた。
「すまぬ。儂はゴルドーの捕縛と調査を命じられておるので、ここを離れなければならない。リリアン、みんな、彼を頼んだぞ」
そう言って、ルーカスは足早に部屋を出ていった。扉が閉まったのを確認し、リリアンはユーキの傍へと近づく。
「現状を説明します。この部屋にはマナを満たしています。このおかげで、ある程度は魔力の流れが暴走してもオドが体外へと出ることは食い止められます。しかし、いつまでも続けていると架空神経の容量が耐え切れなくなり、身体に影響が出始めます。現在は、深度二。体内の発熱が起こっていますが、既に深度三の身体損傷が起こり始めようとしています」
足、腹、胸、腕の数カ所を指し示しながら、状態を説明する。そして、右腕を指差してサクラに顔を向ける。
「私は物理的に体を冷やすと同時に、自身の魔力を流し込み、魔力の巡る速度を停滞させます。およそ、これが完了するまでに十五……いや、十分かけます。私が合図をしたら、あなたは右腕に流れ込もうとする魔力の流れを正常と思われる形に誘導してください。火を灯す魔法はどれくらい続けられますか?」
「ろうそくくらいの大きさなら二時間以上はできると思います」
「それは一時間くらいやってみての疲労感からの推測ですか?」
「はい」
よどみなく質問に答えたサクラに、リリアンは目を一度つぶる。何やら呟いた後、目を開いた。
「魔力を流し続けるのは最大三十分までとします。ポーションで魔力を回復させつつ、休憩を挟んで何度も繰り返しますよ」
いくつかの試験管を台から取って、サクラに渡す。青色に輝くポーションが三本だ。
「あなたは、交代の合図と一緒に飲んでください。効果が完全にでるまで五分はかかりますから。では、行きますよ」
ユーキの胸と腹にそれぞれ手を翳し、少しずつ近付けていく。指一本入るかどうかというところまで近づいたとき、数秒間動きが止まった。
「なるほど、猪突猛進という言葉が似合いそうな感じですね。それでは――――力比べと行きましょうか!」
そう声を張り上げて、手をユーキの体にゆっくりと触れた。
外から見ると何も起こっていないように見えるが、リリアンだけはそれを腕から感じ取っていた。
「(――――私の魔力を無いとでもいうかのような勢いですね。少しばかり自信がなくなりますが、慌てずに待ちましょうか)」
リリアンの流し込む魔力は、荒れ狂うユーキの魔力に次々と飲み込まれていき、止めるどころか遅延にすらもなっていなかった。そんな状態が三十秒……一分……二分……三分と経過し、四分を過ぎたあたりで変化が起こった。
「(右腕内部への蓄積を確認、ここから徐々に引き寄せます!)」
リリアンの行った方法は魔力の流れに逆らわず、魔力が一番多く流れる場所からゴール地点の右腕までに自分の魔力をつなげること。そこまで来たら、今度は魔力の流れをずらす。
それが上手く行けば、右腕に風船のように膨らんで収束した魔力は、勢いが減った流入に対して拡散を始める。
「(拡散を確認、右腕内部に残った魔力の引き寄せで拡散を早めて、流れを一時的に止める!)」
リリアンの作業開始から八分後、心配して揺れるサクラの瞳にリリアンのゆっくりと顔を上げる姿が映った。
そして、はっきりとサクラへ交代の合図が口から紡がれた。
「出番よ。さっさと、この濁流を清流に戻してあげなさい」
一息にポーションを飲み込んで、サクラはリリアンの両手の間に手を添えた。
深呼吸をして、ユーキの顔を見る。軽い凍結魔法が全身にかかっているためか、顔が青白く見えた。
そんなユーキを見つめてサクラは呟く。
「今度は私が助ける番だよ。ユーキさん!」
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