死の舞踏Ⅴ

 食堂から出てきた四人は、満ち足りた笑顔であった。


「いやー、食った食った。ユーキ、悪いな。本当に奢ってもらって」


 マリーが片手を上げて礼を言う。その隣でアイリスとサクラはぺこりと頭を下げた。


「すいません。本当に」

「おいしかった。ありがとう」


 ユーキはおいしそうに食べてくれた表情だけで十分嬉しかったし、サクラたちを待たせた負い目もあるので気にはしていなかった。


「いいよ。元々は、俺がしっかり寝てなかったのが悪いんだし」


 そう答えて、四人で中央の噴水広場に入る。


「ユーキは、この後どうする? 一度風呂入って、またサクラの部屋にでも集まって『女子会~ユーキ歓迎会添え~』でも開催するか?」


 流石にサクラが顔を真っ赤にして、マリーを掴んだ。そのままユーキから引き離し、耳元で注意する。


「ちょっと、マリー。いくら勝手にしていいって言っても、夜に男性を連れ込むのはまずいでしょ!」

「いやぁ、ユーキならそういうことしないだろ。明日休みだし、ちょっとくらいいいじゃんか」


 心底楽しそうに笑うマリーにサクラは頭を抱える。


「えーと、どうしよう。昨日、洗いに出した服を除くと部屋に残っているのは確か……」


 その光景を見て、ユーキは苦笑いしか出なかった。半面、この関係を楽しんでいるのも事実だった。

 そんなユーキの袖をアイリスが引っ張る。


「あそこ、変な人がいる」

「ん? どこだ?」


 月明りも強くないのでユーキは、指さす方を魔眼で見つめる。


「――――ッ!?」


 間違いなく、この瞬間。ユーキの心臓は数秒間止まっていた。そ少なくとも、そうユーキは感じた。

 それと同時に襲ってくる悪寒。眼から脳に叩き込まれる不快感。胃の中身がこみ上げてきそうになったのを無理やり抑え込む。僅かに開いた口の隙間から、掠れた空気の音が漏れる。

 もし、その姿がはっきりと見えていたら、そこには禿げ上がり、目の周りがくぼんだ浮浪者がいたと思うだろう。

 しかし、ユーキの魔眼に叩き込まれたのはドス黒いという言葉すら白く輝いて思えるほどの黒い光だった。それは、ゴブリンを見たときの光とも違う気持ち悪さ。触れた傍から空気が腐食していく錯覚すら感じる。

 ユーキは、その男の顔をほとんど見ていなかった。記憶の片隅に追いやられていて、今も思い出すことはできなかった。

 だが今は、はっきりと断言できた。こいつは、ゴルドーグールだ、と。


「(どこから侵入した!? ガーゴイルが見逃す? その前に警備にあたっている騎士団やギルドが気付くはず。ここに来るまでどうやって……)」


 混乱するユーキの耳に水から上がる音が聞こえた。


「(噴水、水路、堀……コイツ、まさか――――!?)」


 もう一度、水から足を引き抜く音が聞こえた後、自分の至った答えに凍り付く。ありえるはずがない、と頭の中で否定するが、目の前の現実がそれを許さない。


「(――――堀からここまでを渡ってきたのか!?)」


 落ちくぼみ、狂気に染まった目がユーキを捉えた。

 いや、ゴルドーが見ているのは、更にその前。ユーキではなく、より近くにいるサクラとマリー。

 ――――瞬間、ゴルドーが獣の如き奇声を上げて地を駆ける。


「――――ニクゥゥゥゥ!」

「二人とも避けろ!」


 とっさに二人の間を押し分けて、剣を抜き放ってゴルドーに切り付ける。マリーがよろめき、サクラが尻もちをついた。

 ゴルドーは後ろに跳躍し、首を切断するはずだった切っ先はゴルドーの鼻先で空を切る。人間という見た目からは想像できない動きに目測が狂う。


「おいおいおい、なんだありゃ!?」

「あれは、なんですか!? ユーキさん」


 押しのけられて、前を見れば剣を抜き放つユーキと異常な動きを見せる人間のような何かがいるのだ。その疑問も当然だろう。緊張で肩を揺らすユーキは、自らを振るい立たせるためにも大声で言い放つ。


「あいつは屍人化したゴルドー男爵だ! 三人とも逃げろ! 時間は稼ぐ! どこのギルドでもいいから連絡を取るんだ! 急げ!」

「……グール!?」


 数秒間、硬直していた三人の中で真っ先に我に返ったのはマリーだった。マリーは倒れこんだサクラを何とか起き上がらせ、食堂の方に走る。

 ユーキの大声に反応したのかゴルドーが、先ほどよりも早く突撃する。さながら獲物を狩る肉食獣のようだ。

 対してユーキは力負けしないように腰だめに剣を構え、一気に降りぬいた。


 ――――ゴッ!


