第73話 女官降臨




 マクセント王国はドルーア王国の陸続きの隣国だが、ガルト王国は海を挟んだ陸にある王国である。


 ガルト王国の国力は、ドルーア王国とマクセント王国よりは少し大きい。



 ドルーア王国とマクセント王国が付かず離れずにいる事から、この3国間の均衡が保たれていると状況だ。


 もっとも……

 今回のドルーア王国とマクセント王国の鉱山の採掘事業には、ガルト王国の商会が関わっているだけで、王家が関わっている訳では無いのだが。




 ***




 王宮では連日の会議が行われ、人の出入りも激しくなった事から、ソアラのお妃教育はストップする事になったので、時間が出来たソアラは財務部の仕事をする事にした。



 ソアラが王宮にやって来ると……

 あちこちからヒソヒソと囁く者の姿があった。


 それは哀れみの目であったり、憎しみの目であったりと。



 皆が皆、アメリア様やリリアベル様ならばこんな事は無かった筈だと、ソアラに聞こえるように囁くのだ。


 特に王太子宮の使用人達は、胸に一物があるようで。

 やはりアメリアやリリアベルとの接点が多かったからか、自分が支える最愛の主君に恥を掻かせたと言う想いが強かった。



 皆の言う通りで。

 アメリア様やリリアベル様だったら、毅然としてダンスを踊り切るのだろう。


 隣国の王太子殿下が、平民のダンス講師をしていた事を知ったとしても。



 ソアラは皆の冷ややかな対応を甘んじて受け入れていた。

 これから歩み寄る両国の未来に、水を差したのは自分なのだからだと。



 王宮の客間にはまだ自分の部屋がそのままあった。

 女官の制服はこの部屋に置いたままだから、部屋に入ると女官の制服に着替えた。


 侍女達はもう引き上げてここにはいなかったが。



 女官の制服を着るのも久し振りだわ。

 やっぱり女官姿になると身が引き締まる。


 紺のブレザーに紺のロングスカートはくるぶしまである長さだ。


 多分私が1番似合う服装はこれだろう。

 普通顔が無理なく普通でいられる服である。


 そして……

 ドルーア王国ではありふれた茶色の髪を、後ろに1つ纏めにすると、更にシャキッと気合いが入った。



 財務部のトンチンカンとアンポンタンの6人は、今回の鉱山の採掘事業のチームのメンバーとなっている為に、財務部の部屋には誰もいなかった。


 皆からの冷ややかな視線から逃げる訳では無いが。

 誰もいない財務部で仕事をするのが今はベストだろう。



 部屋には誰もいないが、この部屋の前には四六時中警備員がいる。

 王族のお金を管理する大きな金庫部屋がある為で。


 彼等に挨拶をしてソアラは財務部の部屋の鍵を開けた。



 この財務部の部屋に入れるのは両陛下とルシオと財務部の6人だけである。

 ランドリア宰相やカールだけで無く、シンシア王女とて入る事は許されてはいない。


 ソアラは財務部の職員でも無くまだ正式な王族でも無いが、ソアラは特別に入室を認められていた。



 財務部の部長のヒルストンから鍵を預かって来て、ドアの鍵を開けて部屋に入った。


 年が明けてからはお妃教育が始まった事もあり、ソアラは財務部の仕事はしてはいなかった。


 毎日をルーティン化して過ごすソアラにとっては、新しい環境に慣れるまでが大変で。

 自宅から王宮に通ってお妃教育をする今の生活に、やっと慣れて来た所である。



 これからは財務部の仕事も私の生活のルーティンに入れたい。


 帳簿を見るのも付けるのも好きで。

 数字がきちんと並んでいるのがたまらなく好きである。

 帳簿とお金がピッタリと合った時の快感は、何ものにも代えがたいのだ。



 書棚にある帳簿を手に取ると経理魂が炸裂して、暫く帳簿のチェックに没頭した。


 帳簿はソアラが教えた通りにちゃんと付けられていて、何だかジーンと胸が熱くなった。


 自分の教え子が立派になったと言う感覚で。

 全員が自分よりは年上なのだが。



 確か……

 ワイアットと言う名前の請求書が2重請求所か3重請求になっていて。


 カール様が詳しく調べてくれてる筈なんだけど。


 ソアラは最近のワイアットと言う名前の請求書を探した。



 すると……

 書類箱の中にワイアットと書かれた請求書が何枚かあった。

 日付は前政権時代のかなり前のものだった。



