道場訓 二十三   伝説の始まり

 俺は冒険者たちの一団から1キロほど先で両足を止めた。


 遠くからは一つの生命体のように魔物どもが押し寄せて来ている。


 その数、およそ1000体。


 常人ならば一瞬で気を失ってしまう絶望的な光景だろう。


 だが、俺の心はさざなみほども乱れない。


 あまりの恐怖と緊張で心が麻痺まひしてしまっているのか?


 答えはいなだ。


 この数の魔物と闘うのはこれが初めてじゃない。


 それこそ半年前のあの闘い――戦魔大戦せんまたいせんでは魔物の数も強さもこれの比じゃなかった。


 しかし、それでも1000の魔物とまともに闘うのはかなり骨が折れる。


 それにまともに闘っていれば、魔狼ワーグやキメラなどの機動力のある魔物を多く取り逃がすことになるだろう。


 そうなると俺の後方にいる冒険者たちに被害が多く出るのは間違いない。


 正直なところ他の冒険者がどうなろうと知ったことではないが、その冒険者たちと一緒にいるエミリアだけは絶対に死なせたくはなかった。


 何と言っても俺がこの国に来て初めて取る弟子なのだ。


 今は俺が覚醒かくせいさせた気力アニマで肉体が強化されている状態だが、それもどれだけ効果が持続するかは俺にもよく分からない。


 だったら一匹でもエミリアに魔物を近づかせないに限る。


 俺は迫り来る魔物どもをにらみつけながら気息きそくを整えると、両足が「ハ」の字になるような独特な立ち方を取った。


 背筋はまっすぐに保ちつつ、拳を握った状態の両手の肘を曲げて中段内受ちゅうだんうちうけの形――三戦さんちんの構えを取る。


 コオオオオオオオオオオオオ――――…………


 そして俺は〝息吹いぶき〟の呼吸法とともに、下丹田げたんでんを中心に全身が光り輝くイメージで気力アニマを練り上げていく。


 直後、俺の下丹田げたんでんの位置に目をくらませるほどの黄金色の光球が出現した。


 それだけではない。


 目に見えた光球からは火の粉を思わせる黄金色の燐光りんこう噴出ふんしゅつし、あっという間に黄金色の燐光りんこうは光のうずとなって俺の全身をおおい尽くしていく。


 相変わらず不思議なものだ。


 目に見えるようになった気力アニマは冷たさも熱さも感じないものの、実際に見えるようになっただけで通常の何倍もの力があふれてくるような気持ちになる。


 いや、実際に今の俺の身体能力は通常よりも十数倍は向上していた。


 この現象が起こるとそれほどの力がき上がってくるのだ。


 気力アニマ顕現化けんげんか


 闘神流空手とうしんりゅうからての基本にして奥義のかた――三戦さんちんと〝息吹いぶき〟の呼吸法をある一定の段階まで練り上げると起こる現象の一つだ。


 世界最大の宗教団体――クレスト教会では〈聖光気せいこうき〉と呼ばれており、この力を発揮はっきした者は神や精霊に選ばれた聖人であるとして尊敬の対象となっている。


「クレスト教会か」


 俺は久しぶりに気力アニマ顕現化けんげんかさせたことで、かつて祖父と一緒に立ち寄ったクレスト教会の本部で出会った一人の少女を思い出した。


 あいつ……ちゃんと聖女になれたのかな。


 クレスト教会のシンボルである聖女になるべく、日々修行にはげんでいた聖女候補こうほたちの中にいた、一人だけ丸々と太った銀髪の気弱な少女。


 確か名前はリゼッタだった。


 聖女になれる素質は間違いなくあったものの、生来の気の弱さとあまりにも優しすぎる性格がわざわいして他の聖女候補こうほたちからイジメられていったっけ。


 などと俺が遠い記憶をなつかしんでいると、魔物どもの群れは俺のいる場所から500メートル圏内に突入してきた。


 おっと、そろそろ本格的に動かないとな。


 俺は再び気を引き締め、魔物どもをキッとにらみつけた。


 そして心中で激しく強く「殺すぞ!」と念じる。


 次の瞬間、俺の念は物理的な威力をともなう衝撃波となって魔物どもに放射されていく。


 すると魔物どもは泡を吹きながら次々とその場に倒れた。


 その数は10体や20体ではない。


 おそらく、900体ほどの魔物が俺の念を受けて戦闘不能の状態になっただろう。


闘神とうしん威圧いあつ〉。


 闘神流空手とうしんりゅうからて初段しょだんから修得できる技術の一つだ。


 一般的なスキルの中には、発動すれば相手を委縮いしゅくさせられる〈威圧いあつ〉というスキルがある。


 だが俺の〈闘神とうしん威圧いあつ〉は名前こそ似ているが、一般的なスキルの〈威圧いあつ〉とはまったくの別物だ。


 なぜなら、俺の〈闘神とうしん威圧いあつ〉はスキルではない。


 あくまでも闘神流空手とうしんりゅうからておさめる過程で会得えとくできるなのだ。


 それでも一般的な〈威圧いあつ〉のスキルよりも威力は格段に上だった。


