間話.ヴィンテリオの人々

 誉高きヴィンテリオ公爵家は、今、見る影もなく混乱を迎えていた。


 先ほど〝儀式〟から帰宅した第一夫人とご子息が、尋常でなく荒れているのである。


 夫人は癇癪を起こして、最早なにを言っているのかすら分からない金切り声で叫び、夫人付きの女性使用人になだめられている。

 長男であるパウラは怒りが収まらない様子で、目についた使用人も召使いもメイドも下働きも、見境なく怒鳴りつけている。遂には魔法を使った暴力にまで及び、幸いにも怪我人は出なかったものの、屋敷の一角は荒廃してしまった。

 次男のツィロは、二人に比べれば静かなものだった。しかし、帰宅したあとに自室に引きこもったまま、数時間経った現在でも、誰の声にも一切応えようとしなかった。


 使用人たちは――主人一家をなだめる役割を担った貧乏くじたちを除いて――みな、地下にある使用人エリアに逃げ込んだ。少なくとも、プライドの高い彼らが、わざわざ地下まで降りて怒鳴り込んでくる心配はなさそうだったからだ。


 広い厨房の隅に椅子を持ち寄り、顔を突き合わせて噂をし合う。

 彼らは当初、彼らの荒れようを、「子息のどちらも候補に選ばれなかったからだ」と解釈した。

 だが。第一夫人たちに付いて、神殿までをお供した従者の一人が、ぽつりと言った。


「違う、――もっと最悪だ。第二夫人の息子のほうが、候補に選ばれた」


 使用人たちは、みな驚愕した。

 王家に近い公爵家に仕える彼らは、もともと、身分の低くない家の出だ。もちろん、下級使用人の中には、領地の町から来た少年少女がいるが――ぱっとしない爵位の娘や息子が、『行儀見習い』と称して働いている例も、多いのである。

 そんな彼らはもちろん、貴族のしきたりや価値観をよく知っていた。

 

 ゆえに、魔力無しの〝第二夫人の息子〟が、〝依代〟候補に選ばれるなんて――天地がひっくり返ってもあり得ないと、思っていたのだ。

 

 しんと静まりかえった厨房に、誰かが「嘘だろう」と声を上げる。

 その声はどこか震えて、微かに怯えを含んでいるようだった。


「そ……そんなわけない。はは、お、俺たちを騙そうったって、そうは――」

「こんなときに嘘を吐くもんか。俺がこの耳で聞いた。候補に選ばれたのは〝テオドア〟・ヴィンテリオだった。パウラでも、ツィロでもない」


 再び、辺りを沈黙が支配した。

 しかし先ほどとは違い、みな、きょろきょろと視線をさまよわせている。

 恐れているのだ。


 女神の采配は絶対である。これは、この世界に生まれ育った人間であれば、誰もが心の奥底に刷り込まれていることだ。

 その女神が、第二夫人の子を選んだ。

 間違うのはいつも人間。であるならば、つまり、あの『魔力なし』は。


 ――いや、「テオドア坊っちゃん」は。


「……」


 沈黙の中、一人、立ち上がる者がいた。

 使用人のお仕着せを着崩した青年は、なにも言わずに厨房から出て行こうとする。


「おい、どこへ行くんだ」

「……〝奥さま〟の様子を見てくる」

「正気か? あの御方は今、狂気じみている。侍女以外、おいそれと近づくことは――まさか、お前」


 青年は応えず、足早に扉から出て行った。彼の意図に気付いた者が、幾人か立ち上がり、叫びながら後を追う。


「抜け駆けすんな! 第二夫人のとこに行く気だな!!」

「卑怯よ、あたしも――」

「はあ!? アンタさんざん〝奥さま〟のこと馬鹿にしてたじゃないの!! 今さらどのツラ下げて!」

「あんただって〝ご子息〟の悪口死ぬほど言ってたでしょうがっ!!」

「お、俺は分かってたから、な、て、テオドアさまが優秀だって!! だから、〝奥さま〟もお許しくださるはず――」


 互いに抜け駆けさせまいとした使用人の一団が、醜く言い争い、罵倒し、遂には屋敷の廊下での乱闘にまで発展する。

 それは、ヴィンテリオ公爵家の騒乱の一幕として、止める者もなく続いていった。



 

「奥さま。どうか、お気を確かに」

「これが落ち着いていられますかっ!! あんな――あんな侮辱――!」


 第一夫人は苛立ちのあまりに、自らの手袋を抜き取って、侍女に投げつけた。

 彼女に長く仕える初老の侍女は、心得たもので、手袋を避けつつ淡々と拾い上げる。


「花瓶でなくてようございました。奥さまはご実家にいたころから、あの花瓶を大事にしておいでですから」

「今、手元にあったなら、迷わず割ってやるのに!!」

「危のうございますよ」


 侍女の冷静な物言いも、普段だったら頼もしく感じるのだが。

 今は、なにもかもが癪に障ってしょうがない。


 それでも、初めのころよりは落ち着きを取り戻し始め、彼女は溢れる怒りに突き動かされるように、うろうろと自室を歩き回った。


 第一夫人――ローゼル・ヴィンテリオは、生まれたときから優秀だった。

 

 現国王の弟の娘として生を受け、母親譲りの美貌と規格外の魔力を持ち、幼い時分から魔法の才覚を発揮した神童。

 王弟である父親からは、「性別と、生まれる時代さえ違っていたら」とよく嘆かれた。


 己にできないことなどなかった。誰もが自分の足元に身を投げ出し、「どうか救ってくれ」と懇願した。大規模な魔法を難なく使うローゼルに、誰もが崇敬の念を抱いて見上げた。

