13.落ちこぼれ候補の訴え

 どうして僕は、ここにいるんだろう。

 手ずからお茶を注ぐ、白くたおやかな手を眺めながら、テオドアはじっと考えた。


 自らの屋敷の屋上で、女神に〝前世〟のことをお話しした――そこまでは良かった。

 しかし、さらに言い募って、「自分は〝依代〟候補に相応しくない」と続けようとしたのを、女神は手でゆるく制した。

 仕草は優しいとはいえ、有無を言わさぬ圧があった。


「込み入った話が、誰かに聞かれても困る。あとのことは私の屋敷で」


 そうして連れてこられたのが、彼女の屋敷。もはや城と言っても差し支えない豪邸だった。

 高くそびえ立つ尖塔を目にしながら、恐る恐る玄関から入る。玄関ホールにずらりと居並ぶ使用人たちと、なるべく目を合わせないように下を向いて、女神についていく。

 彼女はテオドアの先を、特になんの感慨もなく歩いていた。


 内装は、屋敷の外観のいかつさとは打って変わって、とても上品で落ち着いた雰囲気だった。女性が好む家具や調度品などにはとんと疎いが、よく統一されている。

 女神の好みが、なんとなく分かるくらいだ。彼女は黒と金、差し色に白が入った家具が、好きらしい。


 などと考えていると、あっという間に、応接間であろう部屋に案内された。


 応接間に侍っていた、女性使用人たちのピリピリとした視線を感じつつ、テオドアは勧められるままテーブルの前に座った。

 差し向かいに女神も腰掛ける。それから、お茶とお菓子を用意しようとする使用人を遮り、ポットをやんわり奪い取った。


「候補者は私がもてなす。お前たちは下がっていい」

「し……しかし」


 一人の女性使用人が、テオドアのほうを窺った。女神と二人きりにするなんて、と思っているのだろう。

 女神は微笑み、重ねて言う。


「私がもてなす。……まさか、私が人間に遅れを取るとでも?」

「……失礼いたしました」


 使用人は渋々膝を折り、丁寧に一礼をした。他の使用人と目配せ合って、応接間を辞していく。

 女神は軽く目を閉じて、静かに座したままだ。まるで、二人以外の気配がなくなるのを待っているかのように。

 やがて、彼女たちの足音も消え、辺りがしんと静まり返ると、女神はゆっくり瞼を上げた。


「喉が渇いているだろう。嫌いじゃないなら飲むといい」


 そうして、女神は立ち上がり、手ずからお茶を注ぎ――今に至る。


 テオドアはぎこちなくカップを掴み、ひと口飲んだ。味の良し悪しは分からないが、ちょうど飲みやすい温度であることは分かった。

 女神は、テオドアの様子をつぶさに眺め、カップを置いたタイミングを見計らって口を開いた。


「それで? 先ほどはなにか、言いかけていたように思うが」


 たった今潤したはずなのに、緊張ですぐに喉が渇いてしまう。

 テオドアはごくりと唾を飲み込んだ。


「……め、女神さまにこのようなことを申し上げるのは、とても、失礼なことだと分かってはいるのですが」

「ルクサリネ」

「え?」


 歌うように声が挟まれ、テオドアは虚を突かれて言葉を切る。

 女神は、「ああ、悪い」と、テーブルに肘をつき、手をひらひら振った。


「ルクサリネ。私の名だ。お前は私以外に、女神を三人ほど知っている。区別をつけなくてはややこしいだろう」

「ルク、サリネ……さま」

「ふふ、ぎこちないが、まあ良いだろう。及第点だ。人の目が無いときは、真名で呼ぶことを許す」


 話を遮ってしまったな、続けてくれ。

 光の女神・ルクサリネはそう言って口を閉じた。「口を挟まない」という意思表示なのだろう、口元を軽く片手で覆う。

 テオドアは、一度深く息を吐いてから、言った。


「……僕は、〝依代〟候補に相応しくありません。ですから、その、辞退させていただきたいのです」


 女神は、目線だけで続きを促した。

 どうやら、今すぐに怒り狂う、ということはせず、最後まで聞いてくれるつもりらしい。

 心臓が強く鼓動している。皮膚を破って飛び出てきてしまいそうだ。テオドアは、はやって早口になりそうな口をなるべく抑えつつ、続けた。


