6.降臨するは光の女神

 光の女神を祀る神殿は、王都から少し離れた、郊外の町にある。


 幸いにも、テオドアたち一行は、徒歩で移動できる範囲にいた。

 目的の町は、ヴィンテリオ公爵家の領地と隣接した、伯爵家の領地内にあるからだ。


 まさに光の女神への信仰を中心に発展したような町で、あらゆる道が神殿に通じている。百年に一度は当の女神が降臨することもあって、信仰が集めやすく、求心も得られやすいのだろう。

 当然、今夜は人の数が凄まじい。少し気を抜けばすぐに押し流されてしまう。

 見渡しても人の頭ばかりで、一度はぐれれば、再び相手を見つけ出すことは難しいだろう。


「大丈夫ですか、しっかり手を握っててくださいね!」

「ひゃい……にぎってます……」

「姉貴……」


 喧噪にかき消されないよう、若干声を張り上げつつ、テオドアは先導して人波をかき分けていく。後ろ手にハンナの手を握り、彼女の体調を気遣いながら進む。


 あのあと、彼女はすぐに目を覚ました。道の端で休ませたのが功を奏したのか、ふらつきもなく、家に帰す心配も無くなった。

 この人混みの中、体調不良の人間を送り届けるのは、相手にも相当な負担がかかるからだ。

 なによりハンナは、百年に一度の祭りと儀式を、とても楽しみにしていたらしい。クレイグがこっそりと耳打ちしてきた。

 

 ちなみに、「このままじゃ目を覚ましたときに余計具合悪くなる」というクレイグのよく分からない言い分のために、彼女は弟に肩を貸された体勢で目を覚ました。

 起きて早々に、「空気読みなさいよね……」と地を這うような声音で弟に八つ当たりしていたが、倒れたことがよほどショックだったのだろうと思う。

 

 話の流れで、三人は一緒に行動することになった。

 儀式を遠目で見て、帰りにどこかの出店で食べ物を買って帰ろう、という案に、誰も異議を唱えなかったからだ。

 テオドアの手をハンナが握り、ハンナの手を握――るのを嫌がったクレイグが、あとからついてくる。


 ようやっと人心地つけたのは、神殿のほど近くにある広場の一角に、腰を下ろしたときだった。


「すっごい人だらけだったな。いや、ここもだけど、みんな少しでも神殿の近くに寄ろうとしてんじゃん」

「気迫が段違いよね。一年に一度の豊穣祭とかと比べると」


 クレイグが疲れたように溜め息をつき、ハンナが頷く。言動はあまり似ていない双子だが、こうしていると本当にそっくりだ。

 テオドアも言葉少なに同意を返しながら、白く美しくそびえ立つ神殿と、その周りを取り囲む大勢の人々を眺めた。


 夜だというのに、松明と光魔法を組み合わせた照明で、神殿の周囲はまるで昼間のように明るい。その光は、少し離れたこちらにも届いている。

 とは言え僅かに薄暗いため、ここには、距離を置いて儀式の雰囲気だけ味わいに来た自分たちのような者か、ロマンチックに愛を育みに来た二人組しか見当たらなかった。


 熱心な見物客は、みんな、神殿の近くに寄っている。彼らが一歩でも侵入しないようにか、王宮騎士が建物をぐるりと取り囲んで、警護に当たっている姿も見えた。


「そんなに見たいものかしら、本物の女神さまって」

「まあ、見れるもんなら見たいだろ。神さまなんて、こういう機会でもなければ、生きてる間に実物が見れるだけでも奇跡なんだし」

「ふうん……? あたしはお祭り気分で盛り上がれればいいわ」

「そういうとこは気が合うよな。俺もだよ」


 クレイグは笑い、お前は? と、テオドアを見遣った。

 少し考えてから、テオドアも苦笑して答えた。


「興味が無いと言ったら嘘になるけど。あの中に飛び込んでいく勇気も無いかなあ」

「混んでるのは道だけでこりごりだよな」

「その点、候補に選ばれそうなお貴族さまたちは、いいわよね。神殿の中にもともと席が確保してあって、儀式を間近で見られるって話よ」

「神殿に行く道も、わざわざ貴族用に整備した道があるって話だしな」


 王家も貴族も必死だが、神殿を管理する神官たちはそれ以上に大変と聞く。


 なにせ、全方位に気を遣わねばならない。現世の身分ある人間たちへはもとより、降臨する女神には特に、ご不快になられぬよう些細な事柄にまで神経を遣うとか。

 例えば、魔力が一定以上あると見込まれる王族や貴族の子息の名前を、あらかじめすべてまとめておくのも――彼らの中の誰かが選ばれたとき、女神に「相手の名前を聞く」という無駄なやりとりで煩わせないようにするためらしい。


 ちなみに、その名前のリストは、儀式の途中ですべて読み上げられる。儀式中の声は、神殿の近くにいる者になら誰でも聞こえるように魔法をかけるため、もちろんそれもあらゆる人間の耳に届く。

