第117話 優しい男



 結婚式まで半年あまりになり、王太子宮が大規模なリフォームに入った。

 主に王太子夫婦の部屋を中心に。


 ルシオは、子供の頃から生活をしている王子部屋にいるのだが……

 大工など沢山の人が王太子宮に出入りする事になるので、危険を回避する為に移住スペースを王妃宮に移した。



 国王宮で無いのは、国王と王太子が同じ建物での居住を避ける為である。

 それは襲撃があった時に、2人が共倒れをする事が無いようにという理由だ。


 なので……

 今、王妃宮は王太子宮のスタッフ達と王妃宮のスタッフ達が行き交い、とても賑やかになっている。


 これには、やがて王太子妃となるソアラを、エリザベスが気に入っている事も関係している。


 主同士の関係が良好ならば、仕える侍女達も良好だと言う事だ。



 誕生祭が近付いて来ると、ソアラのお妃教育の一環として、晩餐会や舞踏会の諸々の準備をエリザベスから教わる事となった。


 ビクトリアが王妃だった頃は、この王妃の執務室で2人が一緒に準備をする事は一度も無かった事で。

 エリザベスがこの部屋に来る時は、決まってビクトリアから呼び出されて叱責をされる時だった。


 2人の間は何時もピリピリとしていて、こんな風に教えを乞う姿など無かったと言う。



 ソアラはまだルシオの婚約者に過ぎないが、エリザベスが殊の外ソアラと一緒にいたがるのだ。


 ビクトリアもソアラを大層気に入っていたと、帰城したルシオから聞かされてからは尚更で。



 ソアラが王妃宮に足を踏み入れるのは、勿論この時が初めてだ。


 落ち着いた若草色で統一された豪華な執務室には、大きな執務机が置いてあり、エリザベスが座って書類に目を通している。

 側近と何やら相談をしながら。



 ソアラは、応接セットに自分の仕事場を確保して貰い、文箱に収められている封書を一通ずつ手に取って、ペーパーナイフで封を開いていた。


 全てが家紋の入った印章が押印してあり、これは王家から送った招待状の返信である。



 ソアラは、返信に書かれてある参加の有無をリストアップして書類に書く作業をしていた。


「 そう言えば……我が家も家紋の印章を作ったとトンプソンが言っていたわね 」

 ソアラが王太子の婚約者となってからは、フローレン家には沢山の封書が届くようになっていた。


 ソアラの母親のメアリーをお茶会に招待する招待状や、ソアラを夜会に招待する招待状だ。



 ソアラへの招待状には……


『 出来れば王太子殿下とご一緒に御参加下されば光栄です 』

 などと、ルシオ目当てのメッセージカードが添えられている事が殆どだ。


 ルシオは王宮以外では、公爵家の夜会にしか参加しない。

 王太子が自分家の夜会に来てくれば、それだけで箔が付くと言う思惑があるからで。



 今までは、招待状など届いた事があまりない家だったので、ソアラの母親メアリーと執事のトンプソンはその対応に忙しくしている昨今である。


 そんな中……

 フローレン家の封書も王宮に届いていたので、ソアラはおかしくなって吹き出してしまった。


 ちゃんと印章が押してあるわ。



 封を開けてみれば……

 出席者に、ダニエル、メアリー、ソアラ、イアンの名前があった。


 そう。

 誕生祭の舞踏会では、16歳になったイアンが、初めて社交界デビューをする。


 令息達は令嬢達みたいに、デビュタントとして華やかに踊る事は無いが……

 両陛下から、成人になった事のお祝いの言葉を賜る式典がある。



 なので……

 イアンも新しく夜会服を新調した。


 社交界はダンスが必須だと、イアンが学園から帰るや否や、待ち構えていたトンプソンが熱心にダンスを教えている。


 その様子を思い出して……

 ソアラはクスクスと笑った。



「 何だか楽しそうだな 」

 ソアラが持っているフローレン家の封書を、ルシオがソアラの肩越しから覗き込んで来た。


「 で……殿下!? 」

 ビックリしたソアラは慌てて立ち上がり、カーテシーをする。


 ガタガタと椅子から立ち上がる音があちこちからして。

 突然のルシオの登場に、周りにいる侍女や文官達も慌ててカーテシーをしたり、深く頭を下げている。



「 ルシオ! ノックをなさい! 子供じゃあるまいし 」

「 これは失礼! 母上、ご機嫌いかがですか? 」

 ドアが開いていたんだと言って、ルシオはエリザベスに向かって両手を広げて肩を竦めた。


 最近のルシオは頗るご機嫌である。

 鼻唄を歌うが如く。


 王宮の皆は、それがソアラがいるからだと言う事を感じていた。



 その時、ルシオの侍女達がガラガラとワゴンを押しながら入室して来た。

 ワゴンの上には、スィーツ店のロゴの入ったピンクの箱が幾つか載せられていた。


「 外出したついでに買って来たんだ 」

「 まあ!このお店は……あの有名なマイムマイムですね? 」

 エリザベスの侍女が感嘆の声を上げると、皆がキャアッと歓声を上げてワゴンの前に集まった。


 『マイムマイム』はスイーツで有名なお店だ。


 そう。

 ソアラとリリアベルが襲われたあの店である。



「 あら? ルシオがお土産を買って来るなんて、珍しい事 」

「 ソアラがこの店のアップルパイを好きなんだ 」

「 まあ!? 優しいのねぇ 」

 侍女達が、お皿にスィーツを取り分けながら一斉にソアラを見た。


「 ソアラの喜ぶ顔が見たいからね 」

「 あ……有り難うございます 」 

 皆の注目を浴びて、恥ずかしくなったソアラは俯いてしまった。


 ルシオは誰の前でも明け透けに、ソアラ好き好きアピールをするのだ。

 それが母親であろうとも。


 その緩んだ甘々の顔がまた美しくて。

 侍女達はうっとりとルシオを見つめていた。


 有名店の美味しいスィーツを、自分達の分まで買って来てくれたから尚更に。



「 まあ、ソアラ嬢へのお土産?。わたくし達はついでなのかしら? 」

 エリザベスがクスクスと笑った。

 さあ、皆でお茶にしましょうと言いながら。


「 母上!僕達は庭園のガゼボで食べます 」

 バーバラがお茶会の準備をして待っていると言って。


「 あら! それは素敵ね。ゆっくりしてらっしゃい 」

 エリザベスが嬉しそうに微笑んだ。

 

