第126話 君が眠っている間に




 匿って貰った老婆の店で、ルシオとソアラは飲み物が入ったコップを渡された。


 本来ならばルシオは飲まないのだが。


 逃げ回っていて、ソアラがぜえぜえと肩で息をしていた事から喉が乾いているだろうと思った。



 もしも何かが入れられていても、飲んだ量が少量ならば大事にはならないからと言う事をルシオは分かっていた。


 だから自分が先に飲もうと思ったのだ。



 ソアラはソアラで自分が先に飲んで毒味をしようと思っていて。

 こんな場合は、必ずや殿下よりも先に口にするようにと、お妃教育で習っていたのだ。


 ルシオもソアラも自分が先に飲めば大丈夫だと、それぞれのコップの飲み物を飲んでしまったと言う。


 そして……

 飲み物には何の違和感も無く問題無いとした。


 飲み物を出してくれた老婆が、あまりにも普通の優しそうな老婆だった事も、判断を鈍らせた要因だ。


 その後は……

 御者に行き先を告げて馬車に乗った所までは覚えている。



「 くそっ! 」

 激しさを増す雨の中……

 びしょ濡れになりながら、馬を走らせるルシオは自分を責め続けていた。


 もっと慎重になるべきだった。


 自分は特種訓練により、ある程度の毒や痺れ薬の耐久性はあるが……

 ソアラにはそれが全く無いのだ。


 いや、それよりも……

 命が危なかったのだから。




 ***




 エマから聞いた御者の家は森の奥にあった。


 建物の前には、ソアラが乗っているであろう一頭立ての馬車があった。


 到着したばかりなのか、御者が御者席から降りて降りしきる雨の中をバシャバシャと水飛沫を上げながら走って行く後ろ姿があった。



 ソアラは馬車の中にいるのか?


 ドクンドクンと心臓の鼓動が跳ね上がり、得体の知れない恐怖が身体の震えを誘発する。


 ソアラが馬車に乗って無かったら……と、言う恐怖がルシオを震えさせていた。



 雨音と馬の鼻息。

 そして……

 自分の心臓の音がドクンドクンと聞こえる中、馬から降りたルシオはそっと馬車に近付いた。



 扉を開けると……

 ルシオは膝から崩れ落ちそうになった。


 ソアラがいたのだ。

 壁の角に頭を預けて、こちらを向きに目を閉じて座っていた。


「 ………良かった…… 無事だった 」

 ルシオは馬車の中に入り、そっとソアラの横に座り、震える手でソアラの額に手をやった。



 顔色もよく、熱もない。


「 よく眠っている 」

 規則正しく繰り返される小さな吐息に、泣きそうになる。


「 ソアラ……こんな事になって……ごめん 」

 ルシオはソアラの頬に自分の頬を寄せた。


 冷たい自分の頬にソアラの温もりが伝わって来る。



 本当に……

 閉じた瞼のまつ毛の一本までもが愛しい。


 雨に打たれた事からびしょ濡れで。

 抱き締められない事がもどかしい。



 一頭立ての馬車。

 雨が激しく降っていた事。


 それが幸運だった。

 ぬかるんだ道では馬車はスピードは出せない。

 だから馬に乗ったルシオの方が速く駆けて来れたと言う。



 その時……

 外から複数の男達の声がした。

 家から出て来たみたいだ。


「 本当に貴族の女だったらぞ 」

「 奴の話では王宮の侍女らしいからな 」

「 しかし凄い雨だな。やっぱり運ぶのは後にして顔だけでも拝んで行くか 」



 高く売れると言った。

 人身売買かっ!?


 これは大収穫だ。

 ランドリアがずっと人身売買の組織のアジトを探していたのだ。



 ドルーア王国では、若い女が誘拐される事件が頻繁に起きていて、宰相ランドリアが躍起になって捜査をしていた。


 リリアベルが誘拐されそうになった事件も、人身売買の組織のせいでは無いかと、ランドリアはカールに調査を命じたのだ。


 しかし……

 イースト公爵からストップがかかった事で、頓挫してしまったと言う。



 声の種類からやって来た男は、3人だとルシオは判断した。


 アジトにはどれだけの人がいるのか分からない。

 この3人を片付けて、さっさと立ち去る事が得策だと考えた。



 ルシオはソアラの頬にチュッとキスをして、扉の方を向いて構えた。


 雨は一段と激しくなり、ゴロゴロと遠くで雷まで鳴り出した。

 ガチャガチャと扉を開ける音がする。


 ガタン!!

