14.原石は磨かれてこそ

「私たちの名前が知りたい?」


 夢の中の〝彼女〟は、首を傾げて笑った。


「ごめんなさい、それはできないの。もちろん、貴方が私の夫になったなら、教えるのもやぶさかではないけれど」


 夢と眠りの女神。柔らかな日差しの当たるバルコニーで、彼女は手すりに寄りかかった。眼下には美しい庭園が広がっていたはずだが、それが霞むほど可憐だった。

 緩くうねり、腰まで流れる澄んだ水色の髪。薄紫の瞳はどこか茫洋ぼうようとしていて、彼女が司る眠りの世界を思わせた。


「名前を教えるのは、特別なときよ。神同士だって、家族以外の名前を知っているのは、滅多にいないわ」

「恋人でも、ですか?」

「あら、まさか、自分が私の恋人だとでも言いたいの?」


 慌てて否定すると、彼女はくすくす笑って、「冗談よ」と悪戯っぽく片目をつむった。


「まあ、そんなことを気にしないで名乗る神もいるから、一概には言えないけれど……。恋人では、不十分ね。夫婦の契りを交わさなくちゃ」


 それに――と、彼女は身を起こし、こちらへ向き直った。


「私たちばかり責めて、貴方はどうなのかしら? 境界の森の番人さん。まだ、貴方の名前を聞いたことがないのだけど?」

「……実は、忘れてしまいました」

「どうして?」

「誰も呼ぶ人間がいなかったので。幼いころは……父が生きていたころは、呼ばれていた記憶もありますが」

「それなら簡単じゃない。うちには、魔法を司る女神がいるもの。思い出させてもらえばいいのよ」


 名案ね、と弾む声は、どこまでも柔らかく、優しい。

 ああ、だから、勘違いしてしまったのだ。

 

「明日、百日目を越えたら。私たちみんなで、名前を教え合いましょう。約束よ」


 ――あちらも、自分を好いてくれているなんて、そんなことを。




 薄闇のなか、テオドアはふっと瞼を上げた。

 見慣れない内装に頭が混乱しかけて、すぐに思い出す。

 

 昨晩は、光の女神・ルクサリネのご厚意で、彼女の屋敷に泊まらせてもらっていた。もちろん客室である。

 なんとなく、女神付きの使用人たちは、みなテオドアを警戒している節があった。視線の端々がちくちくしているのだ。


 特筆すべきは、男性使用人が見当たらないこと。


 ゆえに、男である自分が警戒されているのだろう。そう当たりをつけて、テオドアは用意された客室に速やかに移動し、部屋から一歩も出ずにさっさと寝ることで、「万が一はない」という意思表示とした。


 それにしても。


「懐かしい夢だったな」


 夜明けが近いのか、窓の外はうっすらと明るくなっている。

 久しぶりに、前世に関する夢を見た。記憶を思い出した幼子のころは、しょっちゅう夢に出てきていたが。年を重ねるにつれ、その頻度は減っていた。

 ――昨日、ルクサリネさまと、前世のお話をしたせいだろうか。


 もう、踏ん切りがついたと思っていた。過去は過去と割り切れているものだと。

 しかし、それは驕りだった。

 無意識のうちに、あの女神たちのことを考え続けていた。その事実を突きつけられた。「自分が〝依代〟候補に相応しくない」と思う根拠に、女神たちを挙げたのもそのひとつ。

 忘れることなど、できなかったのだ。


「でも……もう、あの方たちは幸せになっている」


 そうだ。彼女たちはもう、こちらのことなどすっかり忘れているだろう。

 前世のテオドアが死んだすぐあとに、同じように三柱に求婚した者が現れたか。自分が気がつかなかっただけで、同時期に試練を受けた者がいたのか。

 それとも、もっと前から――


「……考えても仕方ない。終わったことだ」


 そう思うはずなのに、どこか虚しいのは何故だろう?