 ルシオがここまでソアラの事を大切にするとは思ってもみなかった。

 エリザベスがソアラを選んだ手前、2人の仲が良好なのが何よりも嬉しい事だった。


 ソアラが才女であるなしに関わらず。



 ソアラは慌ててテーブルの上を片付け始めた。


「 慌てなくても良いよ 」

 ルシオはそう言いながら、テーブルの上にあったファイルを手に取った。


「 これは誕生祭の参加者か……」

 暫くそのファイルに目を這わせていたルシオが、何気に呟いた。


「 アメリアが来る…… 」


 そして……


「 楽しみだな 」

 ……と、付け加えて。




 ***




 ガゼボではバーバラ達がお茶会の準備をしてくれていた。


 春の日差しが少しきついが、日除けの屋根があるガゼボは気持ちの良い空間だった。



 アップルパイを一切れ口に入れて、その美味しさに思わず顔が綻んだ。


「 美味しい? 」

「 美味しいです 」

 殿下の笑顔が眩しい。


 自分の事を想い、自分の為に出先からわざわざ買って来てくれた事がソアラは嬉しかった。



 スィーツの有名店である『マイムマイム』は少し郊外にある人気店だ。


 ルシオと初めてデートをした日。

 王室御用達のホテルのレストランで食事をして、その後に移動をして連れて行ってくれた店である。



「 殿下……思い出した事が…… 」

 フォークを置いて、ソアラがルシオを見やると、ルシオが「めっ」と言う顔をした。


「 ……名前! 」

 2人だけの時は名前で呼ぶ事に決めたのだ。

 ルシオが無理矢理決めたのだが。



「 ル……ルシオ…さま…… 」

「 なぁに? 」

 名前を呼ばれたルシオは、甘い甘い顔と声でソアラに満足げな顔を向けた。


「 あの…… 」

 そんな顔をされたら言いにくい。


「 マイムマイムのお店で、リリアベル様とわたくしが襲われた時の事なのですが…… 」

 ルシオの甘い甘い顔が驚いた顔になった。



「 !?……怖かった事を思い出させたか? 」

 やっぱり……

 この店の土産など買って来るべきでは無かったとルシオは、ソアラに申し訳なさそうな顔をした。


 因みに……

 この店のアップルパイが好きなカールは、自分の分として何個か買っていた。



「 いえ……あの時狙われたのは、わたくしではないかと思って……」

「 な……なんだと? 」


 マイムマイムの店での事件は、狙われたのがリリアベルとして捜査をしていたが……

 リリアベルの父親であるイースト公爵が、事を大きくしたくないとして、捜査の打ち切りを言って来たのである。


 暴漢に襲われたなど、リリアベルに不名誉な噂が流れるのを懸念して。

 たとえ未遂であろうとも、噂には尾びれ背びれが付くものだとしたからだ。


 なので……

 男達が誰に依頼されたのかは分からず終いだった。



「 どうしてそのように思ったんだ? 」

「 離宮での襲撃も、ルーナとわたくしを間違えておりましたから、もしかしてと思いまして……」


 そして……

 ソアラは話を続けた。


「 狙われたのがわたくしだったら、リリアベル様がこれからもずっと不安な思いを抱かないで済むかと思いまして 」

 リリアベル様はあの時震えていて、怖い思いをしたみたいだからとソアラは言った。



「 ソアラ…… 」

 ルシオは胸が熱くなった。


 あの時……

 自分も腰が抜けて立てない程に怖い思いをしたと言うのに。


「 狙われたのが君だったらどうするんだ? 」

