Episode Memory:29 家族と宿命

 一方、幸奈たちと別れて階段下へと降りた凜。

 どの部屋にも鍵がかかっていて、部屋の中に入ることはできなかった。

 このままだと、リヒトに会って精霊もどきの話を聞くこと、そしてラインに会うこともできない。

 まだ確認していない部屋が一部屋、奥にあった。

 先に繋がるなにかがあって欲しい。そう願いながら凜はドアに触れる。

 すると、ドアが左右に開く。正しくは、向こう側から開けられた。


「ライン……!」

「凜!」


 凜の目の前には、ラインがいた。ラインも目の前にいた凜を見上げていた。

 ラインは凜に飛びつく。


「凜、会いたかった……!」

「僕も、ラインに会いたかった」


 抱きとめると、ラインからすすり泣く声が聞こえた。それを耳にして、凜のラインを抱きしめる力が強くなる。

 ラインを優しく離し、凜はしゃがんで目線を合わせる。


「……ライン。聞きたいことがあるんだ」

「なに?」

「ラインの名前は、ライン・グレイアで合ってる?」


 すでに顔が赤く腫れているラインに、凜は尋ねた。

 精霊祭のとき、ラインを連れ戻すのを頼んだのは家族だと言っていた。それなら、ラインとリヒトは間違いなく血縁関係である。本当の名前を思い出せれば、ラインの記憶も戻るかもしれない。