 一般的なスキルの〈威圧いあつ〉は一人の対象者にしか効力は発揮はっきされないが、俺の〈闘神とうしん威圧いあつ〉は使う人間の強さによって対象者の数は上がっていく。


 そんな今の俺だと低ランクの魔物なら1000体は確実に無力化できた。


 実際、俺の眼前には〈闘神とうしん威圧いあつ〉によって普通のゴブリンやオークなど低ランクの魔物が大量に倒れ伏した光景が広がっている。


 しかし――。


 1000体のうち900体ほどしか無力化できなかったということは、残っている魔物は高ランクの魔物であることを明確に示していた。


 さて、本番はこれからだな。


 ざっと見たところ、


 ゴブリンの上位種じょういしゅ――ゴブリン・キング×18。


 オークの上位種じょういしゅ――オーク・エンペラー×12。


 トロールの上位種じょういしゅ――ジャイアント・トロール×16。


 魔狼ワーグ上位種じょういしゅ――ダーク・フェンリル×14。


 ゴーレムの上位種じょういしゅ――メタル・ゴーレム×17。


 オーガの上位種じょういしゅ――オーガ・カイザー×13。


 キメラの上位種じょういしゅ――エンシェント・キマイラ×7。


 などのAランクの魔物どもが軒並のきなみ残っている。


 しかもあいつらは俺の〈闘神とうしん威圧いあつ〉にまったくおくしていない。


 俺の〈闘神とうしん威圧いあつ〉はAランクの魔物でもある程度はひるむはずなので、それを考えればあいつらの強さはSランクに近いAランクなのだろう。


 俺がそう思ったのも束の間、すぐに残っている魔物の中にくだんの魔物――Sランクのギガント・エイプがいないことに気づいた。


 まだ森の中にいるのか? 


 それとも気が変わってどこかへ行ったのか?


 ジャイアント・エイプの上位種じょういしゅ――ギガント・エイプは知能と戦闘力が恐ろしく高い魔物として有名だ。


 カタコトだが人語も話し、学習能力も高いので人間の戦闘技術を習得している個体もいるという。


 だからこそ、気が変わってどこかへ行ってしまった可能性もある。


 向かった先にある村や街は本当に気の毒だが、そうであるなら少なくとも俺の後方にいるエミリアがギガント・エイプの餌食えじきになることはない。


 だが、あくまでもこれは仮定のことだ。


 もしかすると、俺の思いもよらぬ場所から襲ってくる可能性もあった。


「まあ、そのときは本気で倒すだけだ」


 と、俺が独りごちた直後だった。


「シャアアアアアアアアアアアッ――――ッ!」


 一匹のゴブリン・キングが俺に向かって疾走しっそうしてくる。


 150センチ以下の普通のゴブリンとは違い、最上位の存在であるゴブリン・キングの体格は2メートル強。


 それでありながら鈍重どんじゅうな印象は微塵みじんもない。


 俺は間合いをちじめてくるゴブリン・キングに対して自流の構えを取った。


 左手は顔面の高さで相手を牽制けんせいするかのように前にかざし、右手は人体の急所の一つであるみぞおちを守る位置で固定させる。


 もちろん両手とも拳はしっかりと握り込まず、どんな対応もできるようにゆるく開いておく。


 肩の力は抜いて姿勢はまっすぐ。


 バランスを崩さないように腰を落として安定させ、左足を二歩分だけ前に出して後ろ足に七、前足に三の割合で重心を乗せた。

 

 攻撃と防御の二面にすぐれた、闘神流空とうしんりゅうからて手の構えだ。


 一方のゴブリン・キングは間合いを詰めるなり、俺の頭上目掛けて両刃の大剣を一気に振り下ろしてくる。


 俺はゴブリン・キングの攻撃を完全に見切ると、構えを崩さずに真横に移動して斬撃を紙一重でかわした。


 同時に大剣を持っていたゴブリン・キングの右手に必殺の横蹴よこげりを放つ。


「グギャアアアアアッ!」


 ゴブリン・キングの悲痛な叫びが周囲に響き渡る。


 無理もない。


 俺の横蹴よこげりで右手の骨を粉々こなごなくだかれたからだ。


 けれども骨折程度で済ませるほど今の俺は優しくはない。


 俺は神速の踏み込みからゴブリン・キングの無防備だった右脇腹へ渾身こんしんの突きを放つ。


 全体重と気力アニマの力が合わさった右正拳突みぎせいけんづきが、ゴブリン・キングの右脇腹へ深々と突き刺さった。


 その衝撃は筋肉の奥へと浸透しんとうし――内臓をグチャグチャに搔き乱して――やがて反対側の左脇腹へと突き抜ける。


 数秒後、ゴブリン・キングは大量の吐血とけつとともに地面に倒れた。


「さあ、次はどいつだ?」


 俺は絶命したゴブリン・キングから残りの魔物どもへ視線を移す。


「お山の大将が来るまで俺が遊んでやる」

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