道場訓 二十四   誤解と信頼

 拙者せっしゃは夢でも見ているのか?


 1キロ以上先の異常な光景を見つめながら、キキョウ・フウゲツこと拙者せっしゃは口内に溜まっていた大量のつばを飲み込む。


 まさに異常としか思えない光景だった。


 1000体はいた魔物の9割近くが一瞬にして地面に倒れていったのだ。


「おい、あれはどういうことなんだ!」


「信じられねえ! 800か900の魔物が一瞬でやられたぞ!」


「あいつ、あの無能のサポーターは何をやったんだ!」


 異常な光景にパニックを起こしたのは、当然ながら拙者せっしゃだけではない。


 他の冒険者たちも慌てふためきながら一斉いっせいに騒ぎ出した。


「なあ、キキョウ。お前なら分かるんじゃねのか? あの小僧こぞうは何をしたんだ?」


 直後、一人の恰幅かっぷくの良い中年冒険者が拙者せっしゃに話しかけてきた。


 拙者せっしゃと同じAランクの冒険者のボイド殿どのだ。


「し、知りません……あんな技は見たことがない」


 嘘偽りのない本音だった。


 900体の魔物を手も触れずに倒す技など知らないし見たこともない。


 いや、あれが本当に技なのかも分からなかった。


 最初は魔力マナが0の人間が発動できるスキルかと思ったが、拙者せっしゃが知る限りにおいて手も触れずに相手を無力化するスキルと言えば一つだ。


威圧いあつ〉――対象者を強制的に委縮いしゅくさせる、身体技能系しんたいぎのうけいのスキルしかなかった。


 しかし、あのように何百体もの魔物を一度に戦闘不能にさせてしまうのは〈威圧いあつ〉の力の範囲はんいをはるかに逸脱いつだつしている。


 だからこそ、拙者せっしゃを始め他の冒険者も大いにパニックを起こしたのだ。


 ケンシンは魔物どもに何をしたのか、と。


 同時にこう思った冒険者たちも多かったはずだ。


 本当にケンシンは無能ゆえに追放されたサポーターなのか?


 正直なところ、拙者せっしゃの頭も混乱の極みに達している。


 定期的に送られてくる兄上からの手紙には、ケンシンの勇者パーティー内での無能ぶりが事細かく書かれていた。


 迷宮へ潜る前日には必ず行方不明になっていること。


 サポーターなのに魔物と率先そっせんして闘っている兄上たちに意見すること。


 空手家からてかを名乗っていたにもかかわらず、低ランクの魔物からも弱すぎてけられていたこと。


 それでいて自分を強く見せるためか、常日頃からどこへ行こうと純白の空手着からてぎと黒帯をめていたこと。


 手紙を読むたびに拙者せっしゃは、ケンシン・オオガミという男はヤマト人のはじさらしだと思ったものだ。


 そして、そんなはじさらしをサポーターとして正式登録してしまった兄上たちのパーティーを不憫ふびんにも思った。


 もしもケンシンに出会ったなら、兄上に代わって拙者せっしゃかつを入れてやる。


 そんな気持ちもあって冒険者ギルドでケンシンを見たとき、あろうことかケンシンは非合法な魔薬まやくを使って場を収めようとしていた。


 なので拙者せっしゃかつを入れるのを止めて、あやつを一刀両断いっとうりょうだんするつもりで刀を抜いたのだ。


 けれども、やはり非合法な魔薬まやくを使っていたやからには通じなかった。


「もしかすると、あれはもっと強力な非合法な魔薬まやくの力なのかもしれません」


 拙者せっしゃは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。


「いやいや、ちょっと待てよ。俺も非合法な魔薬まやくを使った奴をダンジョンの奥で見たことはあるが、さすがに低ランクとはいえ何百体もの魔物を一度に手も触れずに倒す奴なんて見たことないぞ。いくら何でもあれはそんな魔薬まやくを飲んだ飲まないで片付くレベルじゃねえ」


 ボイド殿どのが否定するのも無理はなかった。


 ケンシンのした行為は明らかに魔薬まやくを使った力以上の力なのだ。


 それは拙者せっしゃも分かっている。


 だが、そう考えなくては説明がつけられないではないか。


 それとも手も触れずに何百体もの魔物を倒したのは、ケンシンのの力だと言うのか?