「……分かんない。それが、ラインの名前なの?」


 か細く、弱々しい声でラインは答えた。

 凜は小さくうなずく。


「名前じゃなくても、リヒトさんと過ごしたときのこととか、なにか思い出せる?」

「…………ううん。なんにも思い出せない」


 ラインの大きな瞳から、再びぽろぽろと涙がこぼれ始めた。


「なんで、ライン……忘れちゃったのかな」


 泣きじゃくるライン。

 涙をそっと拭い、ラインを再び優しく抱きしめる。


「ライン、リヒトさんとなにか話はした?」

「すぐに寝ちゃったから。まだなんにも話してない」

「そっか。それじゃあ、今からでもリヒトさんのところに――」


 言いかけた凜の後ろを、勢いよく風が駆け抜けた。


「シルフ……?」


 そこにいたのはシルフ――ではなく、シルフの姿をした精霊もどき。

 見慣れた笑みを浮かべる精霊もどきを中心にして風が巻き起こる。

 まずい、と本能で察知した凜は、ラインを抱きかかえて部屋に逃げ込む。ドアが閉じた瞬間、部屋の外で轟音ごうおんが響き、衝撃でドアが歪な形でへこんだ。


「凜……今のって、シルフだよね……?」

「……いいや、あれはシルフじゃない」


 おびえるラインを落ち着かせるようになでる。

 部屋の外からの風の音を聞きながら、凜はまっすぐラインを見つめる。


「ライン。君は僕が絶対に守る。だから、一緒にリヒトさんのところに向かおう」


 ドアが壊されるのはおそらく時間の問題。ここで追い詰められるよりは、少しでも広い場所に逃げた方がいい。


「……うん。凜がいれば、ラインは怖くないよ」


 ラインは小さく微笑む。

 凜はうなずき、音が止んだ瞬間に部屋を飛び出した。


   * * *


「……っ、すばしっこいわね……!」


 シルフはつむじ風を起こして精霊もどきを巻き込もうとする。

 しかし、精霊もどきも同じようにつむじ風を起こして、風を相殺そうさいした。

 データを破壊しようとするが、精霊もどきのせいで近づくことはできなかった。


「四大精霊のデータを元にしていますから。そこらへんの精霊とは訳が違います」


 微笑むリヒトを、シルフは強くにらみつける。


「私は他の風を司る精霊と同じよ」

「いいえ。違います。あなたは四大精霊の一人、風を司るシルフという存在です」


 シルフは唇を強く噛み締める。


「存在し始めたときからそう言われ続けて……風を司る精霊なんて他にもたくさんいるじゃない。なんで私が選ばれたのよ……」

「選ばれたのではありません。存在する前から、あなたが四大精霊になることは決まっているんですよ」


 リヒトは幸奈に視線を移す。


「そういえば、春風さんは先ほどからなにもしていませんね。やはり、四大精霊の力は強すぎるのですか?」

「……違うわ。幸奈の手をわずらわせる必要がないからよ」

「そうでしたか。……四大精霊と契約した人間が、どのくらいの力を使えるのかも知っておきたいですね」


 精霊もどきが幸奈を捉え、幸奈の肩がびくりと跳ねる。

 シルフが勢いよく飛んできて、幸奈を守るように立ちはだかった。


「今は春風さんの力を見たいので、あなたは少し待っていてください」


 その瞬間、精霊もどきは風を噴射して幸奈の前に現れる。目を見開く幸奈とシルフ。

 幸奈に向けてにこりと微笑む精霊もどきは、普段のシルフと全く同じ笑みを浮かべていた。

 違う。目の前にいるのはシーちゃんじゃない。

 目の前で風が巻き起こり、幸奈の髪がふわりと浮く。


「幸奈!」


 シルフは精霊もどきを真横に吹き飛ばす。


「邪魔しないでください」


 そのとき、精霊もどきが起こした風は、槍のようにシルフの胸を貫いた。


「シーちゃん……?」


 風穴が開き、シルフはぽとりとその場に落ちる。


「シーちゃん!」


 悲鳴にも似た声でシルフを呼ぶ。

 駆け寄って何度も名前を呼ぶが、シルフからの反応はなかった。

 精霊は死なないはずなのに。人形のように動かないシルフを見て、ぺたんと座り込む幸奈。


「なぜ力を使ってくれないんですか? 体にかかる負担が尋常ではないからですか?」


 座り込む幸奈に、リヒトは雑談するように質問を投げかける。


「心配しないでください。力を使いすぎた際のケアも可能ですから。……それでは改めて、お願いしますね」


 先ほどと同じように、幸奈に向けて風が槍のように飛んでくる。だが、座り込んだ幸奈に動く力はなかった。

 風は幸奈を貫く――ことはなく、霧散した。

 目の前に光の壁が現れ、幸奈を守っていた。


「無事か。人間の少女」


 それと同時に、部屋に低く、深い声が響いた。


「精霊王……?」


 振り返ると、そこには精霊王がいた。

 玉座に腰かけた巨体は、悠然と幸奈を見下ろしていた。


「精霊王……!?」


 信じられないと言った顔で目を見開くリヒト。

 話には聞く存在だったが、一度もその姿を見たことはなかった。

 光の壁に守られたままの幸奈は、泣きそうな顔で精霊王を見上げる。


「精霊王、シーちゃんが……」

「落ち着け。シルフは無事だ」


 精霊王が手をかざすと、淡く優しい光がシルフを包み込んだ。

 それを見て安心したのか、幸奈は込み上げてきたものをぐっとこらえる。


「……精霊王、力を貸してください。あたしの手でリヒトさんを止めたいです」

「もちろんだ。私の力があれば、あの人間を止めることなど容易たやすい。……だが、私の力を貸す条件がある」

「どんな条件ですか?」

「シルフとの契約を破棄しろ」

「……え?」


 精霊王から出てきた言葉に、幸奈の表情が固まる。


「お前にはすでにシルフの力が宿っている。私の力を貸してしまえば、お前の体が耐えきれない。最悪の場合、お前が死んでしまう」


 見上げたままなにも答えない幸奈に向けて、精霊王は言葉を続ける。


「ただ、契約破棄は自ら繋がりを断つ行為。代償として、二度とシルフと契約を結ぶことはできない」


 呆然ぼうぜんとうつむく幸奈。

 幸奈の反応が来るのは分かっていたようで、精霊王は静かに息を吐く。


「……契約破棄はいらないです」


 うつむいたまま幸奈はつぶやく。


「私の力は必要ないと?」

「いえ、精霊王の力は貸してください」

「自ら死を選ぶのか?」

「そうじゃないです」


 だって、と幸奈は精霊王を見上げる。


「あたしは、シーちゃんと契約してないです」

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