 瞬時にルシオはおもいっきり馬車のドアを蹴った。



 勢いよく開いたドアに飛ばされた男が、その後ろにいた男にぶつかり、二人の男が水飛沫を上げて地面に転がった。


 ルシオはもう一人の男に馬車の中から跳び蹴りをして、仰向けに倒れたその男の胸ぐらを掴んで引き起こし、首の後ろに肘打ちをした。


 男がギャッと叫んで崩れ落ちた。


 続いて地面に転がっている男達に、同じ様に首の後ろを肘打ちをして気絶させた。



 あっと言う間の事で男達の声は、鳴り出した雷の音と、激しくなった雨で掻き消された事から、家からは誰も出ては来なかった。


 三人の男達は動かなくはなったがこの雨だ。


 直ぐに目を覚まして追って来るだろうと、ルシオは馬車のドアを閉め御者席に飛び乗り、遠くの空では稲光が走る中、ルシオは馬車を走らせた。




 ***




 暗くぬかるんだ道は中々馬が走ってくれないくて、手綱を操るのにも苦戦する。

 そもそも、馬車の手綱を握るのは初めてなのだ。


 来る時はこの雨のお陰でソアラの救出に間に合ったが、帰りはこの雨のせいで馬車のスピードが出ずにイライラする。


 激しい雷雨で前が見えない程になり。

 とうとう馬が怖がって走るのを止めた。



「 おいこら! 馬! 走れ! 」

 ルシオが手綱を引くが、馬は嫌がるだけで走ろうとはしない。


 そのまま立ち往生していたら、遠くから馬の蹄の音がして来た。



 追い付かれたか!?


 ルシオは短剣を手にした。

 人に向けて剣を振るったのはハーパーが初めてだった。

 彼のアキレス腱を切ったのは逃げられない為に。


 剣の訓練はしていたが、やはり守られる立場であるルシオが、剣を振るう事などあってはならない事なのである。



 ルシオは馬車のドアの前に立ち、人を殺す覚悟を決めた。


 大勢を相手にするには、1人ずつ確実に息の根を止めるしかない。


 ソアラを守る為に。



「 いたぞーっ!! 」

「 女を取り返せぇーっ! 」

 あっと言う間にルシオは馬に乗った男達に囲まれた。


 馬から降りた男達は剣を持って、ルシオに近付いて来た。

 ルシオを前にして皆は足を止めた。



 黄金の髪にサファイアブルーの綺麗な瞳。

 顔も小さく背もスラリと高い。

 目の前にいる驚く程の美しい男に、皆はごくりと喉を鳴らした。


「 おいおい。とんだ優男じゃないか……こいつの方が高く売れるぞ! 」

「 おい! 傷はつけるなよ! 極上の男だ! 」

 男達はニヤニヤとしながらルシオににじり寄って来た。


「 まて! 」

 男達を掻き分けて前に進み出て来たのは御者だ。


「 こ……こいつは…… 」

 御者の目が見開いた。


 今頃王太子はお嬢様に媚薬を飲まされて……

 今はよろしくやっている最中の筈だ。

 あの媚薬を飲むと、1度や2度では収まらない程の強烈な媚薬だと聞いていたのに。



 だけど……

 目の前にいる男は紛れもなくあの時に見た男。


「 お……王太子だ! こいつは王太子だーっ!! 」

 御者が発した言葉に辺りは騒然となった。


 王太子がいると言う事は騎士がいると言う事で。


 何処かに騎士が隠れていると、皆はくるくると踵を返して辺りを伺っている。



「 見事に我々の策略にハマッたな。僕はお前らを一網打尽にする為のだ!」

「 何だとぉ!? 」

「 睡眠剤も飲んだ振りをしただけだ 」

 ルシオは御者を見てニヤリと笑った。



 あの時……

 確かに王太子があの時睡眠剤入りの飲み物を飲んだのを見た。


 しかしそれだったら……

 こんなに早く目を覚ます筈がない。


 やはり最初から仕組まれた事だったのだ。

 王太子が平民に変装をして、侍女と二人だけでいるなんて変だと思ったのだ。


 青ざめた御者はガタガタと震え出した。



「 お前達は既に騎士団に包囲されているぞ! 」

 ルシオはをかました。

 少しでも打開策が何処かに無いものかと考えて。


 男達は耳を澄まして周りの気配を探っている。



「 はっ! 騎士なんか何処にもいねーじゃねぇか!」

「 いたらとっくの昔に現れてるサ 」

 ニヤニヤと勝ち誇ったように嘲笑った男達は、そう言って剣を持つ手をルシオに向けた。



 ちっ!

