第46話 どくしょ ②
『泣き顔』
不気味な男だと、私は思った。
髪は短めで、白いシャツを着ている。
そのシャツは所々汚れており、しかもいかにも安っぽそうな服だったので、余計に汚く見えた。
十中八九、貧乏人かのだろう。
こういう時は無視、無視。
「こんにちは」
しかし、突然挨拶した。
びっくりして男を見ると、男はこちらをじっと見ていた。瞳を動かさずに、ずっと。
「あ……こんにちは」
そう言うと、男は口を半分開いた。そこかは涎が垂れそうになっている。気味が悪かったなので早く立ち去ろうと思った。
しかし、その時、会社に忘れ物をしてしまったことに気づき、踵を返した。しかし、
ドンッ!!!
大きな衝撃音と共に私は尻餅をついてしまった。謝ろうと見上げるとびっくり。
その少年はこちらを見下すような目をしていた。なぜそんな顔をしたのか、後にも先にも理由は分からない。
でもあえて言うなら、私が謝るタイミングを逃してしまったからなのか。
その子は、私の腕をガッとつかみこう言った。
「どうして……謝らないんですか」
「え?」
何だ? 何のことだ? どうして今、謝罪の単語が出てくる。
「人にぶつかったら謝る。そんなの、幼稚園児でも分かるのにどうしてあなたたちには分からないんですか」
なんだ……何かがおかしい。こいつを取り囲む空気。そしてこいつ自身が何かおかしい。
黙っていると、彼は拳を握りしめて震え始める。顔を上げると沸騰するほど真っ赤。ゆでだこのように染まり、人喰い鬼の様な憤怒の顔面が飛び込んでくる。
しかし、一つ違うのは涙を流していることだ。なぜ彼が涙を流しているのかは、最低でも、今の私には分からない。
「なん……で……なんでこうなんだ……なんで、みんな……なんで、なんでなんで、なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで」
こいつはまずい。完璧に正常な人間じゃない。同じ言葉を繰り返したかと思うと、その言葉で咆哮をうねり上げる。
まるで野犬の遠吠え。敵意に鋭気を入れているようであった。
いや、こんなこと考えてる場合じゃ無い。
すぐさま俺は逃げ出した。何も言わずに。
思えば、これで運命が決まってしまったのかもしれない。
ギロリと男は目を向ける。
「やっぱり、あなたもみんなと同じだ。僕を馬鹿にしているんですね!!」
駆け出したのが分かる。
足音が鼓膜を震えさせる。
ありえない、彼はまだ後ろにいるはずだ。
だけど、なぜだ、なぜこんなに走る音が大きく聞こえる。まるですぐそばまで来ているように。
街灯で影が出来るので見ると仰天。
奴の影が、私の影をすっぽり包み込むほど大きく、近くに見えるではないか。
まさかと思い少し振り向いたら、それを奴は待っていたようだ。
どこから持ってきたのか大きな岩を思いっきり顔に。あまりの激痛に私は死にかけのネズミのような声で叫び、のたうち回る。
しかしその内、奴に抑えられて顔面を一発殴られた。意識が飛びそうだ。
「最後に質問します。貴方は、しゅんしゅん、と呼ばれていませんでしたか?」
途端、脳に電流が走ったように記憶が蘇る。なんでこいつが、まさか、こいつは……
「やっぱりお前かああああ!!!」
その言葉が最後に聞く言葉だった。
彼は今も泣いているらしい。
私にはもう分からない。
「なんだこれは」
おっと、思わず声が出てきてしまった。
話が滅裂すぎるぞ。最後は何と言ったか分からないし、なんだか駆け足気味の話だ。
俺の方が書けるんじゃないか?
いや、それよりも何だ? 『しゅんしゅん』とは。どこかで聞いたことがある呼び名だ。
テレビか? いや芸能人というわけでも無いし、俺にそんな渾名の知り合いなんていたか? いたとしても大分、古い。
もしかしたら、小学生か幼稚園の頃に……参ったな。俺はその頃の記憶があやふやだ。
中学生の時ですらあやふやだ。
まあ、あいつと友だちだったことは覚えているが。
なんというか、過去に生きる気はない。
やはり人は未来に行かなければダメになるからな。過去を振り返るなんて暇は無いし、そんな暇があってはならない。
そういえば、この台詞は誰かから聞き覚えがあるな。誰かは分からないが。いかんな。色々と記憶が途切れている。
あ!! そう言えば中学生の頃に、俺の友だちに「運動できない奴とか全員死ねよ」とか言っている奴いたな。たしか、名前は順一だったか?
あれ絶対、今だと過激発言だろ。
懐かしいなぁ、みんな苦笑いだった。
それにしても、こういうのを見ると少しずつ思い出してきたかもしれない。
まあいいか、まだ原稿用紙があるし。
それも見よう。
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