12.女神との密会

「すごい。遠くまで見通せる」


 独りごちて、奥まで見通すために目を細めた。

 星々が輝く夜空のもと、広大な大地に、森と、川と、湖と、誰かの屋敷らしき屋根が見える。


 あの山の中の洞窟から、こんなにも広い場所に繋がっているなんて、誰が想像できるだろう。

 

 身体能力には自信がある。前世の記憶を頼りに動き回っていたら、身軽になったのだ。下級階層で働くには、これが大いに役に立った。

 壁にある僅かなとっかかりを軸に登れば、あっという間に屋根の上に出ることができる。

 ……登ったあとで、この屋敷に屋上があり、階下から上がることができたと判明したのは、少しがっくりきたけど。使用人に見つからないためだったと思って、良しとしよう。


 屋上に備えつけてあった、華奢な長椅子に腰掛けて、空を見上げる。

 木々の葉が擦れる音に耳を傾けていると、前世のことを思い出す。

 独り、眠れない夜に、こうして夜空を見上げていた。寂しいと思ったことはなかったけれど、淡々と過ぎていくだけの毎日に、疑問を抱かなかったわけではない。

 

 こうして、ただ生きて、死んでいくのだろうか。

 魔物だらけの森の中で、一生、先祖から受け継がれた仕事を果たして――それで?

 

 果たすのは自分じゃなくても、良いのでは?

 

 そんなことを考えていたから、弱った魔獣の仔を拾ったのかもしれない。

 弱肉強食の世界で、生存の見込めない個体は切り捨てられる定め。自分もその掟に従って、それまでは同じように捨てられた仔がいようと、助けたりなどしなかった。

 しかし、そのときは――そう、なにかしら思うところがあったのだ。


(まあ僕自身が、何年かあとに死んでしまったから、養育の責任は果たせていないけど)


 三柱の女神に求婚したのも、己の殻を破りたいがゆえの強行だったのかもしれないと、いま振り返って思う。魔獣を拾うより何倍も振り切れた行いだ。


「それで死んだんだから、世話がない……」

「誰が死んだ?」


 急に差し挟まってきた声に、心臓が跳ねる。

 そっと隣を見れば、長椅子の空いたスペースに、ほのかに光り輝く女性が座っていた。

 光の女神。神殿でお目に掛かって以来である。


「め、女神さま」


 思わず立ち上がったテオドアに、彼女は愉快そうに笑った。


「ああ、座っていろ。なにもお前の邪魔をしたかったわけじゃない」

「ですが……」

「〝依代〟候補は、一時的に神と同等の身分となる。あまり腰が低いと、他からなめられるだろう?」


 いいから座れ、と手振りされ、テオドアはゆっくりと座り直した。

 女神はずっとくすくす笑っている。〝儀式〟の超然とした振る舞いとはあまりにも掛け離れた態度に、こちらは二の句が継げないでいた。

 それをも見通したのだろう、「どうした? そんなに黙って」と問われるものだから、テオドアは思い切って言った。


「ええと……〝儀式〟のときとは、ずいぶんと……雰囲気が違っているな、と驚いてしまって」

「それはそうだろう。あれはよそ行きの姿だからな」


 女神は上機嫌に答える。


「人間は、私たちに対して、さまざまな幻想を抱いている。美しく、清廉で、威厳があり、正義感に溢れ――と。しかし、実態はお前たち人間とさほど変わりはない。醜く争い、他者に嫉妬し、滑稽なほど恋に溺れる。……幻滅したか?」

「いえ……」

「ふふ、嘘はついていないようだ。まあ、ほとんど関わりのない存在には、幻想も押しつけ放題だろう。そこで唯一、断続して関わりのある私が――人間たちの健気な幻を守ってやっているわけだ」


 確かに、ああいった厳粛な場では、超越した存在として振る舞ったほうが良いかもしれない。

 神殿など、健気に神を信奉する者の行き着く場所だ。人間らしく親しみやすく、は、逆に「神」のイメージを壊してしまうだろう。

 女神は背凭れに肘をつき、「大変なんだぞ?」とテオドアを見返した。


「受肉したとたん、信奉者が集まってくるのは悪い気分ではないが。おぞましい理想を語られても、反論せず黙って微笑んでいるだけなのは、けっこう疲れるものだ」

「そう……なんですね……」

「そうだ。対価として、捧げる生贄の数を三倍にしてもらいたいくらいだな」

「はは……」


 前世で三柱の女神に魅せられた人間としては、なんとも言えない気持ちで頷いた。

 気の抜けた相槌でも、光の女神はお気に召したようで。機嫌を損ねることもなく、楽しげに目を細めた。

 そうして、言う。


「お前、?」


 問われている意味が分からず、テオドアは困惑しながら問い返した。

 

