道場訓 二十二   守るべき弟子のために

 遠くのほうに大量の砂埃すなほこりと草葉が舞っていた。


 耳を澄ませば地鳴りのような音もどんどん近づいてくる。


 魔物どもが俺たちという新たな獲物えものを見つけ、一斉に押し寄せて来ているのだ。


「エミリア、お前に一つ課題を与える」


 俺は押し寄せてくる魔物どもをにらみながら、隣にいたエミリアに話しかける。


「か、課題ですか?」


「そうだ。お前にはこの場から逃げることを禁ずる。これから闘神流空手とうしんりゅうからてを学ぶ者の責務せきむとして、師匠と決めた男がどういう闘いをするのかそのまなこに焼きつけろ。それが俺からお前に与える最初の課題だ」


「お主、正気か!」


 突如とつじょ、話を聞いていたキキョウが横槍よこやりを入れてくる。


「この場から逃げることを禁じるだと! それでは魔物どもに囲まれても逃げるなと言うのか!」


「キキョウ・フウゲツ、お前も相当に動揺どうようしているな。魔物どもに囲まれたら、どのみち逃げられないだろうが。それに敵前逃亡は死罪……だろ?」


「確かにそうだが……それでも逃げるなとはあまりにも」


 こくではないか、とキキョウが口にしようとしたときだ。


「逃げません」


 エミリアはきっぱりと答えた。


「ケンシン師匠がそう言うのなら、たとえ何十の魔物に襲われようとも絶対に逃げません。私はケンシン師匠の弟子になると決めたのですから」


 そう言いながらもエミリアは怖くて仕方がないのだろう。


 気丈きじょうに振る舞ってはいるものの、目線を下げれば両膝が震えている。


 けれども、俺に伝えた言葉に嘘偽うそいつわりはなかった。


 俺を見つめてくるエミリアの目の奥には、俺を心の底から信じている信頼の光がはっきりと輝いていたのだ。


 このとき、俺は初めてエミリアが愛おしいと思った。


 恋心からという意味ではなく、これから闘神流空手とうしんりゅうからての技を伝える弟子として愛おしいと思ったのだ。


 同時に俺は決心する。


 絶対にエミリアだけは死なせはしない、と。


「エミリア、右手のてのひらを出せ」


 俺がそう言うと、エミリアは素直に右手のてのひらを出してくる。


 すぐに俺はエミリアの右手のてのひらに、自分の右手のてのひらを上から重ねた。


 直後、俺は自分のてのひらのほぼ中心にあるツボ――労宮ろうきゅうからエミリアの労宮ろうきゅうを通して一気に気力アニマを流し込んだ。


「あっ!」


 エミリアは身体を震わせながら全身を大きくけ反らせる。


 しかし、それも一瞬のことだった。


 すぐにエミリアは普通の状態になり、自分の右手のてのひらを見つめる。


「俺の気力アニマの一部を流し込まれてどんな感じだ?」


 エミリアは自分の右手のてのひらから俺に視線を移してきた。


「ち、力が……身体の底から今まで感じたことのない力があふれてきます」


 やはり、エミリアには気力アニマを使いこなす才能があるようだ。


「具体的に身体はどんな状態になっている?」


「状態……ですか?」


「たとえば身体が熱くなっているとか、逆に寒くなってるとかだな。他にも身体の反応として全身の軽いしびれや、身体が異常に重く感じるとかがある」


 俺の質問にエミリアはすぐに答えた。


「私は身体の中が光っているような感じでしょうか……いえ、もっと具体的に言うのなら、握りこぶしほどの大きさの光の玉が全身を駆け巡っているような……そんな感覚がはっきりとあります」


