第5話 まだ見ぬ婚約者候補

 




 帰城した翌日。

 ルシオはサイラス国王に長期公務の報告に出向いていた。


 報告を終えて国王の執務室から出て帰た所に、ランドリア宰相からこの後エリザベス王妃の部屋に行く様に伝えられ、珍しい事もあるものだと思いながらルシオは王妃宮に向かった。



 ドルーア宮殿には国王宮と王妃宮、そして王太子宮と王太子妃宮の4つの建物があり、夫婦であろうともそれぞれに分かれて住んでいる。

 勿論各宮が広い回廊で繋がっており、それぞれに行き来出来る様にはなっているが。



「 座りなさい 」

 侍女に案内された王妃の部屋のリビングのソファーには、既にエリザベスが座っていた。


 ルシオがこの部屋に入るのは何時振りだろうか。

 部屋に王太子が来た事で侍女達のテンションが上がる。

 カチャカチャとお茶の準備をしている侍女達は、チラチラとルシオを見て頬を染めている。



 若い侍女の多い王妃の侍女は、皆侯爵令嬢達だ。

 彼女達は高位貴族の令嬢だが、行儀見習いとして王妃に仕えている。


 娘を公爵家に嫁がせて公爵と懇意にしたいと願う侯爵達の思惑から、娘を王妃の侍女にしたいと希望する親達が後を立たないと言う。



 侍女達を下がらせると、部屋にはエリザベスとランドリアとルシオの3人だけになった。


 エリザベスから、サウス家のアメリアとイースト家のリリアベルを婚約者候補から外す旨を告げられた。

 その理由も添えて。


 一番の理由である……

 エリザベス自身とノース一族の権力維持の為だとは勿論言わないが。



「 しかし母上…… 」

 2人を婚約者候補から外すだって?


 いきなりの話に……

 ルシオは驚いて手にしていたコーヒーの入ったカップを落としそうになった。


 ずっとアメリアとリリアベルのどちらかを妃にしなければならないと言われて来た。

 彼女達ともそれなりの付き合いをして来たつもりだ。

 どちらかが将来の自分の妻となる存在として。



 ただ……

 彼女達には兄妹みたいな感情しか無いのも事実だ。


 自分ではどちらか1人なんて決められ無い事から、父親である国王に王命として決めて貰うつもりでいた。

 勿論、その王命は母上の意向になるのは承知の上だ。



「 しかし……公爵家が納得をするだろうか? それにアメリアとリリアベルも……彼女達も自分の妃になるつもりでいた筈だ 」

 今更……

 そうですかと言って引き下がるとは思えないとルシオは言う。


「 王家に新しい血を入れる必要があるのは誰でも分かる事ですわ 」

 現に貴方達3人は何処と無く似ていると言って、エリザベスはソーサーを持ち上げてカップに入った紅茶を一口飲んだ。



 そうなのである。

 ずっと妃を4家で回して来た事で、やはり血の濃さを感じずにはいられない。


 3人共に髪は金髪で瞳は青い。

 ルシオの瞳だけは濃紺に近いサファイアブルーの瞳だが。



「 それに……アメリアとリリアベルは貴方と婚約をしていた訳ではありませんから、彼女達を婚約者候補から外しても何ら問題はありませんわ 」

 そう言ってエリザベスは扇子を広げて口元を隠した。


 確かにそうなのだが。

 ルシオは眉間に手を当ててゴシゴシと擦った。



「 新たな婚約者に、ソアラ・フローレン伯爵令嬢を選びました 」

 陛下にお伝えする前に貴方の了承を得ようと思いましたのよと、エリザベスは広げた扇子から目を眇ながらルシオを見つめた。



「 えっ!? もう新しい婚約者候補も決めておられるのですか? 」

 自分のいないこの1ヶ月の間に何があったのかと、ルシオは愕然となった。


 いや、決めたのはこの数日の事なのだが。



「 フローレン家にはもう伝えてありますわ 」

 だから……

 貴方もそれを踏まえた上での行動をしなさいと言って、エリザベスは扇子をパチンと閉じた。



「 フローレン伯爵家のソアラ嬢? 」

 聞いた事が無い。

 今まで紹介された侯爵令嬢や伯爵令嬢は数多くいるが。


 眉間に手を当てたままに、何やら考え込んでしまったルシオにランドリアが言った。


「 殿下、今宵の我が邸の夜会にソアラ・フローレン伯爵令嬢を招待しておりますから、夜会に来て下さればお会いになれると思います 」


 ランドリアは2人の劇的な出会いを演出しようとしていた。

 彼はロマンチストなので。



 夜会での出逢い。

 素敵じゃないか。


 夜会好きな妻がいるせいで、公爵家ではしょっちゅう夜会が開かれているのが功を奏した。



 今宵……

 殿下がソアラ・フローレン嬢にダンスを申し込んで……

 2人は踊りながら恋に落ちる。


 いや……

 殿下が恋に落ちるのは無理かも知れない。


 まだランドリアも実際の彼女を見たわけでは無いが。

 貴族名鑑にあったソアラ・フローレンの姿絵を思い浮かべていた。


 普通の顔の令嬢を選べと言ったのは姉上ですからと、ランドリアはその事には罪悪感が湧くのだった。



 金髪で青い瞳のが、悪い顔をして何やらヒソヒソと話をしているのをルシオは見ていた。


 この……

 仲の良いノース家の姉弟が既に決めた事なのだ。

 母上はまだ候補と言っているが……

 もうこれは決定事項だ。

 父上が母上の言う事に逆らえる筈は無いのだから。


 勿論……

 自分自身も。



 ソアラ・フローレン。

 僕の妃になる令嬢。

 どんな令嬢だろう?




