第二章 候補者たちの前日譚

10.〝依代〟候補者たち

 ペガサスが舞い降りた場所は、傾斜がなだらかな、頂上付近の岩場だった。


「こっちだ。ついてこい」


 少女は、馬体から降りると、歩きにくい足元などは気にも留めずに先へと進んでいく。テオドアも慌てて降りて後を追った。


 彼女が入っていったのは、暗色の山肌にぽっかりと口を開けた洞窟だった。

 テオドアは、濡れた地面で滑らないように気をつけながら、注意深く辺りを見渡す。


 洞窟に入って少し歩くと、入り口からの光は完全に失せ、湿った岩の天井も、天井から滴る水滴も、すべて暗闇に覆われた。

 ただ、辛うじて見える少女の背中と、テオドアの少し後を着いてきているペガサスの気配で、なんとか行く先を見失わずに済んでいた。


 どれくらいの時間が経ったのだろう。


 歩く速度は変わっていないはずである。

 しかし突然、目の前が明るくなったかと思うと、既に美しい庭園のただ中にいた。


 柔らかな日差しに、風にそよぐ木々、さやさやと揺れる草花。遠くには噴水のような人工物も見える。

 後ろを振り返っても、洞窟など影も形もない。ただ、ペガサスが羽根を畳み、穏やかに草を食んでいる姿があるばかりだ。


「おまえはいちいち、なんでもないことで驚く」


 いつの間にか隣に立っていた少女が、こちらを見上げながら言った。


「このくらいは、神の奇跡の範疇はんちゅうだ。おまえ、魔術学院とやらで、おそわらなかったのか」

「ああ、すみません。生まれてこの方、魔法というものに馴染みがなくて。学院にも通ったことがないんです」


 少女は「ふうん」と――おそらく不思議そうに――首を傾げた。

 そうした仕草をすると、外見年齢と相応に見えるのだが。

 大きな丸い瞳が、じっとテオドアの顔を見つめる。


「……人間はふしぎなものだな。これほど魔力のあるものを、とりたてずに放置することもあるのか」


 はは、とテオドアは苦く笑った。笑うしかなかった。


 魔力が無いのではなく、膨大すぎる魔力を自ら封じていた、と判明したのは、つい昨日のことだ。

 自分に魔力があるとしたとは言え、明確に何かが変わった実感はない。ただ、魔力測定器の結晶を割り、暴風を巻き起こしたというだけ。

 内なる何かが目覚めたという感じでもない。ただひたすらに、〝魔力無し〟のころと変わらぬ感覚で過ごしている。


 もしかすると神官長たちは、女神に選ばれた人間に魔力が無いのを認めたくなくて、ひと芝居打ったのではないか。――そういう疑念も、頭の隅に残り続けていた。

 だが、おそらく人間ではないこの少女も「魔力がある」と言うのだから、本当に目覚めたのだろう。

 相も変わらず、実感は無いままだけれど。


 ふと、少女の目が逸れた。

 遅れて、テオドアも気がつく。二人の前には、艶やかな女性が、音も無く立っていた。


「お待ちしておりました。アルカノスティアの候補者さま」


 紡がれる言葉はなんでもないのに、うっすらと蠱惑的な響きのある声だ。

 テオドアは、驚きつつも女性の様子を見るだけの余裕があった。昨夜から今にかけて、驚くことが多すぎて、もはや慣れきっていたのもあるだろう。


 人間でないことは分かる。女性の周囲を、ふわふわと燐光が舞っているからだ。腰まである髪や、星を織ったようにきらめくドレスの裾は、庭園の風を受けて涼やかに揺れている。


 しかし――女性の足元には、本来あるべき影が無かった。


 どころか、確固たる肉体を持っているように見えて、ほんの一瞬、彼女の身体が「透ける」ことがある。すぐにその現象は収まるのだが。彼女を通して、後ろの景色がぼんやり見えるのだ。


 即ち、肉体が無いということ。

 そんな存在は、神か――神に準ずる眷属しかあり得ない。


「こいつがいちばん最後だな。あとはまかせた」

「はい、セラさま。ここからはわたくしがお引き受けいたします。どうぞ心置きなくお休みくださいませ」

 

 女性はうやうやしく膝を折り、優雅に礼をした。

 それに頷いた――セラと呼ばれた少女は、ペガサスを伴って、近くの森の中へと去って行った。

 彼女にはもちろん影がある。どういった存在なのだろう、と見送っていると、「候補者さま」と声が掛けられた。


「お初にお目にかかります。わたくし、光の女神さまより、あなたさまの世話係を仰せつかりました。ロムナと申します。どうぞお見知りおきを」

「ああ、すみません。テオドア・ヴィンテリオといいます」

「わたくしに改まった言葉遣いなどは不要でございます。わたくしはただの下級精霊の身ゆえ。女神さまや候補者さまの身の回りの雑務を引き受けるのは、みな、わたくしのような存在です」


 よく分からないが、気安い態度を望まれているらしい。

 前世も今世もあまり人と関わっていないせいか、どうにも他人との距離感が分からない。テオドアは、「分かり、わ、分かった」とぎこちなく頷いた。

 ロムナは踵を返し、ご案内いたします、と言って歩き出した。

 