 これには俺も驚いた。


 エミリアは強引に気力アニマを引き出されたにもかかわらず、いきなり体内に光を感じるという最高位の感覚を感じたのか。


 気力アニマとは生まれたときにそなわっている魔力マナとは違い、気力アニマを使える師匠の元で修行して会得えとくしていく後天的な力のことだ。


 その気力アニマを開発する最初の段階として、今の俺がやったように互いの右手のてのひらのツボ――労宮ろうきゅうから一方的に気力アニマを流し込むという行為がある。


 もちろん、流し込む気力アニマの量は調整しないといけない。


 気力アニマに耐性のない人間の体内に一定以上の気力アニマを流し込んでしまえば、下手をすれば流し込まれた側は心身を害して死に至ってしまうからだ。


 けれども適切な量を流し込まれて気力アニマを開発された人間には、成功した証として〈八触はっしょく〉と呼ばれる効感反応こうかんはんのうが起きる。


 酸気感さんきかん―――身体がだるく感じる。


 冷気感れいきかん―――身体が寒く感じる。


 熱気感ねっきかん―――身体が熱く感じる。


 張気感ちょうきかん―――身体にりを感じる。


 麻気感まきかん―――身体にしびれを感じる。


 大気感だいきかん―――身体が重く感じる。


 小気感しょうきかん―――身体が軽く感じる。


 光気感こうきかん―――身体に光を感じる。


 という八つの感覚だ。


 そしてこの効感反応こうかんはんのうの中でもっとも気力アニマが開発されたことを示すのは、身体に光を感じる光気感こうきかんという現象が起きたときだ。


 他の七つの感覚のときには肉体自体に変化はないものの、光気感こうきかんを感じたときの肉体は一時的だが恐ろしく頑強がんきょうになる。


 どれぐらいかと言うと魔法使いの〈身体強化ブースト〉の魔法が、それこそ児戯じぎかと思うほどには肉体の強さが筋量とは関係なく強くなるのだ。


 エミリア本人はまだ自覚していないだろうが、光気感こうきかんを感じている今ならオークやゴブリン程度の攻撃をまともに受けても致命傷ちめいしょうになることはないだろう。


 しかし、万が一ということもある。


「エミリア、先に謝っておく。もしも痛かったら許してくれ」


 俺はそう言うと、「何をですか?」と訊き返そうとしたエミリアにそれなりの力を加えた横蹴りを繰り出した。


 左足の足刀そくとうの部位がエミリアの腹に食い込み、そのままエミリアの身体は見えない糸に引っ張られたように数メートルも吹き飛んだ。


 やがてエミリアの身体は何度も転がりながらようやく止まった。


「この外道が! 女子おなごに対していきなり何をするか!」


 キキョウは俺がとち狂ったと勘違いしたのだろう。


 今にも大刀で斬りかからんばかりに全身から闘気を放出する。


 だが、俺はそんなキキョウを無視してエミリアに声をかけた。


「エミリア、どうだ? 少しでも痛みを感じるか?」


 数秒ほど経ったあと、エミリアは勢いよく跳ね起きた。


 そしてエミリアは信じられないといった顔で自分の身体を見回す。


「全然、痛くありません。蹴られた場所も地面に打ちつけた場所も……どこも痛くありません」


 俺は心中で大きくうなずいた。


 どうやら光気感こうきかんによる肉体の強化は十分に発揮はっきされているようだ。


「驚かせてすまなかったな、エミリア。だが、これでお前の肉体は気力アニマによって強化されていることは分かっただろ。だから、魔物に襲われたら遠慮はするな。今のお前は中ランク程度の魔物に対してはほぼ無敵だ。今まで修練した拳と自分の気力アニマを信じて存分に闘え」


 直後、俺はエミリアから魔物どもに視線を移す。


「俺も俺の役目をしっかりと果たしてくるからな」


 俺はエミリアから離れると、ゆっくりと魔物どもに向かって歩き出した。


「じゃあ、一番槍いちばんやりを務めに行ってくる。あとは任せたぞ」


「け、ケンシン師匠!」


 不意に俺は立ち止まり、顔だけを後方に振り向かせた。


 何か言いたそうなエミリアと目が合う。


「あの……その……こういうときに何とお声をかければよいのか」


 俺はフッとエミリアに笑みを向ける。


「馬鹿だな。お前も武人ぶじんはしくれなら、こういうときに伝える言葉は一つしかないだろ?」


 しばし考え込んだエミリアは、やがて俺にかけるべき言葉を思い出したようだ。


「ケンシン師匠――ご武運ぶうんを!」


 そうだ、戦地せんちに向かう武人ぶじんにかける言葉なんてそれしかない。


おう!」


 俺はエミリアのはげましを受け止めると、一番槍いちばんやりの務めを果たすため、勢いよく大地を蹴って駆け出した。


 闘神流空手とうしんりゅうからて、ケンシン・オオガミ――いざ、して参る!

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