第124話 お忍びデート




 ルシオは定期的に、王都の街やその周辺の街を視察すると言う事をしている。


 街の様子や人々の話題、王族に関する噂などを聞く事が狙いで。

 それは王太子になった時から続けている公務である。


 実際は完璧なお忍びでは無いので、悪い噂などを聞く事は無いのだが。

 それでも酒場では、耳の痛い事も聞こえて来る事もあると言う。



 この日の午後から予定されていた視察には、ソアラも連れて行く事にした。


 要はデートがしたかったのだ。


 この日ソアラは財務部の仕事はお休みだった事もあって。

 勿論、お邪魔虫カールは連れては行かない。



 誰にも邪魔されずに楽しむ為には、平民の男女に変装するのが一番だと侍女達のアドバイスで、平民の服を着る事になった。


 初夏らしく白のYシャツに黒のスラックス。

 Yシャツの上には黒のベストを着て、黒のハンチング帽を被らされた。


 Yシャツの袖は捲るのが萌えると言って、バーバラ達はやけに張り切って仕度をした。



 ルシオがフローレン邸に迎えに行くと、平民の服を着たソアラがリビングで待っていた。


 ソアラは襟つきの青いチェックのワンピース姿。

 何時ものドレスとは違い丈はかなり短い。

 そして長い髪は2つ括りの三つ編みにしていて。


 チェックのワンピースと2つ括りの三つ編みは、平民の娘達がよくしている姿だ。



 もうめちゃくちゃ可愛い。


 何時もは髪を後ろに束ねている事から、この三つ編み姿は新鮮で。

 ルシオは暫しソアラを見つめるのだった。

 とても甘い顔をして。



「 ソアラ……可愛い 」

「 ルシオ様も……素敵です 」

 腕捲りをした腕が、一見細身であるルシオが意外と逞しいのだと分かる。


 普段は腕捲りなどしないその姿に、ソアラの胸はドキドキと高鳴る。

 侍女達の思惑は成功した。



 この変装が平民の変装?

 こんなにもたおやかでキラキラとした平民はいない。


 その美丈夫振りは然る事乍ら、王子という高貴な身分を醸し出すオーラは、どんな格好をしていても健在で。


 これでは直ぐにバレるのでは?と思わずにはいられない。



 チラチラ見て来るソアラにルシオが気が付いた。


「 何? 」

「 ……いえ、ルシオ様もフレディ様みたいに女装をしたら良いかもと思って…… 」

「 女装? 女装なんかしたら、君とイチャイチャ出来ないじゃないか! 」

 即答だ。



「 こんなに可愛らしい君に触れられないのは嫌だよ 」

 ルシオはソアラの片方の三つ編みの髪の束を掬い取って唇を寄せた。


 その色っぽいに眼差しに、ソアラはまたもやドキマギとする。


 ルシオ様は何処をこんなにも私の事を好きなのかしら?