 請求書のチェックに集中してると、気が付けば夕焼けのオレンジ色が窓を照らしていた。



 あの時と同じだ。


 私……

 殿下とキスをしたのだわ。


 ソアラは自分の唇を指でなぞった。


 あまりにも突然に、一瞬唇に触れただけの軽い口付けだった。

 驚きのあまりに何の感触も覚えてはいなくて。



「 閨を共にする時に、君とちゃんと出来るかを試したかったんだ 」

 その時に言われたルシオの言葉が、ソアラの胸にチクリと突き刺さる。


 王命が下され逃れられない婚姻だが、愛が無い結婚などは貴族では当たり前の事。


 自分だって丁度良いお相手をピックアップして、お父様に婚姻の話を進めて欲しいとお願いしたのだから。



 きっと……

 殿下を好きになってしまったから、愛の無い結婚だと言われた事が辛いのだ。



 それでも殿下は私を大切にしてくれている。

 ドルーア王国の未来を歩いて行こう仰ってくれた。


 私は私の出来る事を頑張るだけ。



「 でも……お試しは1度だけで良いのかしら? 」

 えっ!?

 私は何を……な……なんてはしたない事を。


 ソアラは自分の呟いた言葉に思わず赤面した。



 そして……

 女性だったフレディ王太子殿下ディランに、言ってしまった事を思い出した。


 どうしょう。

 ディランには女性の悩みでもある、の話しなんかもしたのよ。

 だって女性だと思っていたのだもの。


 どんな顔をしてフレディ王太子殿下に会えば良いの?


 ソアラは……

 皆の前でスッ転んだ事よりも、余程それの方が恥ずかしいと思うのだった。




 ***




 鉱山の採掘事業は、前国王陛下の時に発案された事業だった事もあり、会議の場には前政権のウエスト公爵や当時の関係者も呼ばれていた。


 現政権の実権を握る宰相ランドリアは、彼等をこの事業に関わり合う事を嫌がったが。



 当時には携わって来なかったノース政権の面々では埒があかないと、サイラスは彼等を呼び寄せたのだ。


 サイラス国王の王太子時代はウエスト政権であったのだから。



 ドルーア王国とマクセント王国は同じ言語だが、ガルト王国は違う言語だ。


 ガルト王国は元々は色んな部族がその土地にあり、その部族を取りまとめて出来た国だ。

 なので、1つの国なのに色んな言語が存在すると言う。



 ゼット商会の会長の話す言葉は、幾つかある言語の内の1つであるムニエ語である。

 ムニエ語はごく少数の限られた人々が話す言語だと言われている。


 そして……

 そのムニエ語を話せるのはウエスト公爵家の執事だけで。


 ノース政権の面々は誰もムニエ語を話せる者がいない事も、サイラスがウエスト公爵を呼び寄せた理由でもあった。



 会議室にはサイラス国王とルシオ王太子とノース政権の面々がいて、マクセント王国からはフレディ王太子とマクセント王国の宰相達や主要大臣達がいた。


 そこにゼット商会の会長達、ウエスト公爵とシリウス公爵令息と、通訳としてウエスト家の執事がいた。

 当時の宰相であったウエスト老公爵は既に他界している。


 通訳を介しての連日の会議はかなり難航したが、何とか前に進めようとして色んな事が決められて行った。



「 金額は両国から採掘した鉱物の3パーセントは欲しい 」


「 採掘をする間は港を自由に使える為の通行許可書を頂きたい 」


「 ゼット会長はこれでもかなり譲歩をしております 」


 会議の内容を秘書官達が書類に記入し、出来上がった書類が渡されると、各々の大臣達が書類に目を通してサインをして行く。



 そして調印式では……

 サイラス国王とマクセント王国の国王の名代として来ているフレディ王太子との、正式なサインを交わす事で鉱山の採掘事業がスタートする事になるのだ。


 なので、異なった言語では通訳の者の言葉だけが頼りと言う事になる。



 いよいよ会議も大詰めに入った。

 国王陛下や2人の王太子殿下が見守る中、両国の大臣達が書類にサインをしている。



 その時……

 会議室のドアがバンと開けられた。



「 待って下さい! その通訳は正しくありませんわ!! 」


 ムニエ語でそう言ったのは一人の女官だった。










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