「僕は、前世、女神さまたちに無礼を働きました。お三方が並ならずご気分を害されたのも、明らかです。前世の僕は、神獣に噛み殺されましたから――」


 母の語っていた昔話で、「愚かな男」は神獣に殺された。

 テオドアの記憶でもそうだ。三女神が従えていた、牙を持つ神獣が、こちらの喉笛に噛みつこうとした――そこで、前世の記憶はぷっつりと途切れている。


 九十九日を通い続けた前世のテオドアと、女神たちの居城を守る神獣は、少しずつ仲良くなっていた。

 初めはひどく警戒され、なんなら彼自身が「試練」になっていたこともあったが、日を経るごとに打ち解けていった。


 少なくとも、前世のテオドアはそう思っていた。


 その彼が、百日目にいきなり襲ってきた理由は、女神の命令以外に考えられない。

 神獣は、神に従うものだからだ。


「一度死んだとはいえ、その記憶を持って生まれ変わった僕が、どうして〝依代〟候補にふさわしいと言えるでしょう。まして、僕は今まで、魔力なしとして育ってきました。他の候補者とは……比べるまでもなく、弱いです」


 セブラシトの言っていたことは、嫌味だが、正論でもある。

 テオドアは弱い。魔力の扱いも知らず、剣も振るえず、魔法のひとつも分からない。知識もなく、経験もない。これでは、五人で相争っても、一人だけすぐに脱落してしまうだろう。

 前世で三柱の女神の試練を潜り抜けたとはいえ、あれはあくまで「一人で知恵を絞る余裕があったから」できたことだ。


 他人を蹴落として上に登るには、また別の才能が必要なのである。


「僕には、王国を背負うだけの覚悟も実力もありません。どうか、〝依代〟候補をもう一度、選出し直していただけないでしょうか」


 そう言って、頭を下げる。

 ルクサリネは、暫し沈黙し、ややあって「顔を上げなさい」と短く命じた。


「覚悟や実力を得るための努力をするつもりはないと。三人の女神が怒っているからもう関わりたくないと、そう言いたいんだな?」

「っそ、そういう、わけでは!」


 いくらなんでも聞き捨てならない。勢いよく顔を上げると、ニヤニヤ笑う女神と視線がかち合った。


「冗談だ、分かっている。しかし、そう取られても仕方がない。お前の今の言い方ではな」

「それは……」

「第一、辞退の理由をどう説明する? 辞めます、はいそうですか、で、神殿が許すはずもない。既にお前の名は、候補者としてすべての国に通知されている。前世のことを含めて、あらゆる場所に洗いざらい話すか? 話したとして、その理由では瑕疵かしにもならない。お前は候補者のままだ」

「……」

「お前の言いたいことも、分からないではないがな」


 テオドアは俯き、膝の上の拳をぐっと握った。

 どこかで、分かっていた。

 そう簡単に、女神の決定が――女神自身でさえも――覆せないのは。それでも、一縷の望みに賭けずにはいられなかった。


 怖気付いていると言われれば、確かに、そうだろう。

 死ぬと分かっているのに、ただ諦めて受け入れられるほど、テオドアはできた人間ではないのである。


「まあ、ただ断るだけなのも酷だ。お前が前向きになれるように、二つほど話をしよう」


 女神は立ち上がり、テーブルの横をすり抜け、窓辺まで歩いて行った。

 テオドアは顔を上げ、小さく首を動かして、それを追った。


 レースのカーテンの向こうで、月が煌々と輝いている。

 月光を背に、ルクサリネは振り返った。


「ひとつ。いくら神とはいえ、よほど注意深く観察しない限り、人間の魂の区別はつけられない。例外に、魂を司る神はいるが、あれは冥界に引きこもってばかりだ。まず会わない。三女神の前に、お前が何食わぬ顔をして出て行っても、見咎められはしない。どんなに憎まれていたとしてもな」

「……」

「ああ、先ほど私が、お前の魂から神の気配がする、と言ったのを気にしたか? 逆に考えろ、。ましてや、その三女神は、最高神の亡きあとに生まれた女神だ。まだ若い。魂の気配など、まず分からないだろう」