 こんな普通顔なのに何時も可愛いと言ってくれる。


 ソアラの顔を甘い顔をして覗き込むルシオに、恥ずかしくなったソアラは顔を伏せた。



 出掛ける直前にソアラはある事を思い出した。

 持っていた鞄から、冊子を取り出してルシオに見せた。

 何十枚もある用紙を紐で綴じた物だ。


「 お願いがあります 」

「 ん? 」

 ソアラからお願いされる事は珍しい。


 日頃から些かもの足りない思いをしているのだ。

 オネダリされたら何でもしてあげるし、何でも買ってあげるのにと。



「 翻訳のお仕事が終わったので、これを本屋に持って行っても良いですか? 」

 何時もはお父様と一緒に行くのですけれどもと言って、ソアラは申し訳なさそうな顔をした。


 翻訳が仕上がったのは最近の事で、ダニエルの休みの日と店の開いている日が合わないのだ。

 今日を逃したら納期に遅れる事になると言う。



「 ……いえ、やっぱりそれは駄目ですわ!大事な街への視察の公務なのに……後日に行く事にします 」 

「 別に構わないよ。色んな場所に行くのも視察としては有りだからね 」


 折角納期に間に合うように仕上げたのだから、今日持って行けば良いとルシオは言った。



 きっちりしているソアラの事だ。

 納期に遅れるなんて事はしたくはないだろう。


 何よりも……

 ソアラの事は何でも知りたいと思っているルシオにとっては、ソアラに翻訳を依頼している本屋に行く事は願ったり叶ったりの事だった。



 こうして、ルシオとソアラを乗せた馬車は、フローレン邸の皆に見送られて出発した。


 勿論、馬車も王太子殿下専用馬車ではなく、お忍び用の馬車である。




 ***




「 ここら辺りに来るのは初めてだな 」

 ソアラと手を繋いで歩いているルシオは、辺りをキョロキョロと見渡している。


 今日はお忍びだから、少し離れた位置にいる護衛騎士達も私服姿だ。



 本屋のある場所は、王都の中心街よりも少し離れた地域にあった。


 この辺りは馬車が入れない程の路であるから、馬車はかなり遠くの馬車専用の広場に停めてある。


 ソアラとダニエルは毎回歩いてここまで来ていたと言う。

 街に近いタウンハウスならば、近道を通ればなんて事の無い距離だと笑って。



 ソアラが示した店は古びた小さな店。

 一見何の店なのかも分からない程で。

 2人が入ろうとすると騎士達が駆けて来た。


「 殿下! 我々が先に入って中を確認致します 」

 こんな怪しい店に騎士達が警戒するのは当然で。


「 ソアラが懇意にしている店だから問題は無い。お前達は店の外で待機 」

「 はっ! 」

 騎士達がソアラを見やると、大丈夫ですとソアラは頷いた。


 何があっても……

 私が殿下をお守りしますわ。



 本屋の中に入ると古書の匂いがした。

 小さな店の壁一面に古書が並べられていて。


「 わたくしはここの匂いが好きなんです 」

 ここに来ると、懐かしい気持ちになるとソアラは嬉しそうにルシオを仰ぎ見た。


「 うん。僕も古書の匂いは好きだ 」

 ルシオも以前はよく読んでいた。

 最近は公務に忙しく、公務の書類にばかり目を通してしまっているが。



 古書は主に外国の本だ。


「 ほう。納期に間に合ったな 」

 しゃがれた声の老人の店主が奥に座っていた。


 黒髪に漆黒の瞳の彼はガルト人だ。

 なのでここにはガルト王国の本が多い。


 ガルト王国は多民族国家。

 ガルト語の他に沢山の言語が存在する。

 ソアラが話せるムニエ語とヨルネシア語も、その中の内の2つの民族の言語である。



「 おや?そちらは誰かな? 」

「 ……私の婚約者ですの 」

 ソアラがハニカミながらルシオを紹介した。


 彼がソアラの素性を知らない事は、馬車の中でルシオに説明していた。


 ソアラはダニエルの知り合いの娘だと言う事になっていて。

 それは、王宮の経理部に勤めるソアラが、アルバイトをするのは良くないだろうと言う理由で。



 ソアラにこんな風に紹介されるのは初めてだ。


 ルシオは、ソアラに婚約者だと言われた事に嬉しくなっていた。



「 ほう。えらい男前だね~他の女が放っとかないだろうに。浮気をされないようにしなよ 」

 店主はじろじろとルシオを見て、ソアラをもう一度見た。


 普通顔の私には相応しくないと言いたいのね。

 ええ、ええ。

 勿論ですとも。



「 店主! 僕は彼女にぞっこんだからそれは無い!

