Episode Memory:30 幸奈とシルフ

「はじめまして。私、シルフって言うの」


 シルフと名乗ったのは、蝶々の羽根を持った愛らしい妖精だった。

 そしてシルフの目の前にいるのは、年齢にして五歳ほどの幼い少女。


「シルフ?」


 少女の問いにうなずくシルフ。


「私は、私と契約してくれる人を探して人間界に来たの」


 不思議そうにしている少女に向けて、シルフは誇らしげに続ける。


「でも、契約は誰でもできるわけじゃないのよ。私が運命を感じた人だけが、私と契約できるの」


 シルフは少女の目の前に降り立ち、笑みを浮かべた。


「それで、私はあなたに運命を感じたの。だから、私と契約してくれないかしら?」

「契約したらどうなるの?」

「そうね……私の力を使って、人間界をよりよい世界にすることができるわ」

「あとは?」

「え? あ、あとは……」


 思いもよらない質問にたじたじになるシルフ。

 腕を組んで天を仰いでいたが、絞り出したように少女に向き直る。


「そ、そう! 私と仲良くなれるわ!」


 少女は首を傾げる。


「契約しないと仲良くなれないの?」

「いえ、契約しなくても仲良くすることはできるけど……」

「じゃあ、あたしと友達になって!」


 少女の提案に、シルフは一瞬思考が止まった。

 眉を寄せて少女を見上げる。


「……それは、契約してくれるってことよね?」

「違う! ただの友達!」


 つまり、自分とは契約しない。

 そんな言葉が返ってくると思わなかったシルフは、頭の中で考えを巡らせる。こんな返答をされた場合、どう返すべきなのか。

 否、答えは決まっている。


「私はあなたと契約したいんだけど……」

「なんか怖いからやだ!」

「こ、怖くないわよ! 契約なんてすぐに終わるわ!」


 やだ、と少女はそっぽを向く。

 シルフはわなわなと震える。なぜ契約を嫌がるのか。仮にも自分は四大精霊の一人なのだから、人間と契約しないわけにはいかない。


「怖いから、これで契約!」


 シルフがあれこれ考えるうちに、少女は元気よく小指を差し出した。


「……それじゃあ契約にならないわよ」

「いいの! 今はこれで、あたしが怖くなくなったら契約する!」

「いつの話をしてるのよ」

「あたしが大人になるまでに契約するから!」


 純粋な瞳がシルフを射抜き、シルフは言葉を詰まらせる。


「……ちゃんと契約してくれるのよね?」

「うん!」


 そんな満面の笑みを浮かべられたら、これ以上はなにも反論できない。

 大きなため息をつき、小さな手で少女の小指に触れる。


「今はこれで契約ってことにするわ」

「やったー!」

「でも、いつか必ず契約してもらうわよ!」


 少女は大きくうなずく。


「あたしは春風はるかぜ幸奈ゆきな。よろしくね、シーちゃん!」

「……なにその呼び方」

「シルフだからシーちゃん!」


 幸奈と名乗った少女は、銀紙に包まれたチョコレートを差し出す。


「シーちゃん、チョコ食べる?」

「いらないわ。精霊に食事は必要ないのよ」

「仲良くなった記念!」


 契約してもらうためなら、このくらいのお願いは聞いておこう。

 そう思いながら、シルフはしぶしぶ溶けかけのチョコレートを口に入れた。


 それから、幸奈とシルフが出会ったことはすぐに広まった。


「幸奈ちゃん、四大精霊と契約したの!?」

「すごいね!」

「四大精霊って本当にいるんだ!」


 クラスメイトに囲まれる幸奈とシルフ。

 遠巻きに見守る他の生徒や精霊たちも、教室中の興味は二人に向いていた。


「ううん。あたしとシーちゃんとは契約してないよ!」


 幸奈の笑顔に反して、教室の空気が冷えて固まっていく。


「えっと……まだ契約してないってこと、だよね?」


 戸惑うクラスメイトの視線は、幸奈の横にいたシルフに向く。

 突き刺すような視線を受け止め、シルフはふぅと息を吐いた。


「……そうよ。だから今日、帰ったら契約しようって話をしたわ」


 シルフの言葉にクラスメイトはほっと安堵あんどした。

 だが、幸奈は一人、シルフを不満そうに見上げていた。


「シーちゃん、なんであんなこと言ったの?」


 クッションを抱え、ベッドに寝転ぶ幸奈。

 頬を膨らませている幸奈に、シルフは呆れたように肩をすくめる。


「あの空気で分かったでしょ。契約しないなんてありえないことなのよ」

「いいもん! シーちゃんとは友達になれたもん!」

「私は契約して欲しいって言ってるのよ!」

「まだ契約しない!」

「早くしないと大人になっちゃうわよ!」

「まだ子供だもん!」


 そんな言い合いは数日、数週間、数ヶ月、数年と続いていった。しかし、幸奈とシルフがその間に契約することはなかった。


「――だから、もし契約方法を聞かれたらそういうことにしましょ」

「分かった!」


 嘘の契約方法まで決めても、二人は契約しなかった。

 次第に、シルフは契約して欲しいと言わなくなった。それは契約を諦めたわけではなく、幸奈を信頼し始めたからだった。

 とにかくまっすぐ突っ走って、台風のように周りを巻き込んで突き進んでいく。巻き込まれた人間は幸奈の無邪気さと優しさに惹かれ、自然とついていくようになる。

 きっと、幸奈の口から言ってくれるだろう。あのとき約束したのだから。

 契約したときには、四大精霊が契約していなかったなんて信じられないと言われるだろうが、それでもいい。

 幸奈といられるだけで十分楽しいから。シルフはいつしかそう思うようになった。


 そして、幸奈が四葉学園高校へ入学した日のこと。


「シーちゃん。今年のあたしの誕生日に契約しよ」


 入学式の終わり。桜並木の下で幸奈はシルフに微笑んだ。


「…………今、契約しようって言った?」

「そう! 契約!」


 その場に止まり、眉をひそめるシルフ。


「なにか変なものでも食べたかしら……もしかして、昨日お菓子を食べ過ぎたせい……?」

「違うもん! 高校生になったのと、今年だなって思ったの!」


 幸奈は頬を膨らませる。

 そのときシルフは、なぜか喜びより先に寂しいという感情が芽生えた。自分が待っていたはずの言葉なのに。

 おそらく、契約しなかった今までの関係に終わりを迎えるからだろう。しかし、終わりではない。契約を始まりとするなら、まだ始まってもいない。これから始まるのだ。


「……契約するのはいいけど、あなたの誕生日は来年の春じゃない。一年も先よ」

「それじゃあ……今年度の誕生日?」

「そうなるわね」


 二人は顔を見合わせて笑う。


「誕生日、まだかなー!」

「そんなに待ち切れないなら、今契約すればいいのに」

「やだ! あたしの誕生日と、シーちゃんと契約したお祝いを一緒にするの!」


 軽いステップで桜並木を駆けていく幸奈。

 十年間見守り続けた背中は、いつの間にか大きくなっていて。

 今までの思い出を胸に。これから先、もっとたくさんの思い出を作っていこう。


「今から楽しみね」


 君と、やっと始められる。

 シルフは微笑み、幸奈を追いかけた。

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