 鈍い音ともに右下から左上に切り上げた剣は、ゴルドーの左手に防がれた。そのまま空いた右手が高速で迫る。


「――――ッラァ!!」


 そのままユーキは剣を振り抜き、体を反らす。目標を失ったゴルドーの右手は、剣の腹に突き刺さった。甲高い音が手元から伝わると同時に、ユーキが数メートル吹き飛ばされた。

 ゴルドーも同様に剣の振り抜きに打ち抜かれ、逆方向に転がる。


「きゃぁっ!?」

「「サクラ!」」


 そんな中でサクラの悲鳴とマリー、アイリスの叫び声が響いた。視線だけ向けると石畳に足を取られ、サクラが跪いていた。

 ゴルドーは攻撃を加えたユーキに目もくれず、反撃できない弱者――――サクラの方に向く。


「やめろおおおおおお!」


 ユーキは尻もちをついたまま折れた剣をゴルドーに向けて投げた。その剣は回転しながら弧を描き、ゴルドーの目の前を掠めていく。

 それすらもゴルドーを怯ませることができたのは、一秒に満たない時間だった。ユーキがすぐに動けないのを知ってか知らずか。ゴルドーはサクラのもとへと一足飛びに跳躍する。

 ユーキの脳裏に浮かぶのは、あの薄汚い塊がサクラの喉に喰らいつく姿だった。絶望的な未来に心臓が締め付けられ、呼吸が浅くなる。

 そんなことを思っていたユーキの目の前で、空中に浮かぶゴルドーの体にいくつもの傷が刻まれ、紅蓮の炎が振り上げた腕を焼く。

 マリーとアイリスの放った魔法だった。

 しかし、サクラが間にいるため強力な魔法が放てなかったようだ。ゴルドーは炎の爆発で一度、地面に叩き落されるが、動きは鈍ることなく、再び跳躍して魔法を掻い潜って突き進む。

 スローモーションのように時間が過ぎる中でユーキは後悔した。


「(俺に……もっと力があれば……)」


 そんな声に呼応するかのように、頭の中に声が響く。


 ――――君の扱う魔法……必要と思ったなら迷うことなく使いなさい。


 頭の中が一気にクリアになる。頭の片隅で撃鉄の上がる音が響いた。

 サクラの流した魔力とは違う昂る感覚――――足から腹へ、腹から胸へ、胸から背中へ、背中から肩へ、肩から腕へ、腕から手へ、手から指先へ。

 一連の流れがゆったりとではなく、高速で淀みなく行われる。

 体が焼け付くように熱を発していた。まるで鍛冶の炉の中に放り込まれたように皮膚を焦がし、赤く燃え滾る鉄をすべての血管に突っ込まれているかのような熱さ。喉が渇き、全身が沸騰する感覚に包まれる。それでいて、それを感じるほどに頭の中は、王都オアシスを潤す水の如く、澄み渡っていく。

 その感覚をものともせず、ユーキは右手を上げる。親指と人差し指を互いに垂直に立て、他の指を握りこむ。

 人差し指の向かう先は唯一つ――――あの黒く醜い獣だ。

 魔眼を通してわかる魔力の奔流、指先には自分から注ぎ込まれた青紫のオドと大気の無色の対流が合わさり時計回りに渦を巻いて収束していた。既に渦巻く速さは、さながら竜巻の如く。その大きさは拳ほどの大きさにもなりつつある。

 そして何よりも、今までになく光り輝いていた。


 ――――これは当たる。


 何の根拠もない確信が胸を満たす。

 醜い獣を前にサクラの鈴のような澄んだ声が耳に入る。その声に応えるようにユーキは呟いた詠唱する


「――――『穿て、ガンドフィンの一撃』」





 時間は、少しだけ巻き戻る。最初にサクラが感じたのは衝撃。次の瞬間にはマリーに腕を引かれユーキを置いて、駆け出していた。


 ――――ユーキさんを置いていけない。


 そんな言葉が口に出る前に足が動いてしまっていた。

 しかし、体は言うことを聞かず、石畳に躓く。


「「サクラ!」」


 マリーとアイリスの呼ぶ声が響く。背後からは異形のものが唸る声。

 振り返れば、そこには自分を見る悍ましい顔。涎を垂らし、眼孔がへこみ、焦点すらあっていない。到底、まともな人間には見えない外見。

 ユーキが叫んで剣を投げるも、相手は躊躇うことなくサクラへと跳躍する。

 マリーとアイリスの魔法が頭の上を掠めていくが、それすらもゴルドーは気にせずに突き抜け迫る。

 目の前に迫る大きな口を前に最後に出た言葉は――――


「――――助けて! ユーキさん!」


 その叫びの直後、空気を切り裂く甲高い音が響く。


 ――――ズゴンッ!


 アイリスの爆発とは比べ物にならない鈍い音。それと同時に目の前にいた存在は忽然と姿を消した。

 その瞬間、サクラは――――とても綺麗な閃光の軌跡を見た気がした。

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