「 わたくしだったら……多分、身代金目当てでは無いので、何か理由があるのかと思いまして…… 」

 我が家にはお金が無いから、絶対に身代金目的では無いと言って、ソアラは愉快そうにクスクスと笑った。



「 分かった。もう一度調べさせるよ 」

「 お願いします 」

「 君は……国民に優しい……立派な王太子妃になるよ 」

 ルシオがそう言ってソアラを眩しそうに見つめると、ソアラは少し恥ずかしそうに笑った。



 ソアラが狙われたとは考えもしなかった。

 男達は『綺麗な令嬢を誘拐しろ』と言われたと言っていたからで。


 ソアラも美しい令嬢なのは間違いないが( ←ルシオ目線 )

 どちらかと言えば……

 やはり一瞬にして目を引くのはリリアベルだ。


 そんな事から、狙われたのはリリアベルだと言う事は間違いないとして、カールは捜査をしていたのだ。

 


 僕の婚約者になったのだから、やっかみや妬みがソアラに向かう事を考えるべきだった。


 そして……

 あの頃は納税の時期。

 がいると噂が広がったと聞いた。

 不正がバレた事で、クビになった執事もいたと言う。


 そっちの線での恨みもあるかも知れない。

 勿論、逆恨みなのだが。


 兎に角、この件は再度調べる必要がある。

 ソアラが狙われたと言うなら話は別だ。


 この後ルシオは、カールに再捜査を命じた。




 ***




 良かった。

 聞こえてなかったみたいだ。


 ルシオは先程自分が言ってしまった言葉が、ソアラを傷付けたのでは無いかと不安になっていた。


 アメリアと久し振りに会えると思って、つい呟いてしまったのだ。


 「楽しみだ」などと聞けば、不快になるに違いない。

 、ソアラにポンコツな事をしてしまったのでは無いかと。



 ルシオは……

 アメリアに対しては、やはりリリアベルとは少し違う感情があった。


 学園時代は同じクラスで、生徒会では会長と副会長だった。

 2歳年下のリリアベルとは、一緒にいた時間が圧倒的に違う。


 それだけにその想いの違いは大きかった。


 ただ……

 どちらかを妃に選べと言われても、アメリアを選べなかった事は事実なのだが。



 あのクリスマスパーティーの夜以来、領地に行ったアメリアを気にしない訳にはいかなかった。


 ずっと自分の妃になる存在だと信じて疑わなかったのだ。

 生まれた時から決まっていた婚約者候補。


 会った所で、もう何も変わる事は無いが……

 それでも彼女の顔を見たいと思っていた。



 今頃どうしているのか。

 泣いていなければ良いのだが。


 婚約者候補であった時は、そんな事は一度も思った事など無かったが。

 離れてみて初めて、アメリアの存在が自分に取っては大きいものだったと言う事を感じていた。



「 ソアラ……食べさせて 」

 ソアラにあーんのおねだりをして。


 その困った顔が可愛くて。


 バーバラ達が嬉しそうに仲睦まじい2人を見守っていて。


 そんな幸せな時間がゆっくりと過ぎていく。



 今、愛する女性ソアラが側にいて、幸せであればある程に、アメリアとリリアベルの事を思わずにはいられなくなっていた。


 自分の妃になる為に生きて来たアメリアとリリアベルの事を、気にしないでいられる程にルシオは冷たい男では無かった。









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