 やっぱり殺らなければならないか。


 ルシオは短剣を握る指先に力を込めた。



 その時……

 カッカッと言う馬の蹄の音が聞こえ、その音があっと言う間に大きくなった。


「 殿下ぁーーっ!! 」

「 殿下ー!! 」

 峠の向こうから騎士達が現れた。


 突然現れた騎士達に、驚いた男達は我先にと逃げて行った。



 逃げようとした御者に跳び蹴りをしたのはカール。


 何時もはシャアシャアとしているが。

 怒らせると本当にエゲツナイ。



「 やれやれ……やっと来たか…… 」

「 殿下ぁぁ~ご無事でしたか!? 」

「 お前……遅いよ 」

 安堵の顔をしたルシオは、泣きながら御者をぼこぼこにしているカールに笑った。



 騎士団の団長を始め、騎士達が次々と馬から降りて、ルシオの前に跪いた。


 ルシオを仰ぎ見るその目は涙が浮かんでいて、泣きそうな顔をしている。

 全員がずぶ濡れだ。

 どんな思いでルシオを探していたのかが感じ取れた。


 勿論、ルシオの行方が分からないなんて事は、初めての事だった。



 ルシオは自分の前で跪く皆を見渡すと、拳を突き上げた。


「 今から密輸組織及び人身売買の一味達の捕縛を命じる!!一網打尽にせよ!! 」

「 御意 !!!」

 跪いている騎士達はルシオの前で頭を垂れた。



 ルシオの命を受けて騎士団団長が、馬に乗ると騎士団の騎士達に命令した。


「 第一部隊は追随し、第二部隊は殿下の護衛をしろ! 」

「 はっ!」

 一斉に馬に乗った騎士達が全速力で男達を追った。




 ***




「 殿下……既にハーパーとエマは捕らえております 」

 あの糞老婆もだとカールは吐き捨てるように言った。


 年寄だと油断していたらかなり暴れたらしい。

 カールの目の回りが青くなっているのが、その抵抗の激しさを物語っている。



「 そうか…… 」

「 ソアラ様は? 」

「 うん……馬車で眠っている 」

「 そうですか……良かったです。馬車に着替えがありますので殿下は着替えて下さい 」

「 ああ…… 」

「 私がここで見張っています 」

 カールが馬車のドアの前に立った。



 着替えを終えたルシオがやって来た。

 髪はまだ濡れたままだが、タオルを肩に掛けている。


「 あっ!?殿下!これをお飲み下さい 」

「 これは? 」

「 中和剤です。ソアラ様にも飲ませて差し上げて下さい 」

 殿下はもう必要は無いとは思いますが念の為にと言って、カールは小瓶をルシオに渡した。


 ルシオの側近であるカールは、何時も解毒剤とこの中和剤を持参している。

 勿論、今までこれを使った事はないが。



 馬車のドアを開けると、ソアラはうつ伏せに突っ伏していた。


「 うわーっっ!ソアラ大丈夫かっ!? 」

 ルシオは慌ててソアラを抱き起こした。


 ルシオの下手な馬車の運転で床に転げ落ちていたのだ。



「 ごめん!ソアラ 」

 抱き締めながらソアラを見ると、ソアラの瞳はパッチリと見開いていた。


「 !?………目が覚めていたのか? 」

 ルシオの問いには答えずに、ソアラはぼんやりとしたままだ。



 あの薬には痺れ薬が入っていた事はルシオは知っていた。

 立ち上がった時に手足に麻痺を感じたのだ。

 ルシオは慌てて中和剤を口に含んで、ソアラの唇から流し入れた。



「 大丈夫だから、飲んで 」

 ソアラがゴクンと飲んだ事を確認して、ルシオはソアラを横抱きにして王宮の馬車まで運んだ。


 もう辺りは夜の帳が下りていた。

 あの激しい雷雨が嘘のように、夜空には星が瞬いていた。



 王宮の馬車は、先程まで乗っていた馬車よりも数倍広く椅子もフカフカだ。


 ルシオは椅子の上にそっとソアラを横たわらせ、自分は向かい側に座った。


 次の瞬間。

 ソアラがルシオに抱き付いて来た。



「 !? ……怖かったか? 」

 何時から目が覚めていたのかと、ルシオは不安になった。

 ソアラに怖い思いをさせたくはなかったのにと。


「 ………… 」

「 ? ……ソアラ? 」

 ソアラは黙ったままにルシオに抱き付いたままで。


 その時ルシオはある事に気が付いた。



 これは……

 僕を守っている?


 あの訓練の時と同じ体制なのである。


 ルシオの股の間に入り込み、ルシオの正面からルシオの身体に手を回していて。

 流石に手には力が入らないのか、だらんとしているが。


 意識が朦朧としてると言うのに、自分を守ろうとするソアラにルシオは胸が震えた。


「 守ってくれて有り難う 」

 ルシオはソアラの耳元に顔を寄せて囁いた。



 もしかしたら……

 あの時、いち早くコップを受け取って飲んだのも……

 毒味をしようとした?


 喉が乾いていたから飲んだんじゃないんだ。



「 ソアラ…… 君って人は…… 」

 ルシオは堪らなくなってソアラを抱き締め、ソアラの額に唇を寄せた。


 愛しくて愛しくてたまらない。


 ん?

 ソアラの額がボゴッとなっている。


 慌てて髪をかき上げて見れば……

 ソアラにたん瘤が出来ていた。

 内出血をして腫れている。


 ルシオの下手な運転で何処かにぶつけたのだ。


 これは痛い。

 痺れが無くなったら痛がるだろうな。



「 ソアラ……ごめん 」

 ルシオはそのたん瘤にそっと唇を寄せた。


 本当に……

 たん瘤までが愛おしい。



「 君が好きだよ……誰よりも 」

 ルシオは自分の膝の上にソアラを乗せた。


 念願の膝上抱っこだ。


 ルシオは帰城するまでの間、ずっとソアラを自分の膝の上に乗せていた。

 自分がクッションであろうとして。


 そして……

 何度も何度もソアラの頬や額に口付けをした。

 勿論唇にも。



 雨上がりの道を……

 二人を乗せた馬車は、騎士達に守られながら暗い夜道を王宮に向かって静かに進んで行った。








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