 ***




「 殿下。フローレン伯爵と令嬢は、既に我が館に到着しております 」

 ノース公爵家に到着したルシオをランドリアは出迎えた。

 家人達との挨拶が終わると、ランドリアがルシオに近付いてそっと耳打ちをしたのだった。



 夜会は18時に始まるが……

 王族が参加する場合は、招待客が全員揃った所を見計らった19時以降に会場入りする事が常である。


 この夜も……

 ルシオは19時にノース公爵邸に到着した。



 どんな令嬢だろう?


 そう思うと何だか気持ちが逸る。

 ルシオがこんな気持ちにはなった事は今まで無かった事だ。


 結婚するのは既にアメリアとリリアベルのどちらかだと決められていた事から、今まで恋人を作る事も無かった。

 これだけの美貌を誇りながらもだ。


 人によっては……

 政略結婚が決められているからこそ、独身の間に恋愛を楽しむと言う様な輩もいるが。


 ルシオは真面目で誠実な王子だった。

 妻となる人を大切にしたいと思う男なのである。



 ホールでは……

 アメリアとリリアベルが出迎えてカーテシーをした。


 何時もの夜会ならば……

 ここでアメリアにダンスを申し込み、2人とダンスを踊るのだが……


 もう彼女達は自分の結婚相手では無いと聞かされたのだから、彼女達とファーストダンスを踊る訳にはいかない。


 母上が言っていた……

 それを踏まえた上での行動とはそう言う事だろう。


 まだ何も聞かされていない彼女達を見ると……

 胸がチクリと痛んだが。



 しかしだ。

 今はそれよりも早く自分の未来の妃を見たいと言う気持ちが強い。


 逸る気持ちを押さえてランドリアに尋ねた。



「 ソアラ・フローレン嬢は何処にいる? 」

 ランドリアから渡された資料によると、彼女は20歳。

 宮廷女官で経理部で働いていると言う。


 我が国の女官は、学園時代に優秀な成績で無ければなれない事から彼女は頭が良いのだろう。

 それも経理部なんて……

 余程頭が良くなければ採用されない部署だ。


 そして……

 お金を扱う仕事だから、事務官になる人には誠実さを求めると聞き及んでいる。



 と言うだけで無く……

 頭も良く誠実な令嬢。


 今まで周りにいた令嬢達とは全く違う。

 その存在すらも知らなかった令嬢。


 ルシオは胸が高鳴るのを感じていた。



 ルシオは待った。

 目の前に現れるであろうソアラ・フローレンと言う令嬢を。


 先ずは跪いて挨拶をしようか?

 それともいきなりダンスに誘う方が良いのか?

 踊り終わったら沢山話がしたい。



 しかし……

 ランドリアを見ていると……

 キョロキョロと辺りを見回しているだけで。

 ソアラ・フローレンが見当たらない様だ。


 ランドリアも実物とは会った事は無いと言っていた事から、よく分からないのだろう。

 夜会には令嬢は皆着飾って来るのだから無理も無い。



 ルシオ王太子とアメリア公爵令嬢とのファーストダンスが始まらない事に会場はザワザワとし出した。

 王族が参加してる時は、王族のダンスが終わらないと自分達は踊れないと言う決まりがある。



「 ルシオ様? 体調が悪いのですか? 」

「 昨日帰城されたばかりですものね 」

 アメリアとリリアベルがダンスを申し込んで来ないルシオを気遣う。


 ランドリアがホールから出ようとした所で……

 慌ててやって来たランドリアの執事が彼に耳打ちをする。



「 !? 」

 何か問題があったのか?


「 失礼! 」

 ルシオはアメリアとリリアベルにそう言ってランドリアのいる所に向かった。


「 殿下! 大変です! ソアラ・フローレン嬢は先程帰宅したとの事です。父親のダニエルと一緒に 」


「 何だって!? 」




 ***




 執事の話によると……

 ソアラ・フローレンは流行遅れのとても古びたドレス姿だったと言う。


 その姿なので……

 会場にいる皆からかなりの注目を集めていて。

 それに堪えきれなくなって帰宅したのでは無いかと考えられると報告を受けた。


 それに……

 行き帰りの馬車も辻馬車だったと。



「 ランドリア!! フローレン家はそれ程に貧しいのか!? 」

「 いや、普通の文官の家系と聞き及んでおります 」

 父親のダニエルは真面目でギャンブルなどしない男ですと言って。


 そう言う家族を選んだのですとランドリアは心の中で呟いた。



「 では……我が国の文官はドレス一枚も買えない程の給金なのか? 」

「 いや、そんな事は…… 」

 あたふたするランドリアにルシオは怒りで爆発寸前だ。


 ルシオ王太子は物腰の柔らかい王子だ。

 何時も穏やかな微笑みを浮かべている麗しの王太子殿下。


 彼が怒りに震える姿なんかは見た事が無い。



 私の妃になる令嬢が……

 みすぼらしいドレスを着ていて……


 それを皆から嘲笑されて。

 帰っただと?


 その上……

 フローレン伯爵家には馬車も無いのか?


 可哀想に。



 同情は大きな愛に変わる。


 やんごとなき王太子ルシオの胸は……

 辻馬車に乗って帰って行った可哀想なソアラへの慕情ではち切れそうになった。


 まだ会ってもいないと言うのに……

 いや、会ってないからこそ妄想が炸裂していたのだろう。



「 カール! 」

「 はい! 」

 カールはルシオの秘書官。


 ルシオはカールにある指示をした。




 翌日。

 フローレン家に……


 ドレスや宝石。

 靴やバッグに至るまで沢山の贈り物が届く事になる。

 大きな馬車と2頭の馬と……

 オマケに御者まで付いて。



『 ルシオ・スタン・デ・ドルーア 』のサインが入ったカードと共に。








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