 依代が選ばれたとき、その名前を外に集まった平民にも知らしめるためだろう。


(僕、自分が参加しないのに、詳しいな……)


 冷遇されているとはいえ、公爵家の末席に名を連ねる者として、そういう情報は嫌でも耳にする。

 テオドアはぼんやりと、「あの神殿の中に第一夫人たちもいるんだろうか」と考えた。

 異母兄のどちらが選ばれても選ばれなくても、自分には関係のないことだが。


(そういえば、神殿の中にいるなら、あの人たちの悔しがる顔も見えないよね)


 クレイグとハンナは既に、儀式とは別の話題に移っていた。ハンナが勤めていた酒場が急に潰れたため、どこか雇ってくれる場所はないか、というものだ。

 口を挟んでもお節介にしかならなそうなので、黙って聞き流しつつ、テオドアは神殿近くの人混みに目を凝らした。

 いけ好かない奴らが地団駄踏むところを見たい、と豪語していたリュカは、あの中にいるだろうか。


 と、そのとき、厳かな声が響いてきた。


『至上の神、麗しき御方、光の化身。愚かな我々を導かれん。御姿を拝謁する栄誉を与えたまえ――』


 どうやら、儀式が始まったらしい。双子は身を乗り出し、人々は歓声を上げる。

 高貴な人々にとっては一世一代の儀式でも、庶民にとってはただの祭りに過ぎない。

 はしゃぎすぎた一部の人間が王宮騎士と揉めているのも、ご愛敬だろう。


 外の大騒ぎには関わりなく、神殿内の儀式は進んでいく。

 厳かな声――おそらくは神官長――が祝詞を唱え終えると、にわかに神殿が輝き始めた。

 建物自体が光っているのではなく、内から光が漏れ出しているのだが、ものすごい光量である。


「うわ、まっぶし!」

「ねえこれ、目が潰れるんじゃない!?」


 こちらにも強烈な光が届き、双子たちは驚きながら目元を覆う。テオドアも思わず目を閉じた。

 しかし、それも一瞬のこと。

 瞼の裏さえ明るかったものが、徐々に暗くなっていく。恐る恐る開けると、異様な輝きは消え、神殿は何ごともなかったかのように佇んでいた。


「あ……ぶなかったわね……」

「失明したら王家が責任とってくれんのかな」

「んなわけないでしょうが」

「冗談だって」


 クレイグはけらけらと笑った。周りにいる人々も、困惑はあるものの、少しずつざわめきを取り戻していく。

 儀式のことは、魔法で拡張された声でしか分からない。おそらく今、女神が降臨したのだろうが、姿が見えないために実感のしようもないのだ。

 喧噪の中でもりんと響く声に耳を傾けながら、みんな、好き勝手に喋り合っていた。


「貴族の名前って、聞いても誰が誰とか分かんないもんだな」

「当たり前でしょ。あたしたち庶民には関わりない人たちだもの」

「あ、うちの領主一家っぽい名前が呼ばれた気がする」

「ヴィンテリオ公爵のご子息ね。せめてそれくらいは分かりなさいよ」

「さっきと言ってること逆じゃねえか」

「逆じゃないわよ、自分とこの領主一家でしょ」


 極上の酒と穀物、このときのためだけに養育された家畜を女神に捧げて、いよいよ候補者の選定に入る。

 たくさんの名前が読み上げられる中に、やはり、異母兄たちのものもあった。

 クレイグたちが話題に出したので、思わずどきりとしたが、なんとか表面上は平静を保つ。


「ヴィンテリオの坊ちゃんどっちかが選ばれたらすごくね? 別の領地に行ったとき、すげえ威張れるかも」

「あんたの手柄でもないでしょうが。……でも、あり得るわね。公爵のご子息だもの。公爵はものすごい魔力の持ち主だって噂だし……」


『――どうか、我が国の依代を以て、世が平らかにならんことを。我らアルカノスティアの子が、神々に平穏を与えんことを』


 口上が終わった気配を察したか、場外の盛り上がりはいよいよ最高潮に達する。

 公爵子息としての知識に基づけば……このあと、女神が依代候補を指名し、その名前が高らかに読み上げられる。

 祭りとしては、そのあとにさまざまな催しがあるが、これを以て儀式は終了する。


 だが。

 しばらく経っても、名前が読み上げられることはなかった。


 盛り上がっていた民衆も、だんだんと異変を察知し始めて、戸惑ったようにどよめきだす。

 テオドアたちも、顔を見合わせた。


「声を届ける魔法が切れたのかな?」

「……でも、そんなことあるか?」

「――ッ! ねえ! 見て!」

 

 ふと神殿のほうを見たハンナが、ほとんど掠れた声で囁く。

 何ごとかと、テオドアもそちらを向いて――驚きのあまり、思わず立ち上がった。



 遠く神殿の入り口に、光り輝く女性が立っていた。


 

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