 テオドアは自らの頬を軽く叩き、寝直そうとして再びシーツに潜り込む。眠りさえすれば、少なくとも一瞬だけでも、忘れられると思ったのだ。

 しかし。


 突如として、部屋の扉が、力強く叩かれた。


「!?」


 跳ね起きて、扉のほうを窺う。扉は間断なく叩かれ続けている。どうやら、初めから、こちらを起こすつもりでいるらしい。

 テオドアは慌てて返事をした。


「は、はい! お、起きました!」

「――候補者さまですね」


 静かな声が、向こうから返ってきた。なんとなく聞き覚えがあるが、誰だろう――と記憶を探るより早く、扉が勢いよく開かれた。


 立っていたのは、五人の女性使用人たち。

 そのうちの三人は、昨日、応接間から追い出されていた使用人だった。


 彼女たちは、寝台の上で身を起こしているテオドアを確認すると、互いにうなずき合う。

 

「早朝に申し訳ございません、候補者さま。今から私たちについてきていただけますか」


 疑問の形を取っているが、有無を言わさぬ圧がある。ほぼ強制の域だ。


「え……?」

「候補者さまをお連れして」


 困惑して動けないテオドアに痺れを切らしたか、筆頭の使用人が、他の四人に指示を出す。テオドアはあっという間に囲まれて、両腕を抱えられて連行されていく。

 

(いや、どこに!?)


 暴れて抜け出すことも可能だろう。しかし、仮にそうできたとしても多勢に無勢。今度は無理にでも拘束される可能性が高い。

 筆頭の使用人が、屈んでこちらと目を合わせ、微笑んだ。

 ――目が笑っていなかった。


「さあ、向かいましょう。候補者さま。へ。……ふふふふ」

(こ、こ、こ、殺される――!!?)




 無事だった。

 しかし、なんだか、ものすごく疲れた。


(……精神的に疲れた……)


 昨日も通された応接間にて、椅子にぐったりともたれ掛かっている。行儀が悪いのは百も承知だが、態度を取り繕おうという気すら起きなかった。

 それくらい、目まぐるしかったのだ。


「ずいぶんと見違えたじゃないか」


 ルクサリネが笑いながら現れる。ついてきた精霊たちは、やはり部屋には入らず、廊下で一礼して去って行った。

 テオドアは、椅子に沈んだまま女神を見上げた。若干、恨みの籠もった視線になってしまったと思うが、仕方のないことだろう。

 

「貴女のご命令ですか?」

「ああ。協力する、と言ったからな」


 テオドアの姿は、すっかり変わっていた。

 切らずに放置されていた髪は、綺麗に短く切られ、良家の子息らしく整えてある。

 服装も、本物の金糸で縁取りがされた豪華な上着と、肌触りの良い絹のシャツ、シンプルだが仕立ての良いズボンと――この一式だけで、母と自分が何ヶ月暮らせる金額になるだろう。

 綺麗に磨き上げられた靴も、自分の足にぴったりなのが恐ろしい。いつの間に測られたんだ。


「急に別室に連れて行かれて、何事かと思いました」

「あの精霊たちも、お前を監視したいようだったからな。一石二鳥だと思って頼んだが、予想以上の仕上がりだ」


 ルクサリネは立ったまま、テオドアの頭のてっぺんからつま先までを眺める。使用人の手際の良さに関心しているのだろうか。

 それはそうだろう。彼女たちの気迫は凄まじかった。服の選定から始まり、テオドアの髪を「短く切る」か「整えるだけに留める」かですら、熾烈な舌戦が行われた。

 結局、「髪を短く切る派」が勝利し、テオドアの髪はばっさり切り落とされたのだが。

 

 ……女性たちの、あの、着飾ることにかけての情熱はなんだろう。

 こればかりは理解不能だ。

 