 」

 ルシオはそう言ってソアラを抱き寄せた。


 今にもキスをしそうな位に、その美しい顔をソアラに寄せた。

 狭い店の中でそれも店主の目の前で。


 ハハハと声を上げて笑う店主に背を向けて、ソアラは両手で顔を覆うのだった。



 その後……

 用件を終わらせ帰ろうとした時に、ソアラは棚の前に置いてある本に目が止まった。


 新刊だ。

 これは読みたかった本。


 ソアラは本を手に取ってバッグの中からお財布を取り出した。



「 僕が払うよ 」

「 ……有り難うございます 」

 普段は財布など持つ事は無いが、今日は平民なので侍女達が財布を持たせてくれていた。


「 おや? 今日は婚約者がいるから値切らないんだな 」

 店主はガハハハハと笑った。


「 なっ!? 」

 またもや値切り話。

 それも殿下の前で。


 ソアラは真っ赤になった。



 外に出てからも、クックと肩を揺らして笑うルシオにソアラは弁明する。


「 本のお値段なんて適当なのよ。だから…… 」

「 だから? 」

「 値切らないと……損をすると思って…… 」

 アハハハハハ。

 ルシオは声を上げて笑った。



 楽しそうだな。


 外で待っていた騎士達が、楽しそうに笑うルシオを見て安堵するのだった。




 ***




 ソアラと街を歩くのは楽しかった。

 手を繋いで色んな道を歩き、色んな店に入った。

 カールと視察する時とは違う発見も多く、ソアラの率直な意見がとても斬新だった。



 そんな風に有意義な視察デートだったが……

 時間が経つにつれ大変な事になった。


 背が高く若くて美丈夫なの男が街を歩いていたら、あらゆる女達が寄ってくるのは当然で。


 2人の後を女達が付いて来ると言う事態になった。


 女達はソアラをチラリと見ると、フッと薄笑いを浮かべた後にルシオに近付くのだ。


 ルシオと手を繋いでいると言うのに。



 貴族の子息ならば、平民女性は近寄っては来ないのだが、平民に変装したのが間違いだったと思い知る事になった。


 貴族の令嬢達に囲まれるのとは訳が違う。

 しまいには女同士で喧嘩まで始める始末。

 ブスだデブだと聞くに絶えない罵倒のやり合いで。



 2人の護衛騎士達も騎士服を着ていれば、統率は出来るのだが、今は私服なので完全に嘗められている。


 男ならば腕を捻りあげて追い払うのだが、流石に女性達にそれは出来なくて。



 ここで王太子だと名乗れば、あの侯爵令嬢とデートをした時みたいに大変な騒ぎになる。

 あの時は騎士達が大勢いたにもかかわらず、結局はルシオは馬車まで逃げ込む羽目になったのだ。


 滅多に王族を拝顔する事の無い平民パワーを嘗めて掛かってはいけない。



「 くそっ! ソアラ! 逃げるぞ! 」

「 はい! 」

 ルシオがソアラの手を引っ張って、人混みの中から駆けて行く。


 しかしだ。

 ソアラの足は恐ろしく遅い。


 毎朝ウォーキングをしている事から、歩くのは早いのだが……

 走った事など無いので走り方が分からないのだ。


 侍女も馬車も無く、平民みたいに値切る事もしてしまうが……

 やはりソアラは立派な伯爵令嬢なので。



 なので女達に追い付かれてしまい、更に揉みくちゃになった。


 このままではソアラと逸れるかも知れない。


 周りには男達もいて。

 ニヤニヤしながらこの騒ぎを見ている。



 これは大変な事になったぞ。

 ソアラを騎士達に保護させよう。

 自分だけなら走って逃げる事が出来る。


 そう思ったルシオが、騎士の2人を探そうとした時。



「 お兄さん! こちらに入りなさい! 」

 女性の声だ。


 建物の角を曲がった時、老婆がドアを開けて立っていた。

 ルシオはそこにソアラを連れて飛び込んだ。


 家に入ると直ぐにバタンと扉が閉められた。



「 助かった 」

 大丈夫かと言いながら、ルシオはソアラを抱き寄せた。


 揉みくちゃになったソアラは、ぜぇぜぇと息を切らしながらコクンと頷いた。



「 裏口に馬車があるけぇ、落ち着いたらそこから逃げなせぇ 」

「 老婆! 助かった。後から礼をしたい。そなたの名は何と言う? 」

「 なぁに。困っている時はお互い様じゃあ 」

 老婆は首を横に振りながらルシオを見上げた。



「 ほう。女共が騒ぐ筈じゃの。それでも王太子殿下よりは劣るがの~ 」

 老婆は王太子殿下を近くで見た事があると言う。


「 王太子様は我らの自慢の王子様じゃからのう 」

 そう言いながらも、ルシオの顔を見て頬を赤らめている。



「 あ~そうだな。王太子殿下は特別だからな 」

 気まずそうにこめかみを指で掻きながら、ルシオは肩を竦めた。


 笑いが止まらないソアラだった。



「 王太子殿下の婚約者はどう思う? 」

「 !? 」

 ルシオは笑うソアラに目を眇めながら老婆に尋ねた。


 何て言うのかしら?


 ドキドキ。



「 婚約者は救世主じゃな。彼女を選んだ王妃様にわしは一票入れたよ 」

「 一票? 」

 老婆は何じゃ知らんのかと言いながら、テーブルの上に置いてあった瓶から、コップに液体を注いでルシオとソアラに渡した。


 よく見るとここは小さな飲み屋のようだ。

 沢山の瓶やコップが並んでいる。



 老婆の話では、どうやら平民の間で人気投票をしてるらしい。


「 でも、婚約者もわしは好きじゃの。値切る所が庶民的で良い 」

 また値切りの話。


 ソアラはクラクラしながら眉間に手をやった。



 老婆に礼を言った二人は裏口から外に出ると、老婆の言うとおりに馬車があった。


 庭にいた御者らしき者が御者席に座っている。



 ルシオは、乗って来た馬車を停めてある広場の番地を御者に告げて、ソアラと馬車に乗り込んだ。


 そこに行けば騎士達も来る筈で。



 2人しか乗れない一頭立ての小さな馬車だ。

 店の周りにはまだ女達がうろうろしていた。




 ***




 ん?

 ここは?


 上半身を起こしたルシオはキョロキョロと辺りを見回した。


 辺りが薄暗くてよく見えない。

 頭を押さえて、何があったのかを考えていると、誰かの声が聞こえて来た。


 その声は聞いた事のある甘ったるい声。



 その時ドアが開いた。


 黄色い髪のフワフワの巻き毛を揺らして、妖艶な垂れ目にはうるうると涙が浮かんでいて。

 大きく襟の開いたピンクのドレスの胸は、たわわに揺れている。



 部屋入って来た彼女は……



 男爵令嬢エマ・ハーパーだった。



「 ルシオさまぁ~ 」

 彼女はそう言って、ルシオに向かって駆けて来た。







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