 自分がもし男であったらと、思わないでもなかったが――世界でも指折りと名高いヴィンテリオ公爵と縁づいたので、良しとすることにした。


 あとは、期待通りに、〝依代〟候補に相応しい男児を産む。

 ただ、それだけだったのに。


「あ、の……女が……!」

 

 あの女。平民のくせをして、身のほど知らずにも、膨大な魔力を持った女。

 あれが第二夫人に収まったときから、すべてが狂ったのだ。


 ぎりぎりと、砕かんばかりに奥歯を噛む。

 あの女の能天気な顔を思い出すだけで、再び頭に血が上っていく。

 ローゼルは、机の上にあったものを、怒り任せに払い落とした。紙が舞い、インク壺が落ち、絨毯の上に黒いシミをつくる。


「お前! さっさとあの女をここに連れてきて!」

「あの女、とは」

「決まっているでしょう、あいつよ! 『魔力無し』を産んだあの女! 今ここで殺してやる!」

「人殺しは良くありませんよ、奥さま。奥さまのご評判に傷がつきます」

「っ……もういい!」


 埒のあかない侍女を置いて、ローゼルはなりふり構わず駆け出した。動きにくい豪華なドレスを、これほど煩わしく思ったことはなかった。


(赦すものですか――絶対に、絶対に――!)


 混乱する屋敷を出て、庭園を抜け、森に入って、第二夫人の住まう寂れた小屋までひた走る。

 靴は途中で脱ぎ捨てた。外を裸足で走ることへの忌避よりも、怒りが優っていた。


 屋敷の敷地の端にある森から、ようやく小屋の全貌が見えようというところで。

 ローゼルは、ぴたりと足を止めた。



「貴女のご子息が、〝依代〟候補に選ばれました」


 吹けば飛びそうなボロ小屋の前に、第二夫人と、神官服を着た一団がいる。明かりといえば、神官たちの持つランタン以外にない。

 そのうちの一人、年嵩としかさの男性神官は、事態を飲み込みきれていない第二夫人へ、優しく言った。


「――ご子息は、『魔力無し』だとされていたようですね。ですから、まさかご自身が選ばれるわけがないとお思いになられていた。しかし、尊き光の女神は、ご子息をお選びになりました」

「む……息子は。テオは。今、どこに」


 第二夫人は――暗がりで確かなことは分からないが――手を胸の前で握り込み、ひどく不安そうに一団の顔を見渡した。まるで、そこに息子の姿がないか探すかのように。


「光の女神の神殿においでです。再び魔力測定をしたところ、ご子息は類を見ないほど魔力を多く持っておいででした。……〝依代〟候補には、これ以上ないほどうってつけです」


 そう言って男性神官は、懐から一通の封筒を取り出した。


「ご子息――候補者さまが、お母上にと。本来、このようにお渡しはしないのですが……神官長がご事情を汲んで、わたくしどもがお伝えに上がった次第です」


 第二夫人は手紙を受け取り、震える手でそれを開いた。

 内容は、ここからでは読み取れない。

 しかし、彼女の顔がみるみるうちに血の気を失い、遂には便箋を抱き締めて泣き崩れた姿は、はっきりと見えた。


「お気を確かに」

「……あ、あの子は……、優しい子なんです……! 誰かを蹴落とすなんて、とても……」

「そのように悲観するものではございません。無事のご帰還が成るよう、我々も祈りを捧げましょう」


 言いながら、男性神官が手振りで指示を出した。後ろに控えていた小柄な神官――顔を隠した女性神官が二人、第二夫人に駆け寄った。

 抱き起こされながらも、第二夫人はまだ、肩を震わせて泣いている。


「ご子息が〝依代〟と成られた場合、貴女は〝依代〟をお産みになられたお方となります。――遠く昔に身罷みまかられた最高神にも、母神がいらしたという神話がございますから」

「……」

「神殿は、貴女の御身おんみを守る義務がございます。……ご子息がいらっしゃる神殿とは別ですが、〝依代〟が決まるまで、領内の神殿にいらしていただきたいのです」


 第二夫人は答えない。自分の息子に起きたことを嘆くので忙しいのだろう。

 ローゼルは、黙ってその場を立ち去った。来たときとは違い、頭の芯は妙に冷え切っていた。

 

 いつもそうだ。

 あの女は、いつも、ああやってすべてを奪っていく。

 なにもしていないくせに。

 やることなすことが、すべて余計なくせに。

 何も知らない愚かな平民らしく、なんの努力もしていないくせに!


 屋敷に戻ると、混乱はだいぶ収まっていた。

 パウラが暴れていたのを、誰かが取り押さえたのだろうか。

 今は、それすらもどうでもいい。ローゼルは自室に戻った。


「! ――奥さま、お靴が」


 さしもの侍女も、主人が裸足で帰ってきたのを見て、わずかに目を見張った。

 すぐに拭くものを取ってこようとするのを留めて、ローゼルは静かに言う。


「すぐに書くものを用意してちょうだい」


 先ほど暴れたとき、紙を床に散らばせてしまった。

 もちろん、汚れておらず、折り目もない紙はたくさんある。

 しかし、その紙を使っては、不敬に当たるのだ。

 父親でも――曲がりなりにも、

 

王弟お父さまにご相談があるの。最上級の紙を用意して。――なるべく早く」

 

 

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