「ところで、お前、どうしてそんなに疲れている?」


 と、ルクサリネは不思議そうに言いながら、テオドアの向かいの椅子に腰を下ろした。

 それから、合点が行ったように、「ああ」と声を上げた。


「なんだ、お前も隅に置けないな。精霊の誰かとになりでもしたか。まあ、思い切り洗ってやれと言ったのは私だ。互いに裸になればそれ相応の感情が芽生えるもの。それについて咎めはしない」

「違います!!! 服の選定とお風呂のいざこざで気疲れしたんです!!!」


 これはもう、声を大にして言いたい。

 この服に決まったのも、三時間ほどくるくる着せ替えられた後だった。

 しかも、それ以前に、「お身体を綺麗にいたします」と言って聞かない使用人たちと、テオドアの尊厳をかけた攻防を繰り広げている。

 

 自分の屋敷の使用人は、一度断っただけで諦めてくれたが、ここの使用人たちはとても粘り強かった。

 

 結局、なんとか自分一人で洗うことを許可されたけれど。浴室の外から「よく洗いましたか?」と聞かれるたびに、びくびくしていた。

 いつ入ってくるか分からなかったからだ。実際には、そんなこともなく、無事に浴室から出ることができたのだが……。

 

 というか、もしこれで拒絶しきれていなかったら、みんな裸で入ってきたのだろうか。ルクサリネの口ぶりからして、そういう意味にしか取れない。


 女神は、テオドアの叫びを聞いて、つまらなそうに目を細めた。


「なんだ。てっきり、そういう疲れなのかと思ったんだが」

「ルクサリネさまは、僕にどうなって欲しいんですか……?」

「お前も健全な男だ。身体は少し幼いが、精神はそうだろう。私にまったく興味を示さないから、精霊のほうが好みかと」

「例え好みだったとしても、いきなり襲いません! 健全な男ならなおさらです!」


 きっぱり宣言したものの。

 もしも「裸の付き合い」が実現していたら、襲いはしないまでも、生理的現象のに恥ずかしい思いはしただろう。と、頭の隅の冷静な部分ではそう考えた。


「……しかし、それではこの先、困るのはお前だぞ」


 女神は、つまらなそうな顔のまま、テーブルに片肘をついた。


「どういうことですか?」

「いいか。お前が思う以上に、『〝依代〟候補』という身分は、大きな意味を持つ」


 ルクサリネ曰く。

 〝依代〟候補とは、裏を返せば「女神に選ばれた男」だ。

 つまり、相応の魔力と優秀さは保証されている。それを逃す手はない。少なくとも王家は、この逸材を逃しはしないだろう。

 例え、自国の候補者が〝依代〟にならなかったとしても、臣下として取り立てて重宝する価値は充分にある。


 加えて、王家に、年ごろの娘がいたならば――


「なんとしてでもお前と結婚させようとするだろうな。お前の国では、複数の妻を持つことは咎められない行為なのだろう? ウブなままでは、この先大変だぞ」

「……歴代の、元候補は、みんな?」

「聞きたいか? 私も詳しくは知らないが、まあ……盛んな奴が多いな、とだけ言っておこう」


 話すうち、女神も機嫌を取り戻してきたようだ。

 笑みを浮かべ、姿勢を戻して、こちらを見る。

 それから、両手を頬の高さまで掲げ、パンパンと打ち鳴らした。


 まるで、誰かを呼ぶように。


「ちなみに、だ。〝依代〟候補を、すべての国の王族を集めて披露する場があるんだが」


 途端、一斉に入り口から使用人たちが入ってきて、てきぱきと準備をする。

 長いテーブル、白いテーブル掛け、たくさんの料理、ぴかぴかのカトラリー。応接間はあっという間に、第二の食堂へと様変わりしていった。


「お前は、公式の場での振る舞いも知らなかったな。……大丈夫、披露の会が催されるまで、一週間ある。それまで、私が、振る舞いを教えてやろう」


 未来の花嫁候補に好かれるためにもな、と、楽しげに言うルクサリネとは裏腹に、テオドアはがっくりと項垂れた。


 しばらく解放されそうにないのが、分かってしまったからである。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る