 目の前の女神が、いつから存在するのかはわからないが。口ぶりからして、千年以上も前、まだ最高神が生きていたころに生まれたのだろう。


「二つ。お前の実力不足だが、そこまで嘆くものでもない。要は、この戦いを生き残るだけで良い。そうすれば、〝依代〟は別の人間が成り、お前は胸を張ってアルカノスティアへ帰ることができる」


 そこでルクサリネは、「だが」と声を低くした。


「手抜きは許さない。お前には適度に戦い、適度に場を掻き回してもらいたい。あわや〝依代〟の座に迫るか、というところまで行ってほしい」

「……どうしてですか?」

「簡単だ。……近ごろの〝依代〟は、たいへんが悪い」


 彼女は窓枠に寄りかかり、ふう、と物憂げに溜め息をついた。

 その仕草すら、こちらが少しでも気を抜けば、一気に惹き込まれてしまいそうなほど美しかった。


「魔力がずば抜けて高く、若いうちから重要な役職に就く者が、〝依代〟に選ばれるのだと。そう考える者が、数百年前から増えてきた。権威を盲目的に信奉する人間たちだ。どの国にも、その思想は蔓延していった」


 テオドアは、自身の異母兄たちや、セブラシトとデヴァティカのことを思い出した。

 自身に力があることを自覚し、それを過度に誇り、周囲の「格下」をことごとく軽視する。

 きっと、そのような人々は、どこの国にもいるのだろう。


「加えて、〝依代〟になれば世界を意のままに操れると、勘違いする者もいる。先代の〝依代〟は酷いものだった。『ハーレムを作ろうと思っていたのに、当てが外れた』と言って五年は暴れていた」


 結局、そいつ一人では、世界の均衡を百年も保たせられなかった。最後の数年など、……今もだな。神々私たちが持ち回りで、足りない魔力を神気で補ってやっている。……まあ、そいつ以外の候補も、みな似たようなものだったから、誰が選ばれていても同じだったか。

 そこまで言い切って、ルクサリネは、テオドアの顔を見た。


「〝依代〟はそう単純なものではない。だが、百年ごとに千年、同じ儀式を何回も繰り返せば、人間の側にもが来る。そこで、お前だ」

「僕?」

「知識もない。魔法も知らない。魔力の操り方を知らない。そんな者が、必死に食らいついてきたらどうなる? 他の四人は大いに焦る。本人たちにその意図がなくとも、真剣に切磋琢磨し始めるわけだ」


 つまり、みんなが切磋琢磨するためのきっかけになってほしい、ということか。

 テオドアはそう解釈した。したが、やはり、浮かない気分のままである。


「それは、でも、一定以上の実力があるからこそ、できることでは……?」

「問題はない。私が全面的に協力してやろう。ひどい有り様を見られる程度に引き上げる、くらいだが」

「えっ!?」


 女神が特訓をつけてくださるなんて、そんな幸運があっていいのだろうか。

 思わず大きな声を上げて立ち上がる。女神は動じず、「遠慮はするな」と笑った。


「これも良い〝依代〟を作り上げるためだ。今夜はここに泊まると良い、客室を用意しよう」

「あ、ありがとうございます」

「だが……一人の候補者に肩入れする、色欲狂いの女神だと思われても癪だ。この特訓はくれぐれも口外するな」

 

 色欲というか、冴えない男に熱を上げる物好き、と思われるのでは?

 自身の風貌をよく知るテオドアは、しかし賢明にも口に出さず、ただ頷いた。


 女神は満足げに頷き返すと、つと窓際から離れた。そのまま扉のほうへ向かう。どうやら、いったん部屋から出ていくつもりらしい。

 扉に手を掛けながら、ああそうそう、と、ルクサリネは再びこちらを見た。


「三人の女神のことだがな。お前が見咎められることがなさそうな理由が、もうひとつあった。すっかり忘れていた」

「なんでしょうか?」


「あの三人は、百年前――前世のお前がちょうど死んだ時期に、共通の夫を迎えている。今は、三女神と一人で、一つの城にほとんど引きこもって暮らしているそうだ」


 だから、あの三人は、お前のことをとうに忘れているだろう。

 なにせ、今が最高に幸せだろうからな。

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