「他の候補者さまがお待ちです。初めてのお顔合わせとなりますね」

「顔合わせ……」

「ご緊張なさらずとも、かしこまったものではございません。お気を楽にしてください」


 そう言われても、他の候補者に自分が――まかり間違っても高貴ではないだろう今の自分が――どう見えるのか、考えるだけで溜め息をつきたくなった。

 果たして、その予感は当たっていた。



「お前がアルカノスティアの候補者か。ずいぶんとまあ、貧相な男が来たものだ」

「それ言っちゃおしまいだよ! あの王国、四代続けて〝依代〟の座を逃し続けてるんだ。あれでも精一杯なんだって、きっと!」


 なんだか実家を彷彿ほうふつとさせる構図だった。

 少し居丈高に振る舞うのが、腰に立派な剣を差した青年。その彼に気安く話しかける、灰色の髪の青年。

 少し離れたところに立っている、目が覚めるほど美しい風貌の黒髪の青年に、気弱そうで背が低い少年。

 そして、今来たばかりのテオドア。

 

 見事な造形の噴水を中心に、一分の欠けもなく敷かれた石畳。よく手入れされた低木が、その周りを美しく彩っている。

 そこに、候補者たちは集められていた。


 テオドアを案内したロムナは、「屋敷の準備」とやらでこの場を辞している。

 一人残されたテオドアは、言い返す言葉を探して、剣を帯びた少年の顔を見た。

 だが、テオドアが口を開くより早く、彼は高々と名乗りを上げた。


「我が名はデヴァティカ! デヴァティカ・ノア・ミヤナドゥアだ。誇り高き我が祖国、ノクスハヴン帝国――そして我らが皇帝に、〝依代〟を輩出する栄誉を捧げに来た!」


 彼はおもむろに剣を抜き、太陽に向けて切っ先を突きつけた。白刃のきらめきから、素人目にも、よく鍛えられた剣であることが分かった。

 その隣で、灰色髪の少年がにこにこと笑っている。

 

「デヴァティカは十六歳なんだけど、この歳でもう皇帝直属騎士団の団長を務めてるんだよね。すごいでしょ」

「ふん。貴様に褒められても嬉しくないわ。同じ年のくせをして、ロムエラの総本山、大司祭を務めているというに」

「あはは。まあ、大司祭なんて、ちょこーっと政治に関わるかなあって程度だよ。うちの国、信仰がすべてだからさ、権力とか持っててもあんまり意味ないんだよね」


 そう言ってから彼は、ああそうそう、と手を打った。

 

「僕は聖ロムエラ公国の候補者、セブラシト・フラメリネス。殺さないように気をつけるから、よろしくね。もっとも……」


 言いながら、セブラシトの視線がちらりとこちらを掠めたのは、気のせいではないだろう。


「ちょっと攻撃するだけで死んじゃいそうな人もいるけど! まあ、死んでも恨みっこなしだからね、仕方ないことだよね!」

「それはアルカノスティアに酷ではないか? 送り出した候補が無様に死ぬなど、向こう三百年は笑いの種だぞ」

「だってさあ、見てよ、平民みたいに丸腰で! 場に相応しい服っていうのを知らないか、候補につける装備もないってことでしょ? お金ないんじゃない?」


 テオドアは、思わず自分の身体を見下ろした。


 まあ、言われずとも分かっていたことだ。

 高貴なものが、身分に応じた装いをするのは、最低限のマナーでもある。

 この場は社交場でもなんでもないけれど、その国の中でも魔力の高い人間が候補に選ばれるのだから、候補者の身分も総じて高くなる。


 加えて、候補者の姿は国の威信にも関わる。代表と同義だからだ。国の王がみすぼらしい格好をしていないように、国の名誉を背負った候補者も、それなりの格好をしていなくてはならない。

 他の四人は、気弱そうに立ち尽くしている少年でさえ、盛装をしている。


 それに引き換えテオドアは、普段よりはマシなものの、昨日の祭りに出た服そのままだ。

 二人にしてみれば、あり得ないのだろう――と、諦めて俯きたくなる気持ちをぐっとこらえ、目線を戻した。


 セブラシトは愉快そうに笑って、奥の二人のほうへ顔を向ける。


「ねえ、どう思う? ヴェルタの王子さま。このままだと四人での戦いになっちゃいそうだけど」


 そう言われて、黒髪の美青年がわずかに顔を伏せた。

 彼が「王子さま」なのだろうか。隣の少年は、おろおろと二人を交互に見るばかりで、特になんの口出しもしないでいる。

 すると――「王子さま」の肩が、にわかに震え始めた。


「……に……けん……」

「え? なに? 聞こえないけど――」

 

 セブラシトが怪訝そうに耳に手をやるのと、


 ――「王子さま」が勢いよく顔を上げたのは、同時だった。



「ふざけるなッッッ!!! 貴族の風上にも置けん奴らめぇぇぇぇぇぇぇぇッッッッッッ!!!!!!!」


 

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