 馬鹿な、そんなことは断じてない。


 あやつは……ケンシンは勇者パーティーから追放された無能のサポーターだ。


 兄上が手紙で何度もそう書いていたのだから間違いない。


 だとすると考えられることは一つ。


「ですが、それでなくては説明がつかないのも事実です。きっとあやつは拙者せっしゃらも知らないほどの強力な魔薬まやくを手に入れたのです……きっとそうに違いない」


 拙者せっしゃはボイド殿どのに顔を向けた。


「勇者パーティーのリーダーのキースさんは国王陛下へいかから勇者として認定され、その証として神剣をたまわったと聞いております。ここからは拙者せっしゃ推測すいそくなのですが、キースさんはその神剣以外にも魔物に対して凄まじい力を発揮はっきする特別なアイテムをたまわったのかもしれません」


「それで?」


「そのアイテムをケンシン・オオガミがパーティーから追放されたときに盗んでいたとしたら――」


 どうでしょう、と拙者せっしゃが続きの言葉を発しようとしたときだ。


「王宮にそのような特別なアイテムなど存在していません。そんな代物があるのなら、今回の一件で真っ先に王国騎士団が使っているでしょう。それにそのようなアイテムが仮に存在していたとしても、ケンシン師匠が盗む理由はありません。なぜなら、ケンシン師匠のの力のほうが強いからです」


 拙者せっしゃはボイド殿どのから声がしたほうへ視線を移す。


 そこには小柄こがらな金髪の少女が立っていた。


「お主はケンシン・オオガミの……」


「一番弟子のエミリア・クランリーです」


 小柄こがらな金髪の少女――エミリアは拙者せっしゃたちに対して鋭い眼光を飛ばしてくる。


「エミリア……と言ったな。どうしてお主が王宮の事情について知っている?」


「そんなことはどうでもいいのです」


 エミリアは冒険者として格上である拙者せっしゃたちに堂々と言い放つ。


「私があなたたちに声を大にして言いたいのは、あれは非合法な魔薬まやくの力でも特別なアイテムの力でもなく、純粋なケンシン師匠のの力だということです」


 などと口にしたエミリアに対して、怒りをあらわにしたのはボイド殿どのだ。


「ふざけたこと言うなよ、じょうちゃん。数百体の魔物を手も触れずに倒したのがの力だと? そんなわけあるか!」


 怒りが頂点に達したのだろう。


 ボイド殿どのはエミリアの襟元えりもとつかんでねじり上げる。


 だが、エミリアの表情はどこ吹く風だ。


 Aクラスの冒険者に敵意を向けられているというのに、ひるんだり動揺したりする様子が一切なかった。


 そんなエミリアは次の瞬間、拙者せっしゃが思いもよらぬ行動を取る。


「申し訳ありません」

 

 エミリアは冷静な口調であやまるなり、ボイド殿どのの腹部を右拳で軽く小突こづいた。


 相手にダメージを与えられるか分からないほど「トン」という風に軽くだ。


「グハッ!」


 しかし、結果的にボイド殿どの吐瀉物としゃぶつを吐いてその場に崩れ落ちてしまった。


「な……」


 拙者せっしゃは大きく目を見張った。


 あんな軽く小突いた程度でAクラスの冒険者が気を失うなどありえない。


「これが気力アニマの力……」


 一方のエミリアはボイド殿どのを失神させたことなど気にも留めず、自分の右拳を見つめながら信じられないと言うような顔をしている。


「お、お主……一体、何をした? どうしてあんな弱い打拳だけんであれほどのダメージを与えられるのだ?」


 拙者せっしゃの言葉にエミリアはこちらに顔を向ける。


「詳しいことは私にも分かりません。ただ一つだけ言えることは、この力を目覚めさせてくれたのはケンシン師匠だということです。そして、そんなケンシン師匠は私たち常人には及びもつかない数々の力と技を持っている。あなた方がうたがったような非合法な魔薬まやくや特別なアイテムの存在がかすむほどの力を」


「しかし、あやつは勇者パーティーを追放された無能のサポーター……」


「では、あれを見てもケンシン師匠の力をうたがえますか?」


 そう言うとエミリアは、ケンシンのいる方向に右手の人差し指を差し向ける。


 拙者せっしゃられて同じ方向に視線を移動させる。


 直後、拙者せっしゃは驚きに目を丸くさせた。


 1匹のゴブリン・キングがケンシンに間合いを詰め、巨大な大剣で斬りかかる寸前だったのだ。


 やられる!


 などと拙者せっしゃが思ったのも束の間、ケンシンはゴブリン・キングの攻撃を凄まじいスピードでかわし、鋼の肉体であるゴブリン・キングの肉体に攻撃を叩き込む。


 遠目からでも一発で分かった。


 Aランク冒険者が10人以上集まってようやく仕留められるゴブリン・キングが、ケンシンのたった一打の攻撃で地にしていく様を。


 拙者せっしゃもそうだったが、他の冒険者たちも口を半開きにさせて唖然あぜんとしただろう。


 それほどケンシンのしていることは理解できないことの連続だった。


 だが、エミリアだけは違う。


 ケンシンがAランクの魔物を一人で倒したことにまったく驚いていない。


「あなたたちもよく見ていてください」


 エミリアは拙者せっしゃだけではなく、他の冒険者たちにもよく通る声で言った。


「これから見れるのがケンシン師匠の本当の力の凄さです」

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