「慣れている……とは、どういう」

「言葉通りの意味だ、アルカノスティアの候補者。お前はあまりにも、私に……いや。。普通は」


 と、女神はテオドアに、優雅な所作で人差し指を突きつけた。


「初対面であれば、と平然と話すこともままならないはず。これは驕りではない、事実だ。どうあっても、私たちと人間は違うものだからな。威圧、とやらを、感じるらしい」

「僕も今、感じていますが……」

「程度が違う。最悪は、対面した途端に失神する。神事に慣れた神殿でも、神気に当てられた者は軒並み倒れていく」


 私がお前を迎えに行ったときも、倒れた人間がいただろう?

 そう言われて記憶をたぐり、確かに、と思う。

 クレイグたちが倒れたのも、彼女の存在に圧倒されて、意識を飛ばしてしまったからなのだろう。

 女神に道を開けた民衆の中にも、倒れたものがいたかもしれない。テオドアが見えていなかっただけで。


 ついと指を下ろし、女神は顔を横に向けた。


「まあ、それだけならば、神気に耐性があるのだといえば説明がつく。一定の魔力があれば耐えられるものらしいからな。それでも当てられて〝酔う〟こともある。……候補者にもいたぞ。誰、とは言わないが」

「……」

「だが、どれだけお前に魔力があろうとも、これだけは解せない」

「……なんでしょう?」

「本当に微弱だが、お前の魂から、


 心当たりはあるか? と、問い掛けているふうだが、その実、確信に至っているのだろう。

 詳細は分からずとも、こちらに事情があることは。

 

 ああ、やはり、神には敵わない。

 前世のことを隠すつもりはなかったけれど、積極的に話したい話題でもない。まして、彼女は、三女神と同じ立場にある。

 ……いや、逆に考えて、願ってもない好機かもしれない。


 テオドアは、ぐっと背筋を伸ばして、居住まいを正した。

 なるべく誠実に、真摯に語りたかったからだ。


「……わかりました。お話しします。もしかしたら、頭がおかしくなったと思われるかもしれませんが――」



 テオドアの話を、女神は最後まで、口を挟まずに聞いていた。

 うまく喋れる自信はなかったが、情報が混乱しないように、丁寧に話した。自分でも言っていて馬鹿馬鹿しいと思うことも、すべて含めて。


 語りきったあと、女神の様子を窺う。彼女はしばらく黙って、屋上から見える庭園の先を見つめていた。

 それから、静かに口を開く。


「――あり得ない話ではないな」

「信じてくださるんですか?」

「ああ。ここでお前が嘘を言う理由がない」

「……ありがとうございます」


 あっさりと受け入れられたことにまず驚き、それからじわじわと湧き上がる喜びを噛み締めた。

 都合の良い妄想ではないか、と疑ったこともあった。それを他者から肯定されたのだ。嬉しくないはずがない。


「知っての通り、死んだ人間の魂は冥界に行く」


 女神は滔々と続けた。


「冥界にて転生を許された魂は、生前の記憶を消され、新しく生まれ変わる。冥界の神が直々に消すのだから、例外はまずないだろう」

「はい」

「だが、お前には記憶がある。嘘や妄想の可能性を捨てるなら、あり得るのは――〝お前の魂だけは、死後、冥界を経ていない〟のかもしれないな」

「……そんなことが、あり得るのですか?」


 にわかには信じ難かった。

 千年の昔、最高神が先導し、神々が創り上げた世界のことわりは、絶対だ。

 少なくとも、人間のほうは、常にそう思って暮らしている。掟を破るのはいつも秩序を作る「神」の側。言い伝えでも神話でも、そう決まっている。

 あまり神の物語を知らないテオドアでさえそう思うのだから、他の人間はなおさらだろう。

 

 女神は悪戯っぽく、こちらへ視線を向けた。

 思わず胸がどきっとする。もちろん、他意はないのだろうけど、心臓に悪い。


「言っただろう。私たちも完璧ではない。失敗もあり、取りこぼしもある。それを隠す術に長けているだけだ」

「……」

「その魂が百年彷徨った挙げ句、なぜまた人の胎に宿ったかは分からないが。三女神と縁があったからか、はたまた――」


 そこで少し言葉を切り、含みを持たせて付け加える。


「はたまた、魂を引き留めたいがいたか、そのどちらかだろう」


 

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