Episode Memory:32 信頼と絶望

「が……っ!」


 幸奈の力は強く、衝撃でリヒトは倒れ込む。リヒトの上に乗りかかる幸奈。


「違うの、リヒトさん! 手が勝手に――」


 息を吸い込もうともだえるリヒトに幸奈は叫ぶ。

 そのとき、右手の紋章が光っていることに気がついた。


「精霊王……?」

「この男をゆるすわけにはいかない」


 自分の意思に反して、リヒトの首を掴む力が強くなっていく。

 幸奈は気がついた。精霊王が自分の体を操っているのだと。


「精霊王、やめてください!」


 幸奈が叫んでも、手は首から離れない。だんだんとリヒトの抵抗する力が弱まっていく。


「やめて! リヒトさんが死んじゃう!」


 必死に抵抗する幸奈の手が震える。

 次の瞬間ふっと力が弱まり、手は首から離れる。朦朧もうろうとしているリヒトを必死に呼びかける幸奈。

 すると幸奈の手に、先ほどと同じ光り輝く剣が現れる。幸奈の意思に反して手は剣を強く握り、そのままリヒトの顔に向かって振り下ろした。


「……少女よ、抵抗するな」


 だが、剣はリヒトの顔の横に突き刺さった。

 床に深々と刺さった剣を抜き、再びリヒトに振り下ろす。

 しかし、それはリヒトの目の前で止まった。幸奈は顔を歪め、息を切らせて、爪が食い込むほどの力で剣を握りしめていた。


「精霊王、やめてください……!」

「どうせこの男は将来さばかれる。それなら、今この場でほうむる方が早い」


 違う、と首を振る幸奈。

 ぶるぶると手が震える。冷や汗が止まらない。少しでも力を抜いてしまえば、リヒトに突き刺さってしまう。


「リヒトさんは殺させない……!」

「なぜこの男をかばう。時間が経てば、じきに記憶が消えてしまう」

「かばってない!」

「それならなぜだ。お前もこの男をうらんでいるのだろう」

「今回のことを後悔させるため! 生きて、罪をずっと覚えててもらう!」


 幸奈は歯を食いしばる。


「あたしと契約してるなら、あたしを信じてください!」


 一瞬、力が弱まったような気がした。

 精霊王の目が細くなる。


「……お前を信じる?」

「そうです! 精霊は人を信じてその力を貸してくれたんですよね!? 精霊王も、あたしを信じて力を貸してくれたんですよね!?」


 喉から絞り出るような叫びに、幸奈とリヒトを一瞥する精霊王。


「……人間はときどき、私たち精霊の想像を超える。この男も、お前もそうだ」

「精霊王……」

「お前はシルフが選んだ人間だ。今回は信じてみるとしよう」


 幸奈の手から剣が消える。力が抜け、だらりと手を下ろす。

 その瞬間、意識を取り戻したらしいリヒトが強くせき込む。ぼんやりとした目で幸奈を見上げる。


「……リヒトさん。リヒト・グレイアさん」


 幸奈は弱々しく微笑む。


「あたしはあなたのことを、ずっと忘れません」


 その言葉を最後に、幸奈の視界がかすむ。体がぐらりと後ろに傾く。


「幸奈!」


 床に倒れ込む前に、洸矢が幸奈の体を支えた。

 洸矢に続いて、日向たちも部屋に駆け込んできた。


「洸矢兄……?」

「喋るな。息できるか?」


 幸奈の全身を光が包み込む。


「えっと、あたし……リヒトさんを止めたよ……」

「分かった。ゆっくり休め」


 体の反動が来たのか、幸奈は指一本動かなかった。

 弱々しい幸奈に洸矢は顔を歪め、あとから来たプレアとともに幸奈を癒し始めた。


「リヒトさん」


 凜はリヒトの横にしゃがむ。

 リヒトは体をゆっくりと起こすと、ラインが凜の横に立った。


「あのね、ライン、なんにも思い出せないの」


 ごめんなさい、とラインは悲しそうに笑う。


「でも、凜が教えてくれたよ。ラインは本当はライン・グレイアって名前で、お兄さんはラインの家族だって」

「……そうだよ。私と君は家族だ」


 微笑むラインに、リヒトは「だけど、」と続ける。


「これから君は一人で生きていかなければならない――」

「いいえ。ラインは一人ではありません」


 凜はリヒトの言葉をさえぎる。


「僕がいます」

「……そうですか。それでは、君に任せましたよ」


 うなずく凜。

 リヒトからは、ラインの記憶はすでに消えていた。


「リヒトさん」


 リヒトに歩み寄る颯太。

 その声は静かだが、どこか怒りが混じっていた。


「俺の精霊を殺したのは、リヒトさんですか」


 リヒトはなにも答えなかった。

 肯定も否定もせず、「すまなかった」とだけつぶやいた。


「……俺は、あなたのことをずっと忘れません」


 拳を握りしめる颯太。


「それでは、私はシルフと精霊界に戻るとしよう」


 部屋に精霊王の声が響き、全員の視線が精霊王に集中する。


「シルフの傷を早急に癒さなければならない」

「シーちゃんは元気になりますか?」

「もちろんだ」


 幸奈はふらふらと立ち上がり、光に包まれたシルフの前に立つ。


「……元気になったら、シーちゃんと契約できますよね」


 幸奈の言葉に洸矢たちは動揺する。うなずく精霊王。


「しかし、お前が生きている間に再会できる保証はない。今回の生命核の回復は時間を要する」


 少しの沈黙のあと、幸奈はシルフに微笑む。


「シーちゃん。次会ったら絶対契約しようね」


 シルフから返事はなかった。

 そして光に包まれ、シルフと精霊王は姿を消した。

 静寂の中から、幸奈のしゃくりあげる声が小さく聞こえ始めた。


「う、あ、うああぁ……!」


 意思に反して、涙が勝手に流れていく。

 幸奈はその場にくずれ落ちた。

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